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00167書「江木先生赴任於米国序」(高橋直時)

 

書「江木先生赴任於米国序」 00167
高橋直時 書
明治13年(1880年)
32 ×124.5 cm

 

↓落款印 ↓遊印

 

解説
ここで江木先生とあるのは、江木高遠のことである。高遠が外務省の一等書記官としてワシントンに赴任する際の餞(はなむけ)としてかかれたものであろう。
これを書いた高橋直時(達)という人物については、詳細が不明である。文面から察するに外務省の先輩か、同僚か、あるいは後輩であろうか。

 

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↓読み下し
01 江木先生の米国に赴任するを「送」るの序
02 井上良一氏より達せられる。
03 師友の義有り。
04 兄弟之を競う。
05 而して良一氏と江木先生との交情は、頗る密なり。
06 因って先生に聞くを得たる也。
07 先生の人と為(な)りや、先生宕聞博識具有して之を為す。
08 聞くならく、景慕に達すること久し矣。
09 嘗つて一見して之の温かみを得るか。
10 其の言は憐れむが如く、真愚は凛たる乎(か)
11 其の言は、其の蒙を発し、其の薀する所を窺う無きが如し。
12 際涯有り。
13 而して、其の家に遇して、競うて教誨を受け、頑固の疾を醫し得たり。
14 果して聞く所に違わず。
15 先生曾つて海外に遊び、虚往いて實に帰す。
16 官に在りて盡さざる所、暇あれば則ち、衆を集めて世務を演説し、人びとをして向う所を知らしめ、感悟する者少なからず。
17 今玆に朝廷先生を擢んでて外務省一等書記官と為し、米国華盛頓府(ワシントン)に遣わさる。
18 先生の榮亦大矣(なり)
19 達の海外諸国の形勢を通観するに、之を占する高第者莫(な)し。
20 (も)し白人の制度文物より、百工技藝に及びて、不善の美無し。
21 然して異教の国に対するに至れば則ち、稱(たた)えざる者有り。
22 苟くも西教の国を奉ぜず。
23 乃ち目に野蛮国と曰(い)い、未開国と曰(い)う耳(のみ)
24 西教を奉じ、口に万国公法を稱(とな)えて、其の為す所の者、之に反して惟(ただ)利己在る而已(のみ)
25 甚だしきに至れば、則ち野蛮未開の人民を待つと曰(い)うに至りては、奚(いずく)んぞ公法を以ってなさんや。
26 是に於て、陽に宗教を貴(とおと)び、自ら正行を誇り、東西に跋扈して、人の国を侵し、人の物を奪う。
27 強いて、以って弱衆を夾(はさ)み、以って寡に迫り、狡猾残賊至らざる所無し。
28 我れの有理を之れ責む可き乎(か)
29 彼の者をして或いは、勢有りて為す可からざる者か。
30 嗚呼、開化の人民たる者、果して此の如き乎(か)
31 是に由って之を観れば、方今の国家の大事は、外邦の通好に莫(な)し。
32 (も)し、先生朝命を奉じ北米聯邦に赴任さる。
33 先生の任、重しと謂う可き也。
34 然りと雖も、公使其の上に在り、吏族其の下に在り。
35 先生の徳は、吏属の服するを以って足り、公使の賢は庸(つね)の先生を以って足る。
36 重任なりと雖も、不足し難き者有り。
37 況んや米人の性は重く、公道は貴(たっと)きと為す。
38 和平は稍、歐人には異有る者乎。
39 達謂すれば、先生久しく米国に在り、其の国の俗に熟し、彼をして我の進化の昔日に十倍すること有るを知ら使む。
40 而して、益々和親を鞏固にするの真情は固(もと)より、疑いを容れざる也。
41 抑々又米人をして、此の如き暴慢無厭の歐人亦自ら漸愧し、敢えて我を凌侮せざるに至るは、豈其れ遠くに在らん哉。
42 先生に達するは一朝の交に非ず。
43 故に當(まさ)に其の書を行なうに当り、達の先生に望む所の者、序と為して以って之を送ると云う。

 

訳 注
江木先生 江木高遠のこと、江木鰐水の四男。
井上良一
(いのうえ・よしかず)
東京大学法学部教授(明治初期)。
嘉永5年(1852年)~明治12年(1879年)1月19日。
本名は良一
(よしかず)、通称は六三郎。元福岡藩士。
慶応3年(1867年)、16歳、ハーバード大学留学。
明治7年(1874年)、23歳、ハーバード大学法学部卒業。
明治10年(1877年)4月、26歳、東大教授。
明治12年(1879年)1月19日没、享年28歳。青山墓地に葬る。
井上はボストン、江木高遠はニューヨークと留学先は離れてはいたが、留学時代からの親交があったらしい。
華盛頓府 アメリカの首都ワシントンのこと
高橋達 高橋達は高橋直時のこと
(落款印)高直時氏 高直時は高橋直時のこと
(遊印)和氣致祥
(わきちしょう)
大意: 陰陽が相和らげば、その気が凝って瑞祥をあらわす
出典: 『漢書・劉向傅』
[『大漢和(巻2)』969頁

 

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