福山藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係
誠之館
校長
誠之館
教師
誠之館
出身
誠之館
交流者
所蔵品
関係
同窓会
役員
江木高遠 高戸高遠 高戸賞士
えぎ・たかとお たかと・たかとお たかと・しょうじ
明治初期の外交官
江木高遠 (出典1)


経 歴
生:嘉永2年(1849年)12月22日、福山生まれ
没:明治13年(1880年)6月6日、享年32歳、谷中霊園に葬る
安政3年(1856年) 7歳 藩校誠之館に入学、兄健吉とともに学業に励む
高戸氏へ養子で入る
寺地強平(舟里)に洋学を学ぶ
明治元年(1868年) 19歳 兄健吉とともに長崎においてフルベッキに洋学を学ぶ
明治2年(1869年)春 20歳 福山藩の貢進生として開成校(のちの東大)に学ぶ
明治3年(1870年)8月 21歳 華頂宮親王の随従としてアメリカへ留学のため横浜を出発
明治6年(1873年)8月 24歳 アメリカ留学より帰朝
明治7年(1874年) 25歳 再度アメリカへ留学、ニューヨークのコロンビア大学で法学と政治学を学ぶ
明治9年(1876年)7月 27歳 コロンビア法律学校を次席で卒業
明治9年(1876年)秋 27歳 帰国
高戸家より江木家に戻り家督を継承
明治10年(1877年)1月 28歳 東京英語学校教諭
明治10年(1877年)10月 28歳 東京大学予備門の英語教諭
明治11年(1878年)12月 29歳 元老院准奏任御用掛
明治12年(1879年)4月 30歳 元老院権大書記官
明治13年(1880年)1月 31歳 外務一等書記官
明治13年(1880年)3月 31歳 ワシントン公使館員


生い立ちと学業、業績
江木鰐水、母江木年(江木敏)の四男として、嘉永2年(1849年)12月22日、福山に生まれる。初名賞士、通称賞一郎、号は鯨峰。

安政3年(1856年)藩校福山誠之館に入学。兄健吉とともに、学業大いに進んだ。また
寺地強平(舟里)について洋学を学んだ。

またこの頃、高戸氏の養子となり高戸高遠(高戸賞士)と名乗る。
明治元年秋、長崎に行き、兄健吉とともに、フルベッキにつき洋学を学習して新時代にそなえたが、翌明治2年(1869年)春、藩より東京遊学を命ぜられ、大学南校寄宿生となった。

当時大学では、はじめての海外留学生派遣の計画があり、これと並行して皇室・華族においても、それぞれ子弟を海外に留学させることとなった。その隋員選考の結果、高遠は、皇弟華頂宮博経
(かちょうのみや・ひろつね)親王の随員に、また従兄五十川基は、南部英麻呂公子の随員として渡米することとなった。親王方6名、南部侯方3名の計9名は、明治3年8月横浜解纜、その後、ニューヨークにある予備校および本校(コロンビア法律学校)において勉学を続け、高遠、基ともにきわめて優秀な成績であった。しかし、五十川基の方は、学業半ばにして病気のため、明治5年帰朝、翌6年(1873年)2月、東京の寓居に没した。

また賞士の方も、その主華頂宮の病気のため、明治6年8月、相伴って帰朝した。学業挫折を惜しんだ高遠は、明治7年ふたたび渡米して復学し、明治9年7月、コロンビア法律学校を次席で卒業し、外務書記官に任用された。

江木家
また家系上では高戸家より江木家に帰り、兄健吉の後を継いだ。明治13年(1880年)春、吉田清成駐米大使に随行して米国に赴いたが、同年6月6日、ニューヨーク市において客死、32歳であった。

その墓は、東京谷中天王寺墓苑に、父鰐水のそれとならんで立っており、「外務一等書記官正六位江木高遠墓」と刻されている。その後の江木家については、
「江木塔の写真師たち」にくわしい。

同窓会が所蔵する高遠に関する所蔵品は、昭和30年代に江木家から寄贈されたものである。


誠之館所蔵品
管理 氏  名 名  称 制作/発行 日 付
00053 江木高遠 書 洋客箴言「愛汝敵」
00162 高戸賞士 書 「寄五葉松祝」
00228 江木高遠 書 箴言一則「行百里者」
00107 佐倉孫三 書「奉壽江木鰐水翁七十」 明治12年
00055 三島中洲 七言律詩「旭章映海」 明治13年
04708
大塚孝明
石黒敬章
『明治の若き群像 森有礼旧蔵アルバム』 平凡社 平成18年
04763 塩崎智 著 『語学研究(第114号)、「<研究ノート>幕末維新在ブルックリン(NY州)日本人留学生関連資料集成及び考察(1)」』121頁 拓殖大学言語文化研究所 平成19年
04833 塩崎智 著 『語学研究(第116号)、「<研究ノート>幕末維新在ブルックリン(NY州)日本人留学生関連資料集成及び考察(2)」』123頁 拓殖大学言語文化研究所 平成19年
04850 塩崎智 著 『語学研究(第117号)、「<研究ノート>幕末維新在ブルックリン(NY州)日本人留学生関連資料集成及び考察(3)」』33頁 拓殖大学言語文化研究所 平成20年


情報提供:園尾裕氏(江木高遠の号について)
出典1:『菅茶山顕彰会会報(第14号)』、18・19頁、菅茶山先生遺芳顕彰会編刊、2004年3月1日
出典2:『明治の若き群像 森有礼旧蔵アルバム』、98頁、大塚孝明・石黒敬章著、平凡社刊、2006年5月22日
出典3:『誠之館記念館所蔵品図録』、67頁、福山誠之館同窓会編刊、平成5年5月23日
関連情報1:『誠之館百三十年史(上巻)』、218頁、福山誠之館同窓会編刊、昭和63年12月1日
2005年3月24日更新:所蔵品、出典●2006年2月24日更新:所蔵品・関連情報●2006年6月16日更新:タイトル・所蔵品●2006年7月18日更新:写真●2006年9月28日更新:所蔵品●2007年2月14日更新:所蔵品●2007年5月1日更新:氏名・所蔵品・関連情報●2008年1月22日更新:経歴・本文●2009年8月7日更新:誠之館所蔵品●2009年9月17日更新:経歴・誠之館所蔵品●2013年10月1日更新:本文・情報提供●2015年8月6日更新:本文●2015年10月6日更新:誠之館所蔵品●