00030自筆謄写「史記」(頼山陽)
自筆謄写「史記」 00030 |
頼山陽 書 紙本墨書 25×20 cm |
解 説 |
頼山陽は、若い時から文章の修練に力をそそぎ、『史記』などの史書の中で、会心の文章にあえば、これを暗誦し、謄写して比較研究した。当時弟子であった江木鰐水が、山陽の反古籠の中にあったものをもらいうけて所蔵していたのがこの文書である。この箇所は、「史記・項羽本紀第七」の末尾、項羽が虞美人を擁して「虞や虞やなんじをいかにせん」と歌った後、漢軍と決戦、ついに自刎して死ぬるまでの、世にいう「垓下之圍」の一段と、「太史公曰」にはじまる司馬遷の史論の部分である。欄外には細字で山陽の注釈が入れられていて、その勉強ぶりをうかがうことができる。 |
訳 注 | |||
史記(しき) | 中国、前漢の司馬遷が、黄帝から漢の武帝までの歴史を通史としてまとめた書物。130巻。紀伝体と呼ばれる記述形式は、その後の正史の手本となった。 (出典2) | ||
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中国、前漢の歴史家(BC145?~BC86?)。朝廷の記録をつかさどる太史令であった司馬談の子。父の職を継いで修史の業に没頭。BC99年匈奴にくだった諭人李陵を弁護して武帝の怒りに触れ、宮刑(断種の刑)に処せられたが、精神的苦痛に耐えぬいて正史の第一に数えられる史記130巻を完成した。 (出典3) | ||
虞美人(ぐびじん) | 中国、楚の項羽の寵姫(ちょうき)(?~BC202)。項羽が劉邦に垓下(がいか)で囲まれたとき、自殺した。その血が落ちて草花になったという伝説がある。虞姫(ぐき)。 (出典4) |
出典1:『誠之館記念館所蔵品図録』、62頁、福山誠之館同窓会編刊、平成5年5月23日 出典2:『新世紀ビジュアル大辞典』、1056頁、学習研究社編刊、1998年11月9日 出典3:『新世紀ビジュアル大辞典』、1110頁、学習研究社編刊、1998年11月9日 出典4:『新世紀ビジュアル大辞典』、712頁、学習研究社編刊、1998年11月9日 |