福山誠之館同窓会 > 所蔵品 > 00246『新伊勢物語』徳川齊昭

00246『新伊勢物語』徳川齊昭

新伊勢物語』 00246
徳川齊昭 編
弘化2年(1845年)7月~嘉永6年(1853年)6月
写本8冊 27×18.7 cm

解 説
水戸藩主徳川齊昭は、襲封後15年目の弘化元年(1844年)幕府の尋問を受け、七ヵ条の罪状をあげられて、5月7日、隠居・謹慎を命ぜられ、同時に改革を推進した藤田東湖らのブレーンも蟄居となった。これに対して、改革派の藩士および農商の庶民多数が動員され、齊昭の雪冤運動が展開された。その結果、弘化元年(1844年)11月に謹慎は解除されたものの、藩政への復帰は嘉永2年(1849年)まで認められなかった。攘夷思想を中核とする対外政策と、民政安定に自信をもつ齊昭は、自己の政見を幕政、藩政に反映させるため、また、自己の復権運動をもねらって、老中首座阿部正弘に、政治的意見書を書き送りつづけ、正弘もこれに応えた。この往復書翰集が『新伊勢物語』であり、時期は、弘化2年(1845年)7月にはじまり、嘉永6年(1853年)6月で終っている。水戸彰考館本の齊昭自筆原本は5冊であるが、誠之館所蔵の写本は、8分冊になっている。題簽は「新伊勢物語 水烈公筆記 」と書かれ、袋とじ装、用紙には柱に「圓山阿部」と刷られ、一頁は縦27糎、横18.7糎の大きさで、10行づめである。従ってこれは阿部家において筆写されたものと思われる。

この書簡集の内容を概括すれば、
・第一に開国前夜の対外政策論としては、幕政の責任者としての正弘と、強硬論をとる齊昭の考え方との相違があらわれているが、齊昭の論調も情勢によって次第に変化している点も見逃してはならない。また、正弘が一見相容れない齊昭を最後まで包容していった政治的事情を読みとることもできよう。
・第二に、齊昭が水戸藩内の党争の事情を多量に正弘に伝えているのは、自説の正当性を主張して復権をねらった齊昭の意図のあらわれである。
・第三に、齊昭独特の北方問題・琉球問題対策や、欧米列強の侵略意図など、支配者としての危機意識の構造を理解することができる。

要するに、阿部正弘政権と誠之館創設とにきわめて深い関係をもっていた水戸齊昭の行跡を理解するための必須の文献資料といえよう。

誠之館所蔵品
管理№ 氏 名 名  称 制作/発行 日 付
07109 徳川齊昭 編 『新伊勢物語』(写真) 福山城博物館友の会古文書部 平成26年
07110 茨城県史編さん幕末維新史部会 茨城県史料 幕末編Ⅰ 茨城県 昭和46年

 

出典1:『誠之館記念館所蔵品図録』、72頁、福山誠之館同窓会編刊、平成5年5月23日
2006年11月13日更新:レイアウト●2007年10月22日更新:本文●2008年10月2日更新:本文●2008年11月28日更新:仕様・本文●2014年8月2日更新:誠之館所蔵品●