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00235「江木写真館宛書簡-1」 守田治兵衛

 

「江木写真館宛書簡-1」  00235
守田治兵衛 差出
明治41年(1908年)11月23日
紙本墨書 19×60.8 ㎝
守田治兵衛差出 「江木写真館宛書簡-1」

 

↓前半部読み
 
 
 
 
 
 
 
 

 

↓後半部読み
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

↓遊印1 ↓遊印2

 

↓遊印3

 

解 説
この書簡は、それが入っていた封筒の日付によると、明治41年(1908年)になる。そうであれば、江木写真店の当主は、江木鰐水の孫にあたる江木定男であり、この書簡の江木雅君とは、定男のことと思われる。

もっとも江木定男は,この書簡の出された明治41年には、まだ東京帝大法科大学の学生であり、その後も農商務省の官吏になったので、もっぱら写真館の実務を執り行っていたのは、この書簡にも出てくる定男の母・エツ子と、定男の妻・ませ子であった。

 

誠之館所蔵品
管理№ 氏名 名称 制作 日付
03522 守田治兵衛 差出 「江木写真館宛書簡-2」 明治43年

 

訳 注
謹白(きんぱく) 手紙の結語、謹んで申し上げますの意、敬具より丁寧、白=申す
天長(てんちょう) 天長節、明治天皇誕生日、十一月三日
佳辰(かしん) めでたい日、よい日柄、吉辰
大吉祥(だいきっしょう) 大いにめでたい兆し
守田宝丹(もりた・ほうたん) 守田宝丹は守田治兵衛のこと
九拜(きゅうはい) 手紙の結語
丸屋街(まるやがい) 京橋区丸屋町(今の銀座8丁目)のこと。ここに江木写真館の支店があった
江木雅君(えぎ・がくん) 江木写真館の当主・江木定男のこと、定男は江木鰐水の孫
貴下(きか) 相手に対する敬称
(遊印1)五隹止矢
出典: 禅語
読み: 真ん中の口と各文字とをそれぞれ合わせて吾唯足知
読み下し: 吾唯足るを知る
大意: 誰もが自らの内に全てを持っていることを知るべし
参考: 京都・竜安寺の蹲(つくばい)に刻まれている言葉として有名
(遊印2)寶丹 =宝丹、守田治兵衛の号
(遊印3)寶丹 =宝丹、守田治兵衛の号

 

出典1:『江木鰐水関係古文書綴』、松浦董雄、福山誠之館同窓会、平成12年8月