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00121五言律詩「鰐水送別」

 

五言律詩「鰐水送別」 00121
津田終吉 書
天保8年(1837年)4月か

134.5 × 23.3 cm
↓読み

 
 
 



 

↓読み下し

 

大 意
最初相見えた時、直ちに心と心とが理解し合うものがあった。
激しく物を言い合っても、面従後言、又は面従腹背など絶対に無かった。
唯だ今日、相別れる事になったのは、まことに残念だ。
つらい事は、去年相逢った時から有ったのだ。
旅人(鰐水の帰郷する事)は、行き暮れて雁千里の彼方に在る。
春の雲のおだやかな花の咲く、美しき峰々がどれほどあろうか。。
君は必ず来る年には帰来(東)し、必ず官に進達され登用されるであろう。
まさに、そのようになった時には、凡人なる吾れを棄てないで下さいよ。

 

↓姓名印 ↓雅号印 ↓遊印

 

解 説
 津田終吉は、江木鰐水とともに、古賀侗庵に師事していた。天保8年(1837年)4月に鰐水が福山へ帰ることになった。この漢詩は、その別れのときにおくられたものであろう。

 

訳 注
心會(しんかい) 心中に会得すること
劇談(げきだん) はげしく物言う、急いで物言う
面従(めんじゅう) 人の前で媚びへつらう
=就。したがう
官達(かんたつ) 官吏として立身する
(よう) ものうい、ものうし
晋戈(しんか) 晋戈は江木鰐水の字
津田賁 (いさむ)は津田終吉の名
(姓名印)賁于園印 (いさむ)は津田終吉の名、于園は津田終吉の号
(雅号印)遲菴 遲菴は津田終吉の号

 

鑑定:荒木聢志氏(昭和30年卒)
出典1:『大日本古記録 江木鰐水日記上』、東京大学史料編纂所編纂、岩波書店刊、昭和29年3月20日