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00090五言絶句「百川東到海」(比田井天来)

 

五言絶句「百川東到海」 00090
比田井天来 書
紙本軸装 178×61 cm
↓読み

西

 

↓読み下し
西
 

 

大 意
多くの川は東流して海に到り
いつ再び西に帰ることがあろう
若い元気な時に努力しないと、
年老いてから只、虚しく傷み悲しむことになるだろう。

 

↓姓名印 ↓雅号印 ↓遊印

 

訳 注
五言絶句
「百川東到海~」
作者: 李白
出典: 『楽府四首古辞』の「長歌行」
李白(701年~762年)。字は太白(たいはく)、号は青蓮居士(せいれんこじ)。中国・唐中期の詩人。西域に生まれ蜀郡(四川省)で育った。10歳のころすでに詩才を現したが、剣術を好み遊侠の徒と交わって奔放な生活を送った。42歳のとき長安に召されて翰林供奉(かんりんぐぶ)に任じられたが、酒ばかり飲んで気ままな生活をし、追放されて放浪の旅に出た。やがて安史の乱(755年~763年)に巻き込まれ、流罪となったが途中で大赦にあい、その後長江の沿岸を放浪、安徽省(あんほいしょう)で死んだ。才気をてらう六朝風(りくちょうふう)の排斥して漢・魏の豪放さを求め、自由奔放に感情を発散させた。楽府(がふ)と絶句に傑作が多い。詩聖の杜甫と並ぶ中国最大の詩人で、詩仙と仰がれた。『李太白集』。 (出典2)
百川 多くの川、全ての川
東する
ふたたび
西帰 西へ帰る
少壮 若く元気な時
老大 年をとる
いたずらに、むだに
傷悲 痛み悲しむ
(落款)天来 天来は比田井天来のこと
(姓名印)比田井象之 象之(ひだい・しょうし)は比田井天来の字
(雅号印)大樸山人 大樸山人は比田井天来の号
(遊印)与古爲徒
(いにしえと・とたり)
古人と友だちになるという意味 『荘子』内篇人間世  (出典1)

 

出典1:『新釈「荘子」』、116~118頁、西野広祥著、PHP研究所刊、1995年10月16日
出典2:『新世紀ビジュアル大辞典』、2788頁、学習研究社編刊、1998年11月9日
関連情報1:『荘子第一冊(内篇)』岩波文庫、111~112頁、金谷治著、岩波書店刊
関連情報2:『李白 詩と心象』(現代教養文庫)、松浦友久著、社会思想社刊、昭和45年1月30日
関連情報3:『李白』(岩波新書)、Aウェイリー・小川環樹著、岩波書店刊、昭和48年1月20日
関連情報4:『中国の詩人6飄逸詩人 李白』、小尾効一著、集英社刊、昭和57年10月12日