00075巻子「六有軒記」(伊藤才蔵)
巻子「六有軒記」 00075 | |
伊藤才蔵 書 元文2年(1737年)12月 紙本巻子 190×30 cm |
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落款印 | 雅号印 | |||||||||||||
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中央の印 | 遊印 | |||||||||||||||||
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訳 注 | ||||||||
1 | 蘭嵎 | 蘭嵎は伊藤才蔵の号 | ||||||
1 | 伯氏 | 長兄 | ||||||
1 | 古義堂 | 京都堀川にあった伊藤家の家塾 | ||||||
2 | 廂(ひさし) | 庇、ひさし | ||||||
2 | 阯(シ) | あと | ||||||
3 | 恩義 | 正義の道をしたい思う | ||||||
5 | 盖(ガイ、カイ) | かさ、ふた | ||||||
6 | 肆(シ) | つらねる、みせ | ||||||
8 | 焉(エン) | いずくんぞ | ||||||
10 | 横渠(おうきょ) | 張載(ちょうさい)の号。1020~77年。中国、宋の学者。 ビ県横渠鎮の人。字は子厚。号は横渠。諡は献・明。 父の張迪は仁宗に仕えて殿中丞に任じ、フ州(四川省フ陵県)の知事になったが、任地で没した。残された幼子たちは故郷の大梁にも戻らず、ビ県の横渠鎮に移った。 張載は若いころから性格が強く、好んで兵を談じ、ときには人を誘ってトウ西の地(山西省)を奪取しようとしたこともあった。 18歳のとき范仲淹に会ったが、范仲淹はその大器なるを見、兵を事とするよりも名教に務むべきを勧めた。張載はそのとき与えられた〈中庸〉を読んで感激し、道に志すようになったが、それに満足せず、仏教や道教の間を渉猟した。やがてふたたび儒に戻り、六経を読んでその中から道を求めていった。 かつて京師に易を講じたとき、程顥、程シンと易を論じてその学に敬服し、異学を全く棄てるにいたった。 仁宗の嘉祐(1056~63年)年間、進士にあげられ、雲巌(セン西省宜川県北西)の令となった。神宗の煕寧(1068~77年)年間に崇政院校書となるが、王安石と対立し、南山の麓に退き、一室に危座して書を読み、また諸生を集めて学を講じた。やがて呂大防の推薦によって礼官になったとき、郊廟の礼を厳格に行なうべしと考えて、しばしばそれを実行しようとしたが賛成者を得なかった。また冠婚葬祭の正礼を行なおうとしたときも反対にあったりして楽しまなかったが、たまたま病を得たので官を辞し、家居して門人とともに初志を完成しようとした。しかし病に倒れ、その事業を成さなかった。 その学問は〈中庸〉〈易経〉を中核とし、それに礼を加えて特色のあるものを形成したが、つまるところは孔孟の道を発揮するにあった。 また哲学説としては現象をすべて「気」で説明する一元説を唱え、気による宇宙構成、または気質変化すべき修養論を説いた。哲学説はのちに朱熹の哲学に大きな影響をあたえた。 世に横渠先生と称し、横渠が關(関)中の人であるから、その学を伝える者を称して関学という。 著書には〈易説〉〈西銘〉〈正蒙(せいもう)〉などがある。 (出典1~3) |
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12 | 譎(ケツ、ケチ) | いつわる、いつわり | ||||||
16 | 孳(シ、ジ) | しげる | ||||||
16 | 愓(トウ) | ほしいまま | ||||||
17 | 晷(キ) | ひかげ | ||||||
25 | 寔(ショク、ジキ) | まことに | ||||||
27 | 膺(オウ、ヨウ) | あたる、うつ | ||||||
29 | 自勵(じれい) | みずから励ます | ||||||
29 | 勗(キョク、コク) | つとめる、はげむ、はげます | ||||||
◎ | ◎ | ◎ | ||||||
35 | (落款)平安 | 京都のこと | ||||||
35 | (落款)伊藤長堅 | 長堅は伊藤才蔵の名 | ||||||
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35 | (落款印)長堅之印 | 長堅は伊藤才蔵の名 | ||||||
35 | (雅号印)才藏 | 才藏は伊藤才蔵のこと | ||||||
36 | (落款)丁巳(ひのと・み) | ここでは元文2年(1737年)、伊藤才蔵43歳 | ||||||
36 | (落款)嘉平月 | 陰暦十二月の異称 | ||||||
24 | (中央の印)六有軒○書 | 六有軒は伊藤才蔵の号である六有斎に関連か | ||||||
- | (遊印)存心於愛物 |
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誠之館所蔵品 | ||||
管理№ | 氏名 | 名称 | 発行 | 日付 |
00587 | 朱熹 編 | 『近思録(巻之十)』 | 浪華書肆 | 文久4年(1864年) |
出典1:『アジア歴史事典6』、289頁、「張載」、平凡社編刊、1984年4月1日 出典2:『新世紀ビジュアル大辞典』、1635頁、「張載」、学習研究社編刊、1998年11月9日 出典3:『大漢和辞典(巻四)』、722頁、「張載」、諸橋轍次著、大修館書店刊、昭和32年3月25日 出典4:『近思録(巻之十)』、3頁、朱熹著、浪華書肆刊、文久4年(1864年) |