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00061七言絶句「誰知遠客」(五十川訊堂)

 

七言絶句「誰知遠客」 00061
五十川訊堂 
明治3年(1871年)正月
紙本墨書 110×68 cm

 

↓読み ↓読み下し


 

 

↓姓名印 ↓雅号印 ↓遊印

 

解 説
明治3年正月の試筆。訊堂はこの時、大学南校に在学していた甥の高戸賞士(江木高遠、高戸高遠)が、華頂宮親王の随員に選ばれて米国に留学するという報を聞き、その感懐を詠んだ。

 

訳 注
新正(しんせい) 正月
(き) きざし、まえぶれ
対膝(たいしつ) 膝を交えて相対する
(あ) 人を親しみ呼ぶときに、その姓・名などの上につける接頭語
(かん・げん) みな
庚午(こうご/かのえ・うま) ここでは明治3年(1871年)
孟正(もうせい) 正月
試筆 かきぞめ
(てつ) めい、おい
(落款)賞士 賞士は五十川訊堂の甥・高戸賞士(江木高遠、高戸高遠)のこと
(落款)訊堂学人 訊堂は五十川訊堂の号
(姓名印)淵字士深 淵は五十川訊堂の名、士深はその字
(雅号印)後菴眞逸
(遊印)隠居放言
出典: 『論語 微子(第十八・八)』
大意: 世を捨てて、自由な言論を行なう (出典2)

 

出典1:『誠之館記念館所蔵品図録』、69頁、福山誠之館同窓会編刊、平成5年5月23日
出典2:『論語全訳注(増補版)』(講談社学術文庫)、421頁、加地伸行著、講談社刊、2009年9月10日