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00054寿詞「南極」(五十川基)

 

寿詞「南極」 00054
五十川基 書
元治元年(1864年)
紙本墨書 19×60 cm

 

↓読み
 
 

 

↓読み下し
 
 
 

 

↓姓名印 ↓雅号印 ↓遊印

 

訳 注
南極 星の名。南極にあり、人の寿命を司る。この星が現われれば天下が治まるという。南極星。寿老人。
永緒(えいちょ) 呂纂(りょさん)の字。中国、五胡十六国後涼第3代の王。?~401年。在位399年~401年。後涼の人。呂光の庶長子。諡は靈皇帝。呂光が後涼をたてたとき、太原公の称号を与えられた。
399年末に呂光が世子の呂紹(隠王)に位を譲って没すると、5日ののちに呂紹を殺して位につき、在位3年の後、従弟の呂超に刺殺された。在位中は南涼、北涼とのとの抗争に終始して、ともに成功することはなかった。[アジア歴史事典⑨312頁][大漢和②914頁]
崔駰(さいいん) 中国、後漢の人。?~92年。涿郡・安平(河北省深県)の人。字は亭伯。その祖父崔篆(さいてん)は王奔に寵遇されたのを恥じ、後漢に仕えず、父崔毅も隠居して仕えなかった。崔駰は少時より<詩経><易経><春秋>を学び、百家の言に通じ、太学に学んで班固、傅毅らと並び称された。仕官を求めなかったが、元和(84年~87年)中、章帝に文才を認められたのを機会に、外戚竇憲(とうけん)の知遇を受け、車騎将軍をへて、竇憲の府の掾属(じょうぞく)となった。しかし竇憲のわがままを諌めて憚らなかったので、ついに疎まれて長岑令(ちょうきんれい)にだされることとなったが、官につかず家に帰った。詩文合わせて21編の著がある。[アジア歴史事典④2頁]
(りょう) いささか
=源
(落款)甲子春 ここでは元治元年(1864年)の春、五十川基21歳
(姓名印)源譲
(雅号印)士礼
(遊印)米里 米里は五十川基の号

 

出典1:『誠之館記念館所蔵品図録』、67頁、福山誠之館同窓会編刊、平成5年5月23日