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00049巻子「蝦夷探査図絵」(関藤藤陰)

 

巻子「蝦夷探査図絵」 00049
関藤藤陰 画文
安政4年(1857年)
紙本着色巻子 20×154 cm
「蝦夷探査図絵(全体)」

 

「蝦夷探査図会(部分・喜土知里冨鳥&比伊呂鳥)」

 

「蝦夷探査図会(部分・西蝦夷小糸井眺望)」

 

「蝦夷探査図会(部分・石狩川)」

 

「蝦夷探査図会(部分・於冨伊岬(雄冬岬)」

 

比伊呂鳥・説明 喜土知里冨鳥・説明

 

西蝦夷小糸井眺望・説明

 

石狩川・説明

 

於冨伊岬(雄冬岬)・説明

 

↓鳥部分読み

 
 

 

↓小糸井部分読み
綿
西
廿
 
西

 

↓石狩川部分読み
西
 

 

↓雄冬岬部分読み


西


廿



西

 

↓鳥部分読み下し
 喜土知里冨鳥
蝦夷樺太の地にこの鳥は生まる。
黄啄赤足。
身は首尾皆赤にして、黄を帯ぶ。
色は甚だ綺麗。
啼き声は黄鵬と杜鵑を合わせて之を一にす。
曰く、本尊 挂 法華経。
余、秋夏の間、之を見る。
余、固(もと)より画く能わず。
江晋戈強いて其の図を求む。
乃ちその概略を写す。
 
 比伊呂鳥
北蝦夷、野土呂岬の礁石の上に多く之を見る。
身は首尾みな茶褐色。
赤嘴、赤足。
嘴は長くして鋭し。

 

↓小糸井部分読み下し
 西蝦夷小糸井眺望
安政四年夏、藩命を奉じて、北は蝦夷樺太島を極む。
六月二十九日北海の浜を循(めぐ)り、南に還(かえ)りて小糸井に到る。
東に宗谷の山を望めば、蜿蜒(えんえん)として龍蛇(りゅうじゃ)の如し。
西に理士里岳を望めば、岳状は芙蓉の如し。
その間群山綿亘(めんこう)して湾を為す。
海山の望甚だ壮にして、紫翠際(きわ)なし。
北を望めば茫々として海天と接す。
瑠璃盤上一点現るは、青螺 雲の如く山の如し。
土人 樺太島と云うなり。
自ら賀して、
「瘴煙毒霧は北行して此(か)くの如く遠けれども、恙(つつが)無く還りて此に至るなり。
愴然たるは 久しうす。

 

↓石狩川部分読み下し
 石狩川
石狩川は西蝦夷の巨川にして、
港口の広さは六町許(ばかり)
尤別山を源とす。
港口とは水源を距(へだ)てて七八十里なり。
帆檣(はんしょう)を見て之(ゆ)く所は石狩番屋なり。
舟行 之を溯(さかのぼ)り、対石狩に至る。
舟を棄て歩めど、水源を極むるに能(あた)わず。

 

↓雄冬岬部分読み下し
於冨伊岬は西蝦夷、北海の優麗奇處なり。
蓋し増慶岳は、衆峰叢合して以って、一大岳を為す。
其の巌高は暑寒別の山を為し、総名は増慶岳と為す。
大麓北海に斗出(としゅつ)するは即ち岬なり。
天下の怪巌奇瀑を聚(あつ)め、一岬の内に在り。
安政四年四月二九日、余は浜増繁(はまましけ)より舟行して之を過(よぎ)る。
岳色を仰望すれば、衆峰滴翠千態萬状。
海澨(かいぜい)俯観すれば 奇巌怪礁 応接の暇(いとま)あらず。
巌色 或いは碧 或いは赭 或いは黄白(こうはく)
繍錯(しゅうさく)して縦横なり。
異態の老樹は奇古鬱蒼。
其の間の乱嶕は波に突して出づるは、熊の如く 狗の如く 釜を覆す如く、種々異状なり。
瀑布二十余道、玉簾を垂るる者、白布を曝(さら)すは煙散霧飛、
一瀑 山嶺より半腹に飛落し、巉巌(ざんがん)に触れて破碎、
飛霧と為り 玉廉と為り、数層相承け又合し一大瀑を為し、是れ乳内瀑と為る。
一道奔注し 高さ五十丈許(ばかり)
其の響き雷の如く 於冨伊岬の瀑と為る。
此れ岬なり。
北海に斗出するを以て、舟楫(しゅうしゅう)の危険 西蝦夷に冠たり。
風少し起くれば、驚涛(ぎょうとう)駭浪(がいろう)性命は瞬息に在り。
幸いに此の日 風は穏やかに 波恬(しず)かにして、
幽秘を快(こころよ)く観るを得たり。

 

↓鳥部分大意
 喜土知里冨鳥
この鳥は蝦夷樺太の地に生まれ、
くちばしは黄色く、足は赤い。
体は首から尾まで皆赤く黄色を帯びている。
色は甚だ綺麗で、
鳴き声は黄鵬とホトトギスを合わせたようだ。
曰く、本尊 挂 法華経。
私は夏から秋の間、この鳥を見た。
私はどうしても絵を描くことができない。
江木晋戈が、その図を描くように強く求めた。
そこで、その概略を写した。
 
 比伊呂鳥
北蝦夷の野土呂岬の礁石の上に多く見られる。
体は首から尾までみな茶褐色である。
嘴は赤く、足も赤い。
嘴は長く、鋭くとがっている。

 

↓小糸井部分大意
 西蝦夷小糸井眺望
安政四年夏藩命を奉じて、六月二十九日から蝦夷の北限である樺太島内にある北海の浜を循(めぐ)った。
南に還(かえ)って小糸井(声問)に着いた。
東を望めば宗谷の山が蜿蜒(えんえん)と続き、龍蛇(りゅうじゃ)のようである。
西を望めば利尻山がまるで富士山のようだ。
その間には山々が連なり湾をなしている。
海山の眺望は甚だ壮大で、木々がかぎりなく美しい。
北を望めば茫々たる海が天に連なっている。
水平線上にある一点は、雲か山のような青いにしの形をしている。
土地の人がいうには、それが樺太島である。
自らを労(ねぎら)う。
「健康を害するような北方への行程は、こんなにも遠くなのか。
にもかかわらず、よくも恙(つつが)なく、ここに還れたものだ。」と。
いたみかなしむは、しばらくであった。

 

↓石狩川部分大意
 石狩川
石狩川は西蝦夷の大きな川である。
港口は六町ばかりの幅である。
源は尤別山(忠別岳)である。
水源より港口まで七八十里である。
帆柱の見えるところが石狩番屋である。
舟はここより石狩川を溯(さかのぼ)り、対石狩(対雁)に到達する。
舟を棄て歩いても、水源の地までは到達できない。

 

↓雄冬岬部分大意
雄冬岬は西蝦夷にあり、北海(道)の優美にして不思議なところである。
想像するに、増慶岳は、多くの峰があつまって一つの大きな山岳をなしていると思われる。
その巌の高さは、暑寒別の山を形づくり、それをひっくるめて増慶岳と呼んでいる。
大きな山麓は、北の海に突出して岬になっている。
天下のかわった形をした岩や、奇瀑は一つの岬の内にある。
安政四年四月二十九日、自分は濱増毛より舟に乗ってここを通り、山の色をあおぎ見ると、多くの峰は翠が滴りさまざまの姿をしていた。
下の海岸を見ると、不思議な巌や礁(かくれ岩)があって、とても見きれないほどである。
巌の色は碧をなし、あるいは赭(あか)をなし、あるいは黄白をなしていて、思いのままに美しい模様をつくっている。
変わった姿の老木は、めずらしいほど古めかしく、あたりは薄暗い。
その間に見えるたくさんのかくれ岩が波の上に見えるのは、熊か狗(犬)のようで、また釜をひっくりかえしたようにも見えて、色々と変わった様子である。
瀑布は二十余筋、玉の簾をたれるもの、白布を曝すものは、煙が散り霧のように飛び散ってしまう。
一つの滝は山の嶺より山の中腹に飛落し、高くそびえた岩に触れて砕け散って飛ぶ霧となり、玉の簾となり、それが何層にも重なって、また一つの大きな瀑となり、これが乳内瀑である。
一筋が奔り注ぐ高さ五十丈ばかりで、その響きは雷のようで於冨伊岬の瀑となる。
これが岬である。
この岬が北海にけわしく突出して舟楫(海運)の危険なことは、西蝦夷で一番である。
風が少しでも起これば、さかまく波、わきたつ波で生命は大変な危険にさらされる。
幸いにこの日は風はおだやかで、波も静かで、かくれてよく知られないところを見ることができた。

 

「蝦夷探査図絵」 解説
正弘公の命による蝦夷第1次探査は、安政3年(1856年)、関藤藤陰・寺地強平・山本橘次郎によるエトロフ島探査で、行程182日。
安政3年5月7日 江戸発
安政3年7月26日 エトロフ島到着
安政3年11月10日 江戸帰着
第2次探査は、やはり関藤藤陰・吉沢忠恕・山本橘次郎の安政4年(1857年)、カラフト・ポロコタン・ソウヤ経由イシカリにいたる行程238日。北蝦夷探査で、その帰途に正弘公の訃報が届いている。
安政4年3月1日 江戸発
安政4年5月11日 ソウヤ発唐太へ渡海
安政4年閏5月22日 ポロコタン着
安政4年6月22日 ソウヤ帰着
安政4年7月11日 イシカリ着
安政4年7月15日 シラオイ着
安政4年7月21日夜 (正弘逝去報到る)
安政4年8月9日 山本橘次郎病死
安政4年8月19日 箱館発
安政4年10月2日 江戸帰着

 

鳥部分 解説
  「喜土知里冨鳥」
藤陰が唐太の地を訪れたのは、安政4年(1857年)5月11日から、閏月5月を含んで6月21日までの70日間、ほぼ初夏の候である。第1図の喜土知里冨鳥については、説明のすべてに該当する鳥は見出し得なかったが、強いてあげれば、アトリ科「ベニマシコ」か、ヒタキ科の「アカハラ」などであろう。
「ベニマシコ」---全長15cm、嘴は淡褐色、足は褐色、全体の羽毛は紅色。鳴声はホオジロに似た声でさえずるから、聞きようによっては、黄鸝(コウリ、こうらいうぐいす)と杜鵑(ほととぎす)を一つにしたように聞こえるかも知れぬ。ウスリー・中国東北部・朝鮮北部・サハリン・千島列島南部などで繁殖する。

「アカハラ」---全長約24cm。腹の中央は白いが、他の羽は、オリーブ褐色もしくは橙褐色。嘴は黒くて基部は黄色。足は淡褐色。鳴声はキョロン、キョロン、ツリーという声でさえずる。これも複雑な鳴き方で、色々にききなされる。夏、サハリン・千島列島・日本北部で繁殖し、冬は南へ移る。

この解説は、「日本産鳥類図鑑」(東海大学発行)によった。

  「比伊呂鳥」
「身首尾茶褐色、赤觜赤足」という説明文にもっとも近いのは、シギ科の「アカアシシギ」である。全長28cm。羽は濃褐色。嘴は黒褐色で基部は赤く、足は鮮やかな赤色である。モンゴル・中国東北部・ウスリー地方で繁殖し、冬には東南アジア地方まで、旅鳥として渡る。固体数は全体として少ない。この解説は、「日本産鳥類図鑑」(東海大学発行)によった。

 

小糸井部分 解説
  「西蝦夷小糸井眺望」
北蝦夷への渡航基地「宗谷」を、藤陰は三度通過したが、安政4年6月29日、彼はこの地を発して帰途についた。発後数刻、宗谷湾の奥に位置する小糸井(声問)に上陸して休憩し、四望した風景がこの「小糸井眺望」である。あたかもこの日は天気晴朗、はるかに水平線上にかすむ唐太島をふりかえり
瘴煙毒霧の地での巡檢の日々を回想して、感無量のものがあったと思われる。その心境が、自らをいたむ「愴然」という語となったのである。

 

石狩川部分 解説
  「石狩川」
宗谷出発後12日目の、安政4年7月11日、藤陰一行は石狩番屋に到着した。石狩川について藤陰は、全長7~80里、水源は尤別山
(ゆうべつさん)としているが、今日では大雪連峰中の忠別山(ちゅうべつざん)と見るのが正しいであろう。一行は、往路とは別に、石狩川・千歳川をさかのぼり、対雁(ついしかり)(現・江別市対雁)・漁太(いさりぶと)(現・恵庭市漁太)を経由して、太平洋岸の勇仏(ゆうふつ)(現・苫小牧市勇払)に出ることにして、7月12日石狩を舟で出発。漁太を過ぎて舟を棄て、歩行して7月14日、勇仏に達した。

 

雄冬岬部分 解説
  「於冨伊岬=雄冬岬」
藤陰一行は、往路安政4年4月29日(オショロコツ→マシケ間)と、復路7月10日(マシケ→ハママシケ間)、いずれも海上から雄冬岬を眺望している。この両日とも快晴であったから、海難のおそれもなく、じゅうぶんその怪巌奇瀑の風致を探勝し得たはずである。(この図の説明文では、往路の観察としている)。その雄大な風光の描写は、藤陰の名文にゆずる。
この岬は断崖が海中に突き出しているため、もし風浪が高ければ、舟行きわめて危険であり、積丹半島突端の神威岬

(かむい・みさき)とならんで、西蝦夷第一の難所といわれていた。

 

訳 注
唐太 =樺太、カラフト。
杜鵑(とけん) ほととぎすの漢名。
(けい) ①かぎりわける。
②かける、かかげる、つるす。わかつ。かかずらわす、及ぼす。こうむる、きる、つける。
③かかる。宙にある。まつわる、からむ。さがる、垂れ下る。ふれる、さわる、ひっかかる。かかずらう。かかげられる。わたる。
④とまる。とめる。⑤衣裳。
⑥かり、かけ。物を借りて返さず、買って代をはらわぬこと。
⑦さまたげる。⑧卦。⑨掛。
⑩わかつ。⑪かけとる、ひっかける。
江晋戈 江木鰐水のこと。
北蝦夷 ここでは樺太の意味か。
野土呂岬(のとろみさき) 樺太最南端の西能登呂岬のこと。
小糸井 現在の稚内市声問(こえとい)
理士里岳(りしりだけ) 利尻島にある利尻山のこと。
蜿蜒(えんえん) ①竜やへびのうねり行くさま、またそのうねり曲がるさま。②うねり曲がって長く続いているさま。
龍虵(りゅうじゃ) =龍蛇。
芙蓉(ふよう) 富士山の異称、芙蓉峰とも。
群山(ぐんざん) 多くの山山、むらがりそびえる山。
綿亘(めんこう) 長く連なり続くこと。綿亙、連亙(れんこう)
紫翠(しすい) 山の木がみずみすしく美しいさま。
紫幹翠葉の略。紫幹は暗褐色の幹、翠葉は緑色の葉のこと。
無際(むさい) はてが無い。
盤上(ばんじょう) 巻きつける。
青螺(せいら) 青色のにし貝。
瘴煙(しょうえん) 瘴気を含む靄。瘴気とは山川に生ずる毒気、およびそれにあたって起こると考えられた熱病。
愴然(そうぜん) いたみ悲しむさま、愴愴。
久之(ひさしうす) ひさしく(う)す。しばらくす。之=時間の経過を表す助字。。
尤別山(ゆうべつさん) 忠別岳のことか、であれば大雪山系の山。
より
帆檣(はんしょう) 帆柱
番屋(ばんや) 漁師の宿泊する小屋
対石狩(ついしかり) =対雁(現江別市対雁)
於冨伊岬(おふいみさき) =雄冬岬
増慶岳(ましけだけ) =増毛岳
暑寒別之山 暑寒別岳(しょかんべつだけ)のことか、暑寒別は「滝の上にある川」の意。
総名(そうめい・そうみょう) 全体をすべてくくって呼ぶ名。
大麓(たいろく) ①山のふもとの広大な林。②大きな山麓。
斗出(としゅつ) 土地などのけわしく突き出ること。
怪巌(かいがん) =怪岩。かわった形をしたいわ。 【広辞苑】
より。
濱増繁(はまましげ) 浜益。現・北海道石狩市浜益区。(増毛とは別)。
千態萬状(せんたいばんじょう) さまざまのかたち。種々のさま。千様萬態。
俯観(ふかん) =俯鑒(ふかん)。うつむいて観る。俯して視る。
海澨(かいぜい) 海岸、海のほとり。澨(ぜい)は水涯、みずぎわ。
應接不暇(おうせつ・ふか) 物事が後から後から起こって対応しきれないこと。また、忙しくて一人一人に対応できないこと。一般に「応接(おうせつ)に暇(いとま)あらず」と読む。
繍錯(しゅうさく) 縫い取りが交錯して美しい模様を成すこと。
奇古(きこ) めずらしく古めかしい。
鬱蒼(うっそう) 樹木が茂ってあたりが薄暗いさま。
巉巌ざんがん) 切り立った険しいがけ。高くそびえた岩。
舟楫(しゅうしゅう) ①ふねとかじ。ふね。②ふねで運ぶこと。水運。
驚涛(ぎょうとう) さかまくなみ。怒濤、驚瀾、驚浪。
駭浪(がいろう) わきたつなみ。
性命(せいめい) ①萬物の有するそれぞれの性質。天から命ぜられた持ちまえ。②いのち。壽命。生命。③物事の要所。④生物。

 

出典1:『誠之館記念館所蔵品図録』、65頁、福山誠之館同窓会編刊、平成5年5月23日