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00033由来書「頼山陽遺墨」(宮原龍)

 

由来書「頼山陽遺墨」 00033
宮原龍 
明治15年(1882年)
紙本軸装 61×25 cm

 

↓読み
使




 

↓読み下し(1/2)

 

↓読み下し(2/2)
 
 

 

↓姓名印 ↓雅号印 ↓遊印

 

訳 注
山陽先生 ここでは頼山陽のこと
手鈔 手づから書きぬく、自ら写しとる
遷史 司馬遷の著した史記をいう
眞跡 事物の筆跡、直筆
蓋し(けだし) おそらく
先生 ここでは頼山陽のこと
用力(ようりき) 力を用いる
写す、すくいとる
(ろく) はこ
晋戈 江木鰐水の字
保男 江木鰐水の五男
中国の国号、春秋時代
師曠(しこう) 生没年不明。中国古代の宮廷音楽家。冀州・南和(河北省大名県)の人。名は曠。字は子野または晋野。宮廷音楽師であるから師という。晋の平公に仕え、音律によってよく吉凶をうらなった。その著として『漢書』、芸文志小説家に『師曠』6編、岳陰陽家に『師曠』8編をのせるが、仮託の書で、早く亡失した。また『四庫全書総目提要』、子部譜録類に『禽経』1巻をのせ偽書であると説く。 (出典2)
歆羨(きんせん) むさぼりうらやむ
壬午(みづのえ・うま) ここでは明治15年(1822年)のこと
壬午月 ここでは繰り返しの「壬午」と「月」で五月のこと
(落款)宮原龍 宮原龍のこと
(姓名印)潜叟(せんそう) 潜叟は宮原龍の号
(雅号印)吉祥七十有八 宮原龍78歳時の書ということか。宮原龍は文化3年(1806年)生まれなので、明治15年の書ならばほぼ78歳の年齢が合致する
(遊印)栗邨 栗邨は宮原龍の号

 

出典1:『誠之館記念館所蔵品図録』、62頁、福山誠之館同窓会編刊、平成5年5月23日
出典2:『アジア歴史事典4』、149頁、「師曠」、平凡社編刊、1984年4月1日