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00031図解「左伝『二首六身』」(頼山陽)

 

図解「左伝( 二首 六身)」  00031
頼山陽 
紙本墨書 16×21 cm

 

↓読み

 

↓読み下し

 

解 説
この一葉は、山陽が門人に「春秋左氏伝」を講義した時、「襄公三十年」の段にある「亥(ガイ)二首六身有り」の句を説明するために書いたメモ紙である。その内容は、晋の国において、自分の年齢のわからぬ老人の年を、大史の趙が推定した。すなわち、老人の名前「亥」の古字「①」を分解すると、上の「首」の部分は「二」であり、下の「身」の部分には、六を表わす「人」(「⊥」も同じ)が三つある。これを横にならべると、二万六千六百六十となり、この数の日数が老人の年齢、すなわち73歳であると推定した。

この図の本体部分は、頼山陽の筆である。最後の行は、この書き物を手に入れた江木鰐水が、山陽先生の書かれたものであるということを書いている。

①=

 

北村信男先生の解読

 

訳 注
『春秋左氏伝』
襄公三十年
絳縣(こうけん)老人(名は亥)が年齢をたずねられ、「私は正月甲子の朔の生まれで、それから445回の甲子がめぐり、その最後の甲子の日から二十日たった」と答えた逸話。その時、師曠が「七十三歳」と計算し、大史の趙が「名の亥の古字は二首六身になり、それは生まれてから今日までの日数を示す」と述べ、士文伯が「それは二万六千六百六十日になる」といった。
(ゆき) 戩は江木鰐水の名

 

出典1:『誠之館記念館所蔵品図録』、62頁、福山誠之館同窓会編刊、平成5年5月23日