00007不老朝花図『松に朝顔』阿部正精
| 日本画「不老朝花図(松に朝顔)」 00007 | |||||||||||||||||||||||
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| ↓姓名印 | ↓雅号印 | |||||||||||||
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| ↓函書 | ||||||||||||||||||||||||
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| 解 説 | |||
| 阿部正精は、癸未の歳、文政6年(1823年)10月、病いと称して老中を辞した。時に50歳。 「癸未以レ病辞シ相」 という七律の頷聯に 「欲レ抛人世栄名累 難レ奈君恩眷寵多」 と詠じているように、謙徳公の諡号通り、英明温恭な人物であった。この「松に朝顔」図は、辞職の年(文政6年(1823年)、50歳の季夏(6月)に筆を執ったもので、平明温雅な図柄である。正精は、絵画では沈南蘋(しん・なんぴん)を愛し、さらにその塁を摩した妙手といわれていた。沈南蘋は、本名、沈銓(せん)、清中期の花鳥画家である。享保16年(1731年)長崎に来航、約2年間の滞在中、多くの日本画家が師事した。そのため、彼の画風は江戸時代の花鳥画に大きな影響を与えた。しかしその様式は明代花鳥画に南宋画の描写法を加味したもので、本国よりもむしろ日本において評価の高い画家であった。 (出典1) |
| 訳 注 | |
| (落款)癸未(みずのと・ひつじ) | ここでは文政6年(1823年)のこと |
| (落款)季夏(きか) | 晩夏、夏の終わりの1ヵ月、陰暦の6月 |
| (落款)棕軒(そうけん) | 阿部正精の号 |
| (姓名印)正精之印 | 正精は阿部正精のこと |
| (雅号印)字子純 | 子純は阿部正精の字 |
| (箱書)棕軒阿正精公不老朝華図 | 棕軒は阿部正精の号、阿正精は阿部正精のこと |
| 出典1:『誠之館記念館所蔵品図録』、56頁、福山誠之館同窓会編刊、平成5年5月23日 |



