下宮三郎右衛門(しもみや・さぶろうえもん)
下宮三郎右衛門 しもみや・さぶろうえもん
福山藩家老
生:(不明)
没:(不明)
嘉永6年(1853年)夏 阿部正弘の命により国許において会津藩の長沼流兵法を採用し藩の兵法を確立させた
安政6年(1859年)5月13日 用人や砲術掛に命じて五流派を統一させる
生い立ちと学業、業績
名は直昌
阿部正弘は、嘉永6年(1853年)の夏、時代の変遷と共に、従来の兵法が現実的な意味を失っていることに危機感を抱き、会津藩の長沼流兵法の採用を決めた。この時、国元へ下宮三郎右衛門直昌を帰郷させ、新たな兵法の確立を促した。
また、正弘の死後、正弘の教えを忠実に守った阿部正教は、国元の家老下宮三郎右衛門に書付を詫し、文武の奨励を図った。
安政6年(1859年)5月13日、月番の執政下宮三郎右衛門は、用人や砲術掛に命じて五流派を統一させた。