沿革

福山誠之館の沿革

扁額「誠之館」徳川斉昭書 嘉永7年正月

扁額「誠之館」徳川斉昭書 嘉永7年正月

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日付 周年 内容
天明6年(1786 年)7月 - 福山藩主・阿部正倫、福山城西堀端に藩校「弘道館」を創設
嘉永6年(1853年) - 老中首座・福山藩主・阿部正弘、学制改革を決意し、新学館建設を命ずる。(この年冬、江戸新学館完成)
安政元年(1854年) - 中庸(「誠ハ天ノ道ナリ、之ヲ誠ニスルハ人ノ道ナリ」)により、新学館を「誠之館」と命名
この年12月、福山西町道三口(現・霞町1丁目)に「福山誠之館」竣工
安政2年(1855年)1月 1 1月16日、「福山誠之館」開校
明治2年(1869年) 15 福山西町築切に、誠之館附属の医学校兼病院(同仁館)を開設。この年、誠之館山野支校設置
明治3年(1870年) 16 学制を改革し、漢学を廃して普通学科を設け、国文教科書を用い、ほかに英学・仏学・漢学の専門学科を置く。12月西町・東町に女学校を設置(誠之館支校)
明治5年(1872年)10月 18 藩校「誠之館」閉校
明治6年(1873年)8月以降 19 旧誠之館施設を、福山士族共立小学校、小田県師範学校、広島県公立師範学校分校、広島師範学校分校、広島県福山師範学校校舎として使用
明治12年(1879年)7月 25 広島県福山中学校開設
明治20年(1887年)4月 33 尋常中学福山誠之館と改称
明治26年(1893年)4月 39 広島県福山尋常中学校と改称
明治30年(1897年)4月 43 広島県第二尋常中学校と改称
明治32年(1899年)4月 45 広島県第二中学校と改称
明治34年(1901年)6月 47 広島県立福山中学校と改称
昭和2年(1927年)9月 73 広島県立福山誠之館中学校と改称
昭和7年(1932年)4月 78 福山市三吉町(旧広島県福山師範学校校舎)に移転
昭和23年(1948年)2月 94 通信教育部を設置
昭和23年(1948年)5月 94 学制改革により、広島県福山誠之館高等学校となる
昭和23年(1948年)7月 94 定時制課程(夜間及び水呑・鞆分校)を創設
昭和24年(194 年)4月 95 学校再編成により、広島県福山東高等学校と名称変更
昭和28年(1953年)4月 99 広島県福山誠之館高等学校と名称変更
昭和37年(1962年)4月 108 高等学校の通常課程を全日制課程・通信教育部を通信制課程に改し、全日制家庭科の募集停止
昭和38年(1963年)4月 109 全日制商業科・定時制被服科(水呑・鞆分校)募集を停止
昭和39年(1964 年)3月 110 福山市木之庄町に本校移転用地 111,105㎡ の買収完了
昭和42年(1967年)1月 113 本校移転用地造成の地鎮祭並びに起工式を行う
昭和43年(1968年)4月 114 本校移転用地移転用地敷地造成完了
昭和43年(1968年)10 月 114 広島県立福山誠之館高等学校と名称変更
昭和44年(1969年)8月 115 新校舎竣工
昭和44年(1969年)10月 115 新校舎へ移転完了
昭和44 年(1969 年)11 月 115 広島県教育委員会規則第15号をもって、本校の位置を福山市木之庄町に改められる
昭和46年(1971年)5 月 117 学校移転落成式挙行
昭和51年(1976年)4月 122 広島県公立高等学校通学区域に関する規制の改正により、第9学区総合選抜制となる
(市内5校による総合選抜)
昭和59年(1984 年)4月 130 総合選抜制一部変更(理数類型を設置)
昭和63年(1988年)4月 134 広島県公立高等学校通学区域に関する規制の改正により、第9学区東部総合選抜制となる
(市内3校による総合選抜)
平成3年(1991年)4月 137 広島県学校設置条例の改正により、通信制課程が独立して広島県立東高等学校となる
平成8年(1996年)2月 142 セミナーハウス完成竣工
平成10年(1998年)4月 144 総合選抜制廃止、総合学科導入
平成12年(2000年)11月 146 南館完成、同窓会館「誠之会館」完成
平成13年(2001年)5月 147 歴史資料室開室
平成16年(2004年)10月 150 創立百五十周年記念式典
平成19年(2007年)3月 153 体育館落成
平成28年(2016年)3月 162 本館建替完成
令和4年(2022年)11月 168 第19回全国藩校サミット福山大会開催
令和5年(2023年)3月 169 第19回全国藩校サミット福山大会記念碑建立