00029和歌「安倍仲麻呂」(頼杏坪)
和歌「安倍仲麻呂」 00029 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
頼杏坪 書 紙本墨書 短冊 36×6 cm |
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訳 注 | |
安倍仲麻呂(あべの・なかまろ) | 奈良時代の文学者(698~770)。717年遣唐留学生として入唐(にっとう)して、玄宗皇帝に仕え、名を朝衡(ちょうこう)と改めた。 753年遣唐使藤原清河(ふじわらの・きよかわ)に従い帰国するため蘇州から船出したが、暴風雨にあい安南に漂着した。ふたたび唐にもどり、鎮南都護に任じられて安南におもむいたが、767年長安に帰り、そこで客死した。 王維・李白らの文人と交わり、遣唐使・留学生のために力を尽くした。唐にあってよんだ歌「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」は有名。 (出典2) |
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(落款)杏坪(きょうへい) | 杏坪は頼杏坪のこと |
出典1:『誠之館記念館所蔵品図録』、61頁、福山誠之館同窓会編刊、平成5年5月23日 出典2:『新世紀ビジュアル大辞典』、80頁、学習研究社編刊、1998年11月9日 |