書「無皇曰今日耽楽」 t0700
阿部正弘
天保12年(1841年)11月
絹本軸装
↓読み ↓読み下し


↓姓名印 ↓雅号印 ↓遊印


↓裏書 ↓箱書(表) ↓箱書(中)


訳 注
「無皇曰今日耽楽」 出典は周書(しゅうじょ)
いとまあき(みじかい暇な時間)
耽楽(たんらく) 酒色にふけりたのしむこと
(落款)阿正弘 阿正弘は阿部正弘のこと
(姓名印)阿部正弘 阿部正弘は阿部正弘のこと
(雅号印)字叔道 叔道は阿部正弘の字
(遊印)戦戦兢兢 おそれつつしむさま。おそれてびくびくするさま。おっかなびっくり。戦兢(せんきょう)
(裏書)辛丑(かのと・うし) ここでは天保12年(1841年)のこと
(箱書・表)阿部正弘 阿部正弘は阿部正弘のこと
(箱書・中)齋藤務全
(さいとう・むぜん)
?〜明治6年(1873年)2月。
名は乗顕、通称は顕三・退蔵・遜、号は監齋・務全。齋藤樵山の弟。福山藩儒。藩主阿部正弘の侍講、藩主阿部正方の読書教授を勤める。
福山木之庄墓地に葬る。
(箱書・中)拳々服膺
(けんけん・ふくよう)
両手で物をたいせつにささげ持つように、常に心にいだいて忘れずに守ること(中庸)。拳々はささげ持つさま、服膺は服をつける、膺は胸、胸につける。 (出典1)
(箱書・中)甲寅(きのえ・とら) ここでは大正3年(1914年)
(箱書・中)齋藤乗坦
(さいとう・のりひら)
弘化4年(1847年)〜大正10年(1921年)。
名は乗坦、通称は友次郎・次郎、二介。齋藤樵山の次男で、齋藤素軒の弟。生来体が弱く、武より文を好む。明治23年(1890年)より芦田・品治・神石・甲奴郡郡長、明治31年(1898年)より芦品・神石・甲奴郡郡長を勤める。
大正6年(1917年)5月1日、阿部家資産管理組織「晩翠舎」に勤務。
勧業共産会検査院として三次に出張中疫病に罹り福山にて没す。
 個人蔵
出典1:『中庸 全訳注』(講談社学術文庫)、69頁、宇野哲人著、講談社刊、1983年2月10日
2010年11月30日追加●2010年12月22日更新:遊印、訳注●2011年1月6日更新:箱書(表)、箱書(中)、訳注、出典●2015年7月16日更新:レイアウト(改頁)●2015年7月28日更新:レイアウト(改頁)●