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福山藩士、弘道館読書掛 | |||||||||
経 歴 | ||||||||||||||||||||||||
生:文化13年(1816年) | ||||||||||||||||||||||||
没:安政元年(1854年)8月24日、享年39歳、昌清寺(東京都文京区本郷1丁目)に葬る、また一心寺(福山市寺町)にも墓があるという | ||||||||||||||||||||||||
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生い立ちと学業、業績 | ||||||||||||||
諱は次功(つぐあつ)、通称は八十郎。山岡機外の長男。 八十郎は幼い時から文武諸芸を兼修し、詠詩及び槍術に長じた。17歳で供番に出仕し、天保7年(1836年)藩校弘道館の読書掛、近習密書を兼ね、ついで大目付、郡奉行ならびに寺社奉行を歴任し、その功を認められた。安政元年(1854年)元締に転じ江戸詰を命じられ、3月家族を伴って着任した。あたかも日米和親条約締結のときで、老中首座にいた主君阿部正弘が、前年ペリー来航以来模索し続けて来た難問に、和親条約締結の結着をつけた時であった。 今日、阿部正弘が日本近代化のために最初の外交路線を引いた名宰相として評価されるのは、水戸斉昭(徳川斉昭)を政堂に引き出し、島津斉彬に聴き、朝廷・諸大名に問い、出自にこだわらず少壮有為の徒を挙用するなど、正弘自身の備える叡知と包容力によって苦心の末生み出した創造的路線であったからである。しかし当時の福山藩は、正弘の施策をまっとうに理解し積極的に支持する体制には達していなかった。阿部正邦以来4人もの老中を出し、徳川幕府の柱石をもって任じた福山藩の大勢は、攘夷佐幕。正弘の養育に当たった門田朴斎、現に君側にあって事務をたすけた関藤藤陰、正弘の学制・軍制に参与した江木鰐水など、頼山陽門下の英才として挙用した儒官も、この期にはなお観念的攘夷尊王を脱しえなかった。 八十郎が着任した時の江戸は大騒ぎで、和親条約を屈辱的条約とし、これを破棄すべしとする意見が支配的で、正弘に対する非難はすさまじかった。八十郎はこの状況に接して慷慨、正弘に直言しようとしたがはばまれ、ついに上書を残し屠腹して果てた。その内容を点描すると 「仄に聞く、官家墨夷と和親せられ、彼の禽獣醜虜の献ずる汚穢の物を廷上に列し之を采納せられ、彼に方物を献呈し、官家亦之に酬ゆと。実に万世の醜辱なり。願くは断然決策し、一粒米一片肉をも遺されず、若し兵端を啓かば、凡そ皇国の臣たるものは其身のあらん限り奮戦し云々」
まことに忠節の情切々としたものがある。 弟宛ての遺書で 「足下御心中も兼而萬・承知仕居候共 御養家御相続之事にも有之旁末永上之御憂苦を御引受幾久敷御奉公御座候様相祈申候」 などとある。弟とは本家次直を継ぎ君側にあって正弘を助けた執政山岡秋崖のことである。 正弘の後、安政の大獄があり、以後大動乱期を迎えるが、不思議にも薩長を中心とする主動勢力と連係を持ち、主家を賊軍の汚名から護り、箱館出兵などを通じて勤王藩として明治政府に繋ぐのは関藤藤陰などの藩儒の他、山岡八十郎の血族・姻族を中核とする同志の働きによるものが大きかった。 山岡八十郎の弟岡田次道の長男山岡謙介は権参事、次男の岡田吉顕は、廃藩置県に際し、知事阿部正桓のもとで大参事となった。 八十郎の子山岡運八、姉の子供大森操兵衛も所を得ている。 |
誠之館所蔵品 | ||||
管理 | 氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 日 付 |
00048 | 山岡次功 書 | 七言絶句「寒風解纜」 | − | 天保年間初期(1830年ごろ) |
出典1:『別冊太陽 江戸家老百人』、116頁・134頁、平凡社編刊、1979年9月25日 出典2:『誠之館記念館所蔵品図録』、65頁、福山誠之館同窓会編刊、平成5年5月23日 出典3:『近世後期の福山藩の学問と文芸』、93頁、福山市立福山城博物館編刊、1995年4月6日 出典4:『郷賢録』、22頁、福田禄太郎著、福山城博物館友の会編刊、平成12年10月1日 出典5:『福山の文人誌』、105頁、濱本鶴賓著、葦陽文化研究会編刊、1988年7月27日 出典6:『福山の今昔』、163頁、濱本鶴賓著、立石岩三郎刊、大正6年4月26日 出典7:『福山学生会雑誌(第55号)』、6頁、福山学生会事務所編刊、大正9年11月25日 |
2005年4月1日更新:出典・関連資料●2006年3月16日更新:所蔵品●2007年12月27日更新:氏名・本文・出典●2008年1月7日更新:誠之館所蔵品●2008年2月5日更新:本文●2008年8月19日更新:本文●2009年7月10日更新:誠之館所蔵品●2009年7月29日更新:本文●2010年3月19日更新:出典●2010年8月30日更新:経歴・出典●2013年3月25日更新:本文●2015年12月8日更新:レイアウト●2016年4月27日更新:経歴● |