福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
津田終吉 津田
つだ・しゅうきち つだ・いさむ
古賀侗庵門下生


経 歴
生:(不明)
没:(不明)
天保ごろ 古賀侗庵に師事
詩会・如蘭社のメンバー


生い立ちと学業、業績
名は賁(いさむ)。終吉は通称か。号を于園、遲菴と称した。津田と江木鰐水がともに古賀侗庵の門下生だった頃、深い交流があった。
姫路の人。


江木鰐水
の『江木鰐水日記』には、天保7年(1836年)1月1日から天保8年(1837年)4月7日までの約一年半の間に13回その名前が出てくる。
鰐水が古賀氏に師事して江戸に滞在していた時期の後半にあたる。
日記によると、天保8年(1837年)4月7日に二人は谷中の天王寺で牡丹を観ようとしたが叶わず、日暮里で満開の躑躅
(つつじ)を愛でたという。
かなり親しい交流だったようだ。
鰐水は、その3日後の4月9日に福山へ向って江戸を発っている。
同窓会所蔵の
漢詩「鰐水送別」は、その内容から想像すると、この時に津田から鰐水へ送別のためにおくられたものであろう。

また二人の師であり昌平黌教授であった古賀侗庵は、如蘭社という詩会を主宰していた。
当然、二人ともにそのメンバーであった。
如蘭社には、福山藩関係では他に
関藤藤陰北條悔堂がいたし、その他では、頼杏坪頼山陽宮原龍など約50名のメンバーがいた。


誠之館所蔵品
管理№ 氏  名 名  称 発 行 日 付
00121 津田賁 書 漢詩「鰐水送別」 天保8年か
03488 津田賁 書 「送 江木君晋戈帰福山序」 天保8年4月


出典1:『大日本古記録江木鰐水日記(上下)』、東京大学史料編纂所編、岩波書店刊、昭和29年3月20日、昭和31年3月15日
2005年6月17日更新:レイアウト●2006年6月27日更新:タイトル・所蔵品●2006年11月8日更新:所蔵品●2007年5月14日更新:氏名・本文・関連情報●2007年5月15日更新:関連情報●2007年5月17日更新:経歴・本文・出典●2008年1月15日更新:本文・関連情報削除●2008年4月30日更新:本文●2009年2月9日更新:経歴・本文・誠之館所蔵品●2016年6月21日更新:氏名・経歴・本文・誠之館所蔵品●2016年7月8日更新:氏名・生い立ちと学業業績・出典●