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誠之館教師、誠之館同窓会副会長 | |||||||||
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経 歴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生:明治16年(1883年)4月15日、広島県沼隈郡赤坂村(現福山市赤坂町)生まれ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
没:昭和39年(1964年)10月26日、享年82歳 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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生い立ちと学業、業績 |
旧姓有木氏、明治16年4月15日沼隈郡赤坂村(現福山市赤坂町)に生まれ、後福山市田中家を継ぐ。明治三十五年県立福山中学を卒え、国学院大学に学び、明治41年同校を卒業。 直ちに母校福山誠之館中学校に教鞭をとり青年学徒の育成勉め、昭和3年職を退く。 その間氏の薫陶を受けた学徒には、福山商工会議所会頭河相寿太郎、福山市長徳永豊、衆議院議員重政誠之、衆議院議員高橋等、参議院議員重政庸徳、日本電発総裁藤井崇治などがおり、今や社会各方面の中堅人物として活躍している。 昭和6年福山三之丸郵便局長を拝命し、昭和23年で18年間郵政事務に尽瘁し、その間方面委員とし民生事業に貢献、現在裁判所調停委員を勤めている。 公職を退いてからは悠々自適、読書に親しみ又囲碁謡曲に余生を楽しんでいる。福山市桜馬場町。 (出典1) |
大正7年(1918年)舎長舎監の話し合いの席で、舎監・田中廉三教諭は寄宿舎の運営方針について、つぎの三つの項目を述べている。中庸妥当な方針と言うべきであろう。 (一)舎風の改善は、舎監と舎生との一致協力にあること。 (二)各舎監が舎生にのぞむ態度を誤解せぬようにせよ。 (三)舎長や舎生で、意見のある者は隔意なく申し出ること。 (出典2) |
出典1:『政治産業文化備後綜合名鑑』、野上五郎・式見静夫編、備後文化出版社刊、昭和34年9月 出典2:『誠之館百三十年史(上巻)』、949頁、福山誠之館同窓会編刊、昭和63年12月1日 |
2004年10月27日更新:経歴●2005年1月24日更新:本文●2005年3月7日更新:経歴●2005年4月8日更新:経歴・出典●2006年6月27日更新:タイトル●2007年7月19日更新:経歴●2007年7月27日更新:経歴●2008年4月28日更新:本文● |