福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
鈴鹿秀満
すずか・ひでまろ
歌 人


経 歴
生:寛政11年(1799年)12月2日、備後国神辺三日市(現広島県福山市神辺町川南)生まれ (*1)
没:明治10年(1877年)10月8日、享年79歳
漢籍を菅茶山に学ぶ
国学、和歌を小寺清先、小寺清之に学ぶ
文政の末(1830年)ごろ 31歳ごろ 京都の吉田家で『日本書紀』を講じ、御笏および鈴鹿の姓を賜わる
天保(1840年)ごろ 41歳ごろ 上京し裁許状を得て、神辺天別豊姫(あまわけとよひめ)神社の宮司
明治初年(1868年) 69歳 安那、品治、芦田三郡の注連頭(しめがしら)に推される


生い立ちと学業、業績
寛政11年(1799年)12月2日、祀職・鈴鹿秀山(平佐帯刀)の長子として神辺町三日市に生れた。姓は平佐(ひらさ)氏。名は宗近、字は魏祖、通称は織部之介(おりべのすけ)・柳舎(りゅうしゃ)・織江・美濃守、号は秀満・翠柳軒蛙遊(すいりゅうけん・けいゆう)・五十余、または帯刀(たてわき)といい、従五位下、能登守、豊後守と称した。また自邸を「柳の舎」と名付ける。

漢籍を
菅茶山に、国学および和歌を笠岡の小寺清先小寺清之に学んだ。

文政の末頃京都の吉田家で『日本書紀』を講じ、御笏および鈴鹿の姓を賜った。神辺天別豊姫神社の宮司で和歌をよくし、その数は二万数千首といわれ、中でも梅および桜百首は世に聞こえている。そのうち梅百首は、
葛原しげる氏によって、後年出版された。神辺町内丁谷(ようろだに)に歌碑がたっている。書も巧みで、遺墨が天別豊姫神社や菅茶山記念館に見受けられる。野之口隆正とも交遊があった。明治の初年、安那、品治、芦田三郡の注連頭(しめがしら)に推された。

明治10年(1977年)10月8日没、享年79歳。墓は、天別豊姫神社境内にある。
   (出典1)


誠之館所蔵品
管理 氏  名 名  称 発行所 発行日
01979
鈴鹿秀満
葛原しげる
『鈴鹿秀満翁遺詠 梅のうた集』 備南文化協会 昭和23年
05505 神辺郷土史研究会 編 『菅茶山とその弟子たち−神辺の歴史と文化 第4号−』 神辺郷土史研究会 昭和51年


(*1)寛政9年情報もあり
出典1:『備後備中先覚者名鑑 郷土を創った人々(上巻)』、29頁、式見静夫編、備後文化出版社刊、昭和36年8月
出典2:『近世後期の福山藩の学問と文芸』、84頁、福山市立福山城博物館編刊、1996年4月6日
関連情報1:『福山学生会雑誌(第50号)』、附13頁、「平佐帯刀と鈴鹿」、五弓安二郎、福山学生会事務所編刊、大正6年1月1日
2006年2月27日追加●2006年6月26日更新:タイトル・所蔵品●2006年8月24日更新:経歴・関連情報●2007年6月4日更新:経歴・本文・関連情報・出典●2007年10月1日更新:経歴・本文・関連情報●2007年12月13日更新:経歴・本文・関連情報削除●2008年8月1日更新:関連情報●2008年12月15日更新:誠之館所蔵品●2009年10月8日更新:誠之館所蔵品●