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日本画家 | |||||||||
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経 歴 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生:明治45年(1912年)4月6日、広島県福山市城見町生まれ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
没:平成13年(2001年)3月20日、享年88歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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「塩出英雄先生を悼む」 同窓会長 岩崎博 |
私共の先輩(昭和六卒)であり、日本画壇の長老である塩出英雄先生はかねてご療養中でしたが、去る3月20日天寿を全うされ88歳の生涯を終えられました。謹んでお悔やみ申し上げます。 わが同窓の極めつきの大先輩ながら、先生は深く福山を愛され、明王院、熊ケ峰、鞆など多くの郷土ゆかりの作品を残されています。そして本校には、寄贈された茶室の緑陰を描かれた大作があり何時も学校玄関の正面に掛けられ拝見しています(*1)。 このようなご縁に甘え、この度の同窓会館の建設にあたり、会館正面の壁に「誠之会館」の四額字の揮毫を直接お願いすることにしました。甥である栗原一雄さん(昭和22卒)から、最近脚を痛めて不自由されていると聞きご無理かと案じましたが、打って返すように「この度は誠之会館の書をかかせて頂き誠に光栄です」と有り難いご返事と共に昔の鍛冶屋町や、府中町での子供の頃の思い出もこまごまと綴られ、改めて先生の郷土に対する愛着の程に感じ入りました。 こうして頂戴した題字は先生の画の署名で拝見する、特徴ある温かく品の良い塩出書跡で、その微妙な運筆を損なわないよう柿原(昭和45卒)、島田(昭和49卒)両常任幹事もかなり苦労されたようです。 11月22日取付けを完了し会館の画龍点睛を果たしましたので写真を届け、5月開館式には是非お出で頂くようお願いしておりました。年初栗原さんから少し具合が良いようだとお聞きし、見て頂けるのを一同楽しみにしていましただけに突然の訃報に驚きました。 しかし先生から賜った題字は、森戸辰男先生の「誠之講堂」、片山宥雄大覚寺長老(昭和11卒)の「誠之館同窓会」「誠之館歴史資料室」のそれとともに、わが同窓会を象徴するものとして、何時までも大きな母校への誇りを後輩たちに与えて下さることでしょう。 改めて賜りましたご厚情に感謝しご冥福を祈ります。 (出典1) (*1:現在は誠之会館の歴史資料室に展示しています)。 |
「美術教育に携わって四十七年」 塩出英雄 |
私は今までに多くの立派な先生達にめぐり会うことが出来た。 幼少の頃大覚寺門跡、高野山金剛峰寺座主を歴任された龍池密雄大僧正に謁し、中学生の頃数屡々教えを受けた。その薫育は生涯忘れることが出来ない。昨年毎日新聞の「めぐりあい」の欄にこのことを書いた。 中学卒業後上京して帝国美術学校に学び、東洋美学の権威金原省吾博士に傾倒し、美学美術史国文漢文等を学び、逝去されるまで27年間にわたり師事した。 また仏教学の泰斗高楠順次郎博士について仏教学を学んだ。先生は同県の大先輩であり、東京帝大に印度哲学科を設けまた新修大正大蔵教編纂された大学者であり、先生にも13年間にわたり親しく教えを受けた。 また本職の日本画は現代日本画壇の最高峰である奥村土牛先生に学生の頃より師事して、既に48年に及ぶ長い師弟の関係である。 このほかにも禅を釈定光老師に学び、茶道を宗編流家元顧問職山岸会水宗匠に学んだ。 謡曲は金春流の本田秀男先生に学んだ。 いずれもその道の著名の人達である。龍池大僧正が遷化されて今年は50回忌に当る。その散逸した詩文を収集し、伝記を編纂して恩徳に報いんと願っている。 学徳兼備の高僧学者芸術家に長年師事することが出来たのは無上の喜びであり、計り知れない薫育を受けた。龍池大僧正は明治維新の廃仏毀釈に際会し、明治12年福山に龍華院を創立し僧侶育成のため学林を設置した。青少年は将来国を背負うてゆく者であるから、大事に育てなければならぬと云われた。金原博士は島木赤彦先生門下の逸材であり、帝国美術学校を創立して美術教育に専心し、晩年は糸魚川に大雲寺塾を作り、敗戦後の農村青年の育成に尽くされた。教育に携わることは男子の本懐であり、これ程尊い仕事はないと云われた。 高楠博士は東京帝大を退官して武蔵野女子学院を設け女子教育に専心した。日本を背負う子供達を産み育てるのは母であるから、女子の教育が一番大事なことであると云われた。かくの如く皆教育のため一生を捧げられた人達である。私も金原博士の要請によって母校に残り、美術教育に携わって何時しか47年の歳月がたった。 創立の際は小さな各種学校であったが、今や東洋一の大きな美術学校となった。ここに至るまでの経営の辛苦は大変なものであった。戦争は学校を廃絶状態にしたが、今思うとよくここまで発展したと今昔の感に耐えない。私もやがて停年を迎えるが、学校の隆盛を見とどけて先師の委嘱に対して約定を果たしたことを喜んでいる。 47年の間には種々なことがあったが、最も困難だったのは、昭和44年の全国的に発生した学生達の紛争激化である。大学は学生達によって封鎖占拠され、教員は監禁されつるしあげられた。ほどんどの先生達は自己批判をさせられ学生に屈服した。私はどうしても自分のやって来た教育が間違っているとは思わないので、頑強に応じなかった。このことは他の大学にも伝わり、手強い教授がいると云うことであった。この時私がつるしあげられている様子を、田中忠雄氏が「侮(あなど)られるキリスト」と云う大作を構造美術展に出品した。教文館発行の「月刊キリスト」の表紙とし私をモデルとしたことを明記している。この時ほどなさけなく思ったことはない。私は学生達に残念だがここに到っては退職するより外ないと話した。ところが学生一同が訪れて来て今先生にやめられては困るから思いとどまってくれと云うので残留した。 昨年5月武蔵野美術大学の美術資料図書館において、私の古稀記念展が開催された時、卒業生達が祝賀会を開いてくれた。この時恩師の金原美学についての講演をしたが、米沢嘉圃学長、町田甲一館長両先生をはじめ、先輩知友卒業生学生達が350人も集って盛大に祝宴を催してもらった。 しかも紛争時に私をつるしあげた学生達も相たずさえて出席し、あの時はご迷惑をかけました、お許し下さいと云う手紙をくれたりした。誠意を以て接すれば何時かはわかってくれると思ったことが実現して、こんなに嬉しいことはなかった。血気の若者達が時勢の波に乗じて行動したことも、年月を経て見ると自づとわかってくるのである。 教育の大本は時勢によって変化すべきものではない。万古一貫してこそ教育である。私は勝れた恩師達の教育に対する誠意を受け継いで、今日まで47年を過ごして来た。「君子務本本立而道生」とは孔子の言葉である。高楠博士は青年の私にこの言葉を書いて与えられた。また金原先生は南ツ田の甌香館画跋の中から「意は遠きを貴ぶ、静かならざれば遠からざるなり、境は深きを貴ぶ、曲(つぶさ)ならざれば深からざるなり。」の語を書いて与えられた。 私はこれを生涯の指針として大事にしている。私も一生を美術教育に捧げたことを幸福に思っている。 (出典2) |
成人時の名は、直照。 |
誠之館所蔵品 | ||||
管理 | 氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 日 付 |
03684 | 塩出英雄 画 | 日本画「樹陰」 | − | 昭和30年 |
03686 | 塩出英雄 書 | 扁額「誠之会館」 | − | 平成13年 |
◎ | ◎ | ◎ | ◎ | ◎ |
z0170 | 塩出英雄 講演 | 「奥村土牛先生について」 | − | 昭和62年 |
04723 | 塩出英雄 著 | 『龍池密雄大和尚伝』 | 六大新報社 | 平成18年 |
◎ | ◎ | ◎ | ◎ | ◎ |
06451 | 中村輝雄 編 | 『青少年へ贈る言葉 わが人生論 広島編(上)』 | 文教図書出版(株) | 昭和58年 |
02110 | 山陽新聞社 編 | 『塩出英雄回顧展』 | 山陽新聞社 | 昭和59年 |
03022 | 朝日新聞社 編 | 『画業60年記念 塩出英雄展』 | 朝日新聞社 | 平成3年 |
02168 | ふくやま美術館 編 | 『塩出英雄展1999』 | ふくやま美術館 | 平成11年 |
02129 | 財団法人日本美術院 編 | 『日本美術院百年史(八巻)』 | 財団法人日本美術院 | 平成11年 |
04417 | 有川文夫 著 | 『如々庵随聞記 塩出英雄先生聞書』 | 六藝書房 | 平成16年 |
04306 | 井原市立田中美術館 編 | 『没後3年塩出英雄遺作展』 | 井原市立田中美術館 | 平成16年 |
出典1:『誠之館同窓会会報(第8号)』、20頁、福山誠之館同窓会編刊、2001年5月1日 出典2:『青少年へ贈る言葉 わが人生論 広島編(上)』、96頁、中村輝雄編、文教図書出版(株)刊、昭和58年4月11日 出典3:『画業60年記念 塩出英雄展』、朝日新聞社編刊、1991年 出典4:『塩出英雄展1999』、ふくやま美術館編刊、1999年 出典5:『龍池密雄大和尚伝』、塩出英雄著、六大新報社刊、平成18年12月16日 |
2005年2月28日更新:所蔵本●2005年5月25日更新:写真・本文・所蔵本出典●2006年2月6日更新:所蔵品●2006年6月13日更新:タイトル・所蔵品・所蔵本●2007年3月13日更新:経歴・所蔵本●2008年4月23日更新:経歴●2010年3月3日更新:経歴・誠之館所蔵品●2010年7月12日更新:写真・経歴・本文・誠之館所蔵品・出典●2010年8月4日更新:本文●2011年2月1日更新:本文● |