福山藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係
誠之館
校長
誠之館
教師
誠之館
出身
誠之館
交流
所蔵品
関係
同窓会
役員
釋南山
俗名
笹野南山
しゃく・なんざん ささの・なんざん
仙台・瑞鳳寺住職
釋南山


経 歴
生:宝暦6年(1756年)、相模国高座郡上九沢村(現相模原市)生まれ
没:天保10年(1839年)11月8日遷化、世寿84歳。名取郡閖上(ゆりあげ)の海に水葬。
明和2年(1765年) 9歳 地元大島村・曹洞宗長徳寺に出家
地元田名・臨済宗南光寺で修行
明和4年(1767年) 11歳 江戸高輪・東禅寺において九世洪道和尚に師事し修行
明和5年(1768年)2月14日 12歳 茶の給仕に際して伊達重村公(仙台藩第7代藩主)の袴の裾に誤って茶をこぼす
江戸湯島麟祥院・峨山慈棹(がさんじとう)禅師に師事
永田東輝庵(現横浜市)・月船禅慧(げっせん・ぜんね)禅師に師事
永田東輝庵(現横浜市)・物先海旭(もっせん・かいぎょく)禅師に師事し印可を受ける
寛政5年(1793年)〜
 天保元年(1830年)
38〜
74歳
仙台瑞鳳寺第14世住職
文化6年(1809年) 54歳 京都・妙心寺に入山、一夜住職となり勅旨による紫衣(しい)を賜る
文政4年(1821年) 65歳 仙台・覚範寺住職を兼務、伊達家政治顧問格
天保元年(1830年) 74歳 仙台瑞鳳山内塔頭・雄心院にて自適の生活


生い立ちと学業、業績
上九沢村名主・笹野政右衛門の次子として生まれる。
俗姓は笹野、南山と号した。道号は古梁
(こりょう)、法諱は紹岷(じょうみん)

峨山慈棹(がさんじとう)禅師をはじめとして多くの師につき修行した。

特に詩文にすぐれ、生涯での詩は2000、文は400といわれる。書にも優れ世に多くの遺墨がある。
中でも誠之館同窓会所蔵の五言絶句「松島離路」の漢詩は師の代表作である。
自作の詩の揮毫を含めて、師の書は全国に数多く現存するという。

南山禅師の生誕地には、師の遺徳を称えるため市民の浄財で昭和37年12月4日に顕彰碑が建てられている。


誠之館所蔵品
管理 氏  名 名  称 制作/発行 日 付
00210 釋南山 書 五言絶句「松島離路」 天保10年(1839年)


2015年11月20日追加●