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藩校誠之館教授、福山藩儒官 | |||||||||
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経 歴 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生:文化4年(1807年)2月24日、備中国小田郡吉浜村(現岡山県笠岡市吉浜)生まれ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
没:明治9年(1876年)12月29日、東京丸山邸において没、享年70歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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生い立ちと学業、業績 |
本姓は関藤、幼名は元五郎(もとごろう)、名は成章(せいしょう)、字は君達(くんたつ)、通称は淵蔵・和介・文兵衛。藤陰と号した。 関藤藤陰は、備中国小田郡吉浜村(現岡山県笠岡市吉浜)の社家兼医師・関藤政信の第4子として、文化4年(1807年)2月、同地に生まれた。母、父、さらに母親代りの伯母も幼時に亡くなったため、6歳の時に備中国後月(しつき)郡西方村の村医石川順介に引き取られ養子となった。彼が明治元年関藤姓に復するまで「石川淵蔵・石川和介・石川文兵衛」などと呼ばれていたのは、この養家の姓を名乗っていたからである。関鳬翁(せき・ふおう)の弟。 石川氏は藤陰のすぐれた素質を見ぬいて、14歳の時笠岡の兄のところへ帰して自由に学問させることにした。笠岡では主として敬業館において小寺清先の薫陶を受けたが、その逝去を機に笠岡を離れ、文政11年(1828年)、頼山陽の門をたたいた。山陽塾に居ること4年、山陽の厚い信頼を受け、その死に臨んでは執筆中の『日本政記』完成の任をまかされた程であった。 その後さらに10年間の江戸遊学時代を経て、天保12年(1841年)郷里へ帰り、福山において開塾していた天保14年(1843年)秋、阿部正弘(第7代)の老中就任から1ヵ月余り後の11月5日、福山藩の儒官に採用された。命により出府した藤陰は、直ちに「君側御用掛」となり、全力をつくして正弘補佐の任にあたった。例えば水戸候徳川斉昭の幽閉解除の運動、藩校誠之館の創立、ペリー来航にあたっての浦賀・下田探索、2回にわたる蝦夷地および樺太の探査行など、いずれも正弘の頭脳と耳目を代行する働きであった。正弘逝去(安政4年6月17日)の報を聞いたのは、北蝦夷からの帰途、シラオイ会所滞留中であった。 その後阿部正教(第8代)の侍講、阿部正方(第9代)の側用役として幕末動乱期の福山藩をささえた。中でも明治元年(1868年)1月9日の長州軍福山城攻囲戦において、「大義親ヲ滅ス」という考え方にたって藩論を統一したうえで和議を成立させた。城下を戦火から救った藤陰の功績は、特筆されるべきものであった。 明治元年(1868年)5月、広島藩から阿部正桓(第10代)が養嗣子として福山城へ入り、10月には正桓によって藤陰は執政に登用された。明治2年(1869年)6月の版籍奉還に際しては、致仕して隠居した。 明治5年(1872年)、阿部家家政差配の依頼をうけて東京へ移住し、それから4年後の明治9年(1876年)12月29日、東京の丸山で没した。享年70歳。東京谷中・天王寺墓地に葬る。 明治5年(1872年)1月、福山市本庄町中4丁目に「小阪山墓田碑」を撰んだ。 女婿の関藤成緒が家を継だ。 昭和3年(1928年)11月の御大典に際し、生前の勲功により正五位を追贈された。 藤陰百回忌に当たり昭和52年2月、藤陰の徳を慕う有志が関藤藤陰遺徳顕彰会を結成し、福山市三吉町の元市民図書館の庭に顕彰碑を建立した。 |
誠之館所蔵品 | ||||
管理№ | 氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 日 付 |
05325 | 関藤藤陰 書 | 七言絶句「地形高處」 | - | 嘉永3年(1850年) |
00049 | 関藤藤陰 画文 | 巻子「蝦夷探査図絵」 | - | 安政4年(1857年) |
05326 | 関藤藤陰 書 | 七言絶句「雙鑑浦図」 | - | 明治5年(1872年) |
04297 | 伝 関藤藤陰 | 『福山藩国事関係録記録底本(全4冊の内上一)』 | - | - |
04584 | 関藤藤陰 差出 | 「生長小十郎宛書状」 | - | - |
07015 | 関藤藤陰 書 | 『虔山先生遺墨』 | - | - |
t0250 | 関藤藤陰 書 | 七言絶句「虞芮争田」 | - | - |
◎ | ◎ | ◎ | ◎ | ◎ |
07009 | 三島中洲 書 | 七言絶句「水閣招魂」 | - | 明治24年(1891年) |
07022 | 川路寛堂 書 | 「徳川斉昭公親書及びその由緒書」 | - | 明治27年(1894年) |
06919 | 関藤不二男 著 | 『よしはま物語』 | 笠岡市立図書館 | 昭和48年 |
04286 | 岡田逸一 著 | 『関藤藤陰十大功績』 | 関藤藤陰遺徳顕彰会 | 昭和49年 |
03462 | 志水主計 著 | 『関藤藤陰 伝記と遺稿』 | 児島書店 | 昭和52年 |
04583 | 森田雅一 著 | 『関藤藤陰小伝』(高梁川第48号所収) | - | 平成2年 |
05201 | 栗谷川虹 著 | 『第4回「岡山・吉備の国」文学賞長編小説部門受賞作品 「備中の二人」』 | 岡山県郷土文化財団 | 平成10年 |
04120 | 栗谷川虹 著 | 『茅原の瓜 小説関藤藤陰伝・青年時代』 | 作品社 | 平成16年 |
04980 | 栗谷川虹 著 | 『四方の波 小説関藤藤陰伝・壮年時代』 | 作品社 | 平成20年 |
06906 | 見延典子 著 | 『敗れざる幕末(小説:福山藩儒者・関藤藤陰)』 | 徳間書店 | 平成24年 |
◎ | ◎ | ◎ | ◎ | ◎ |
z0810 | - | 「関藤藤陰先生ご愛用品」 | - | - |
探しています | ||||
氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 日 付 | コメント |
関藤藤陰 著 | 『文章規範筆記』 | - | - | - |
関藤藤陰 著 | 『詩書筆記』 | - | - | - |
関藤藤陰 著 | 『蝦夷紀行』 | - | - | - |
関藤藤陰 著 | 『観国録』 | - | - | - |
関藤藤陰 著 | 『藤陰舎遺稿』 | 関藤国助 | 明治44年 | - |
関藤藤陰 著 | 『杜詩偶評説』 | - | - | - |
関藤藤陰 著 | 『阿部家傳』 | - | - | - |
関藤藤陰 著 | 『阿部家記近事鈔』 | - | - | - |
関藤藤陰 著 | 『詩尽筆記』 | - | - | - |
出典1:『誠之館記念館所蔵品図録』、65頁、福山誠之館同窓会編刊、平成5年5月23日 出典2:『誠之館百三十年史(上巻)』、20・23・61・62・75・79・107・113・154・189・567・827頁、福山誠之館同窓会編刊、昭和63年12月1日 出典3:『近世後期の福山藩の学問と文芸』、85頁、福山市立福山城博物館編刊、1996年4月6日 出典4:『福山藩の文人誌』、100頁、濱本鶴賓著、葦陽文化研究会編刊、1988年7月27日 出典5:『福山藩の教育と沿革史』、154頁、清水久人著、鷹の羽会本部阿部正弘公顕彰会編刊、1999年8月20日 出典6:『備後備中先覚者名鑑 郷土を創った人々』、24頁、式見静夫編、備後文化出版社刊、昭和36年8月 出典7:『高梁川(第48号)』、2・3頁、「関藤藤陰小伝」、森田雅一、平成2年12月 出典8:『明治維新人名辞典』、544頁、日本歴史学会編、吉川弘文館刊、昭和56年9月10日 出典9:『福山学生会雑誌(第67号)』、目次頁、福山学生会事務所編刊、昭和3年12月30日 出典10:『福山学生会雑誌(第68号)』、2頁、「関藤藤陰先生の傳」、和田英松、福山学生会事務所編刊、昭和4年7月15日 出典11:『今昔物語 福山の歴史(上巻)』、218頁、村上正名著、歴史図書社刊、昭和53年11月20日 出典12:『福山の今昔』、168頁、濱本鶴賓著、立石岩三郎刊、大正6年4月26日 出典13:『福山のいしぶみ散歩』、67頁、「維新の功業 関藤藤陰」、福山市文化財協会刊、1993年5月12日 出典14:『福山のいしぶみ散歩』、133頁、「小阪山墓田碑」、福山市文化財協会刊、1993年5月12日 |
関連情報1:『福山学生会雑誌(第48号)』、附26、「藤陰関藤先生碑」、阪谷素、福山学生会事務所編刊、大正5年7月27日 関連情報2:『福山学生会雑誌(第50号)』、附8、「菅自牧齋先生墓碣銘」、関藤成章、福山学生会事務所編刊、大正6年1月1日 |
2005年3月30日更新:出典●2005年12月16日更新:所蔵品●2006年3月14日更新:所蔵品●2006年4月20日更新:所蔵品●2007年1月18日更新:経歴・本文・出典●2007年4月20日更新:本文●2007年6月28日更新:経歴・出典●2007年11月2日更新:誠之館所蔵品●2008年4月8日更新:本文●2008年7月10日更新:経歴・本文・出典●2008年7月25日更新:関連情報●2008年7月31日更新:関連情報●2008年8月6日更新:本文●2008年8月27日更新:誠之館所蔵品●2008年11月17日更新:関藤藤陰著書・誠之館所蔵品●2009年2月16日更新:誠之館所蔵品●2009年12月18日更新:誠之館所蔵品●2010年2月19日更新:誠之館所蔵品●2010年3月30日更新:写真削除・探しています・出典●2010年6月2日更新:誠之館所蔵品●2012年2月15日更新:本文・出典●2012年2月17日更新:本文・出典●2012年2月28日更新:本文●2012年6月20日更新:誠之館所蔵品●2014年3月20日更新:探しています・関連情報●2014年8月1日更新:誠之館所蔵品●2014年9月4日更新:誠之館所蔵品●2015年2月10日更新:誠之館所蔵品●2015年7月23日更新:誠之館所蔵品●2016年2月9日更新:写真● |