福山阿部藩
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誠之館所蔵品
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歴代役員
佐藤直方
さとう・なおかた
儒 家


経 歴
生:慶安3年(1650年)閏10月21日、福山生まれ
没:享保4年(1719年)8月15日、江戸において亡くなる、享年70歳、麻布土器町瑠璃光寺に葬る
寛文5年(1665年)11月28日 16歳 就学して『大学』を学ぶ
寛文10年(1671年) 21歳 福山藩士永田養庵に学ぶ
寛文10年(1671年)4月15日 21歳 永田養庵に伴い上京する
寛文11年(1672年)11月23日 22歳 京都で山崎闇斎に学ぶ
延宝元年(1673年) 24歳 福山に戻り講筵を開く
延宝3年(1675年) 25歳 槇元眞に招かれて江戸に行く
延宝4年(1676年)6月 26歳 京都に帰る
天和3年(1683年)夏 33歳 槇元眞に招かれて美濃文殊村を訪れる
天和3年(1683年)9月16日 33歳 山崎闇斎がなくなる
貞享元年(1684年) 35歳 『講学鞭策録』を刊行する
元禄4年(1691年) 42歳 水野勝種の招きをうけて江戸へゆく
元禄5年(1692年)3月 43歳 京都に帰る
元禄6年(1692年)春 44歳 水野候から暇を得て浪人する
元禄7年(1694年) 45歳 前橋の酒井忠挙に招かれ江戸へ
元禄7年(1694年) 45歳 本所石原に住む(数年)
元禄8年(1695年)〜
 元禄9年(1696年)ごろ
46〜
47歳ごろ
箕浦吟と結婚
石原の屋敷が類焼し加賀町へ
?〜
 享保4年(1719年)
?〜
69歳
蠣殻町酒井候邸内に移る
宝永元年(1704年)正月 54歳 父七郎兵衛が亡くなる
宝永2年(1705年)3月23日 55歳 酒井忠挙の上洛が決まる、それに随行
宝永2年(1705年)4月25日 55歳 京を出発
宝永2年(1705年)閏4月3日 55歳 江戸に到着
多くの大名から賓師の待遇を受ける
享保3年(1718年)5月11日 68歳 柳原紺屋町二丁目に新築
享保3年(1718年)7月16日〜
 享保3年(1718年)閏10月25日
68歳 京都地方に遊ぶ
享保3年(1718年)11月初旬〜
 享保3年(1718年)12月中旬
68歳 旅の疲れから病にかかる
享保4年(1719年)4月 新築の家に引越し


生い立ちと学業、業績
慶安3年(1650年)閏10月21日、佐藤七郎兵衛休意の子として福山(深津郡市村とも品治郡下安井村ともいう)に生まれた。父は福山藩(藩主・水野勝俊)の下級武士であった。幼名は彦七、のち五郎左衛門と改めた。字や号は用いなかった。剛齋と号したとの説もあるが、誤りであろう。幼少時代は虚弱であったらしいが、身長が6尺2寸(180cm)余りもあって、相当にいかつい風貌で、過激な性格でもあった。就学が16歳とかなり晩かったのも健康上のことがあったのかも知れない。

直方ははじめ、福山藩士で山崎闇斎門下の永田養庵に学び、21歳のとき養庵に伴われて上京し入門を願ったが叶えられず、翌年再び上京して闇斎門に入った。

闇斎門下では、佐藤直方・浅見絅斎
(あさみ・けいさい)・三宅尚斎を崎門三傑とよぶが、彼等は晩年神道に傾倒した師・闇斎には反対して純儒派と呼ばれた。その学問的立場は朱子学を基本とし、しかも依拠すべき文献は、『四書』、『小学』、『近思録』などに限定し、朱子の説く道徳の理論を深く体得することに集中しようとするものであった。

直方は、理知的・合理的な性格で、弁舌にもすぐれ、学問上の議論はよく人を敬服させた。

延宝2年(1674年)、福山に戻り講筵を開いた。間もなく江戸に行き、さらに再び上京して勉学に励んだ。

元禄4年(1691年)、42歳の時、福山藩主・水野勝種の招きをうけて江戸へゆき、翌年俸禄を与えられたが、2年後にはこれを辞退している。そののちも、前橋藩主・酒井侯や、近江彦根藩主・井伊候、伊勢長島・増山候、肥前唐津・土井候、遠江横須賀・西尾候、出羽秋田支藩・佐竹候など多くの大名から尊信されて、賓師の待遇を受け、江戸において講義などの活動を続けたが、禄仕はしなかった。

荻野重祐・渡辺杢兵衛・森自仙・安田京紀など福山藩士の教授にあたった。門下に稲葉迂齋・野田徳勝剛齋・永井行達・三輪執齋・小野崎師由・天木時中・大神澤一・跡部良顕・伴部安崇・長谷川克明・長野退蔵らがいる。

享保4年(1719年)8月14日、唐津藩邸での講義中に倒れ、翌日70歳で没した。戒名は一貫了道居士、麻布土器町瑠璃光寺に葬る。

著書に『講学鞭策録』ほかなど15〜16冊が知られている。


元来、儒者というものは詩文を心得ていた。しかし、闇斎学派のみは、学理研究が大事という考えから詩賦にはあまり意を用いず、むしろ詩文を卑しんでさえいた。なかでも直方の詩文はほとんど残されていない。
   (出典1)〜(出典9)


誠之館所蔵品
管理 氏  名 名  称 制作/発行 日 付 コメント
00241 佐藤直方 著 『講学鞭策録』 出雲寺松栢堂 貞享元年
(1684年)
05573 山本七平 著 『現人神の創作者たち』 文芸春秋 昭和58年 「正統的な儒学者・佐藤直方」


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氏 名 名 称 制作/発行 日 付 コメント
佐藤直方 著 『排釋録』 寿文堂 貞享2年(1685年)
佐藤直方 著 『鬼神論集説』 元禄2年(1689年)
佐藤直方 著 『四書便講』 元禄2年(1689年)
佐藤直方 著 『大學全蒙擇言』 元禄2年(1689年)
佐藤直方 著 『道學標的』 正徳2年(1712年)
佐藤直方 著 『學談雑録』
佐藤直方 著 『しののめ』 貞享2年(1685年)
佐藤直方 著 『おたまき』 貞享2年(1685年)
佐藤直方 著 『論語考』
佐藤直方 著 『張書抄略』
佐藤直方 著 『静坐集説』 享保2年(1717年)
佐藤直方 著 『華夷論断』
日本古典学会 編 『佐藤直方全集』 日本古典学会 昭和16年
永井行達 著 『永井行達録』
永井行達 著 『永井行達所録』
『直方先生説話聞書』
野田剛齋 著 『王學論談』
野田剛齋 著 『生霊死霊説』
野田剛齋 著 『孟子講義』
野田剛齋 著 『詩経講義』
野田剛齋 著 『道體講義』
野田剛齋 著 『徳勝録』
『佐藤直方学話』
『日本道学淵源録』
『霜夜学話』
稲葉迂齋 著 『迂齋文集』
稲葉迂齋 著 『迂齋先生学話』
稲葉黙齋 著 『牛島随筆』
稲葉黙齋 著 『六七録』
稲葉黙齋 著 江戸後期
三宅尚齋 著 『黙識録』
『摘古採要』
室鳩巣 著 『兼山麗澤秘策』
『墨水一滴』
『孤松全稿』
『廣儒林傳』
『先達遺事』
菅野兼山 著 『兼山所録』



出典1:『誠之館記念館所蔵品図録』、71頁、福山誠之館同窓会編刊、平成5年5月23日
出典2:『近世後期の福山藩の学問と文芸』、83頁、福山市立福山城博物館編刊、1996年4月6日
出典3:『福山藩の文人誌』、12頁、濱本鶴賓著、葦陽文化研究会刊、1988年7月27日
出典4:『郷賢録』、41頁、福田禄太郎著、福山城博物館友の会編刊、平成12年10月1日
出典5:『備後備中先覚者名鑑 郷土を創った人々』、26頁、村田露月・式見静夫編、備後文化出版社刊、昭和36年8月
出典6:『誠之館百三十年史(上巻)』、9・1070頁、福山誠之館同窓会編刊、昭和63年12月1日
出典7:『福山学生会雑誌(第41・42・44・45・48・49号)』、各附1頁、「佐藤直方先生伝」、和田英松、福山学生会事務所編刊、大正2年12月20日〜大正5年11月5日
出典8:『福山学生会雑誌(第50号)』、附1頁、「佐藤直方先生の出生地に就いて」、和田英松、福山学生会事務所編刊、大正6年1月1日
出典9:『備後人物風土記−歴史をつくった人々−』、218頁、村上正名著、歴史図書社刊、昭和52年10月31日
関連情報1:『現人神の創作者たち』、110頁、「正統的な儒学者・佐藤直方」、山本七平著、文芸春秋刊、昭和58年8月20日
2005年3月29日更新:経歴・所蔵品・出典●2006年3月13日更新:所蔵品●2006年6月26日更新:タイトル●2007年9月19日更新:経歴●2008年4月23日更新:本文●2008年7月17日更新:出典●2008年7月18日更新:著書及び関連書●2008年7月22日更新:本文・著書及び関連書●2008年11月25日更新:経歴・著書及び関連書・誠之館所蔵品・出典●2009年5月19日更新:経歴●2010年2月15日更新:著書及び関連書・誠之館所蔵品・関連情報●2010年3月11日更新:経歴・著書関連書(削除)・探しています●