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儒 家 | |||||||||
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経 歴 | ||||||||||||||||||||||||
生:安永元年(1772年)10月20日、江戸浜町・美濃岩村藩藩邸生まれ | ||||||||||||||||||||||||
没:安政6年(1859年)9月24日、享年88歳、江戸麻布の深広寺に葬る | ||||||||||||||||||||||||
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生い立ちと学業、業績 |
江戸時代後期の儒者。初めの名は信行(のぶゆき)、通称幾久蔵。21歳の時、名を坦(たいら)、通称を捨蔵に改めた。字は大道(たいどう)、一斎・愛日楼・老吾軒は号である。また仲間たちから「陽朱陰王(ようしゅいんおう)」と呼ばれた。安永元年(1772年)10月20日、江戸浜町にある美濃岩村藩藩邸で、家老職の父佐藤信由(のぶより)と下総国関宿藩の家老蒔田助之進(まきた・すけのしん)の五女である母留(とめ)との間に、二男二女の次男末子として生まれた。一斎が生まれた時、長男はすでに夭折していた。祖父は佐藤信全。 幼少から読書を好み、礼法・書道・武芸に優れた。寛政2年(1790年)19歳の時、藩主松平乗保の近習となったが、それ以前から、前藩主松平乗蘊の第三子で、一斎の父がその烏帽子親となった4歳年長の松平衡(まつだいら・まもる)と親交があり、儒学をともに学んだ。その後井上四明・鷹見星皐の門に出入りし、徂徠学に反駁し、寛政3年(1791年)20歳の時、職を辞し、京坂の中井竹山・林錦峯について儒学を修めた。22歳、大学頭林信敬に入門した。その年、この信敬が没し、嗣子がなく、幕命によって衡が林家第8代の大学頭をつぐと、一斎は、衡すなわち林述斎の門人となった。一斎と述斎の親交は終生かわらず、34歳、一斎は林家の塾長になっている。同門に松崎慊堂(まつざき・こうどう)がいて、二人の友好は生涯つづいた。 述斎が没するまで林家の門人という私的な立場に終始した一斎は、述斎が没した年、天保12年(1841年)に70歳ではじめて幕府の儒臣となり、昌平黌の官舎に移り、この後、将軍はじめ諸大名にまねかれて講義をした。岩村藩との関係では、55歳の時、老臣の列に加えられた。博識・温厚篤実で名声高く、一斎の思想は幕末の武士の己れを律する姿勢を窺わしめるものとして注目されるが、その儒学は陽朱陰王と評された。朱子学を奉ずる林家の塾に籍をおいたが、彼の陽明学への関心は林家に入門する以前からのもので、入門以後もしばしば陽明学者とみなされている。彼自身は、朱子学と陽明学とを対立するものとは考えず、その折衷のなかに孔孟の精神をうかがうことを求めた。 著書に『言志四録』と総称される『言志録』(文政13年=天保元年、1830年刊)、『言志後録』(天宝8年、1837年以後刊)、『言志晩録』(嘉永3年、1850年刊)、『言志耋録』(安政元年、1854年刊)がある。これらは思いつくままに箴言・所信を書きためたもので、『言志録』は42歳より52歳まで、『後録』は57歳より66歳まで、『晩録』は67歳より78歳まで、『耋録』は80歳より82歳までのものである。このほか、『周易』、『論語』、『孟子』、『大学』、『中庸』、『小学』、『易学啓蒙』、『近思録』、『伝習録』などそれぞれの「欄外書」(註釈書)、また『哀敬編』、『呉子副註』、『孫子副註』、『愛日楼文詩』、『古本大学旁釈補』、『腹暦』などがある。 安政6年9月24日、88歳で没し、江戸麻布の深広寺に葬られた。釈号は惟一院成誉大道居士。墓碑には惟一先生佐藤府君之墓と刻まれている。 一斎の門を叩いた者には、渡辺崋山・佐久間象山・山田方谷・池田草庵・東(ひがし)沢瀉・吉村秋陽・安積艮斎・河田迪斎:林鶴梁・大橋訥菴・河田藻海・竹村梅斎・横井小楠、中村正直などがあり、著書から影響を受けた者に吉田松陰・西郷隆盛がある。なかでも隆盛が『言志四録』より百一ヵ条を抄出した『南州手抄言志録』を座右の誡としたことは有名である。 また一斎は、天文学や暦学にも大いなる興味を持ち、天文学者や暦学者に師事したり、親しく交流することが多かったという。 さらに一斎は、相当な時計コレクターだったらしく、『懸錘時器雑記』、『時辰表雑鈔』、『洋製測時器記』、『自鳴鐘時刻考』など、時計に関する著書も多い。 (出典2〜4) |
福山藩関係者としては、山室武左衛門(吸古)が文化7年(1810年)ごろ入門しており、また北條悔堂が文政10年(1827年)ごろに学んでいる。 |
誠之館所蔵品 | ||||
管理 | 氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 日 付 |
00114 | 佐藤一斎 差出 | 書簡「当の略儀にて」 | − | − |
00717 | 佐藤一斎 著 | 和本『言志録』 | 林書房 | 明治31年 |
00718 | 佐藤一斎 著 | 和本『言志後録』 | 林書房 | 明治31年 |
00719 | 佐藤一斎 著 | 和本『言志晩録』 | 林書房 | 明治31年 |
00720 | 佐藤一斎 著 | 和本『言志耋録』 | 林書房 | 明治31年 |
◎ | ◎ | ◎ | ◎ | ◎ |
05460 | 佐藤一斎 著 久須本文雄 全訳注 |
『座右版 言志四録』 | 講談社 | 平成6年 |
05238 | 佐藤一斎 著 岬龍一郎 編訳 |
『言志四録[現代語抄訳]』 | PHP研究所 | 平成17年 |
04851 | 渡邉五郎三郎 監修 | 『佐藤一斎一日一言『言志四録』を読む』 | 致知出版社 | 平成19年 |
05570 | 長尾剛 著 | PHP文庫『論語より陽明学』 | PHP研究所 | 平成22年 |
出典1:『佐藤一斎一日一言『言志四録』を読む』、渡邉五郎三郎監修、致知出版社編刊、平成19年6月15日 出典2:『国史大辞典6』、406頁、吉川弘文館編刊、昭和60年11月1日 出典3:『明治維新人名辞典』、457頁、日本歴史学会編、吉川弘文館刊、昭和56年9月10日 出典4:『知りたいサイエンス 江戸の天文学者 星空を翔ける−幕府天文方、渋川春海から伊能忠敬まで−』、229頁、中村士著、技術評論社刊、平成20年7月25日 出典5:『言志四録[現代語抄訳]』、佐藤一斎著、岬龍一郎編訳、PHP研究所刊、2005年6月10日 |
2007年1月12日追加●2007年1月16日更新:経歴・本文・所蔵品●2008年1月15日更新:経歴・本文・関連情報削除●2008年2月29日更新:写真・誠之館所蔵品●2008年12月4日更新:本文・誠之館所蔵品・出典●2010年2月2日更新:本文・誠之館所蔵品・出典●2010年2月8日更新:誠之館所蔵品●2014年7月19日更新:誠之館所蔵品●2015年12月22日更新:誠之館所蔵品● |