福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
阪谷朗廬
さかたに・ろうろ
儒学者
阪谷朗廬


経 歴
生:文政5年(1822年)11月17日、備中国川上郡九名村(現:岡山県井原市美星町明治)生まれ
没:明治14年(1881年)1月15日、小石川春日町で病没、享年60歳
文政10年(1827年) 5歳 奥野小山門に入塾
文政12年(1829年) 7歳 大塩平八郎(大塩中斎)の洗心洞に入門
天保3年(1832年) 10歳 江戸において同郷の昌谷精溪(さかや・せいけい)に学ぶ
天保3年(1832年) 10歳 巻菱湖に書を学ぶ
天保8年(1837年)5月 15歳 父良哉が没す
天保9年(1838年) 16歳 昌谷精溪門に帰参する
天保9年(1838年) 16歳 古賀侗庵の久敬舎に入門
天保12年(1841年) 19歳 江木鰐水と北陸京坂を経て帰郷
天保14年(1843年) 21歳 古賀塾へ帰参
弘化元年(1844年)3月 22歳 房総方面を歴遊
弘化元年(1844年)5月 22歳 古賀塾の都講
弘化3年(1846年)8月 24歳 日光、会津、米沢、仙台、松島、南部地方を歴遊
弘化4年(1847年)4月 25歳 中山道、大坂経由で帰郷
弘化4年(1847年)9月 25歳 福山に江木鰐水を訪ねる
嘉永元年(1848年)3月 26歳 江木鰐水を訪ねる
嘉永元年(1848年)3月 26歳 防州で妙円寺月性を訪ねる
嘉永元年(1848年)8月 26歳 山成恭と結婚
嘉永元年(1848年)10月 26歳 大坂において洋学の修行を始めるが母親の急病により帰郷
嘉永2年(1849年) 27歳 雲州を歴遊
嘉永3年(1850年)8月 28歳 作州を歴遊
嘉永4年(1851年) 29歳 後月郡簗瀬村に桜溪塾(さくらだに・じゅく)を開く
嘉永6年(1853年)3月 31歳 鞆対潮楼で山路機谷の開いた大詩会に参会
嘉永6年(1853年)4月 31歳 母・政が没する
嘉永6年(1853年)10月 31歳 郷校興譲舘の督学
安政2年(1855年)2月 33歳 森田節齋と福山に行き江木鰐水、山路機谷を訪ねる
安政4年(1857年)3月 35歳 森田節齋・江木鰐水を井原不言溪に案内
万延元年(1860年)3月 38歳 四国丸亀に日柳燕石(くさなぎ・えんせき)を訪ねる
万延元年(1860年)秋 38歳 備後国山野竜頭滝を探勝
文久2年(1862年)5月 40歳 福山へ来遊した緒方洪庵を、江木鰐水とともに訪ねる
文久2年(1862年)6月 40歳 来訪した日柳燕石と矢掛で舟遊び
文久2年(1862年)8月 40歳 備中松山に三島中洲らを訪ねる
文久2年(1862年)9月~
 文久3年(1863年)2月
40~
41歳
鎮西発気の旅
文久2年(1862年)12月 41歳 長崎で林雲逵と筆談
慶応元年(1865年)3月 43歳 渋沢栄一が来訪
慶応2年(1866年)6月 44歳 徳川慶喜に謁見、経書を講義
慶応2年(1866年)12月 45歳 幕府に「掲示上言」を提出
明治元年(1868年)1月 45歳 広島藩兵が鎮撫のために備中に攻め来たとき朗廬が奔走して一橋代官所を恭順させて戦禍を免れる
明治元年(1868年)11月 47歳 広島浅野侯に聘せられ賓師となる
明治2年(1869年)4月 47歳 藩命により上洛
明治2年(1869年)6月 47歳 帰藩
明治3年(1870年)4月 48歳 墓参のために帰郷
明治3年(1870年)11月 49歳 藩侯に従い上京
明治4年(1870年)7月 49歳 廃藩置県のために致仕
明治4年(1870年)7月18日 49歳 浅草橋場町に転居
明治4年(1870年)11月 50歳 本所緑町に転居
明治5年(1872年)1月19日 50歳 家族が上京
明治5年(1872年)4月 50歳 陸軍省八等出仕
明治5年(1872年)5月 50歳 参謀局地理図誌編集掛
明治5年(1872年)10月 50歳 陸軍省辞任
明治5年(1872年)11月 51歳 正院八等出仕
明治6年(1873年)5月 51歳 文部省八等出仕、編集課勤務
明治7年(1874年) 52歳 明六社に加入し次々と論文を発表
明治7年(1874年)11月 53歳 文部省を退職
明治8年(1875年)1月 53歳 正院政表課御用掛
明治8年(1875年)3月 53歳 洋々社創立に参加、次々と論文を発表
明治8年(1875年)7月10日 53歳 駿河台東紅梅町に転居
明治8年(1875年)9月 53歳 正院が廃止のため退職
明治8年(1875年)10月 53歳 大審院御用掛
明治9年(1876年)4月 54歳 修身学舎を設立
明治9年(1876年)5月 54歳 小石川水道橋春日町へ転居
明治10年(1877年)1月~6月 55歳 大審院判事
明治10年(1877年)9月 55歳 警視局雇
明治11年(1878年)12月 57歳 東京学士会院の互選会員
明治12年(1879年)2月 57歳 内務省警視局御用掛
明治12年(1879年)8月 57歳 警視局辞任
明治13年(1880年)1月 58歳 福沢諭吉提唱の交詢社設立に参加、常議員
明治13年(1880年)6月 58歳 斯文学会が創立され、その文学教授
明治13年(1880年)秋 58歳 自宅内に春崖学舎が落成


生い立ちと学業、業績

生い立ちと学業
備中国川上郡九名村
(くみょうむら)(現岡山県井原市美星町明治)の旧家の三男として生まれた。
父は阪谷良哉で幕府代官の属吏、母は山成氏。
本名は素
(しろし)、字は子絢(しけん)、通称は素三郎(そさぶろう)・希八郎、朗廬は号である。
阪谷芳郎は朗盧の四男。

父の仕事に従って文政年間に大坂へ行き、大塩平八郎(大塩中斎)の洗心洞に入門、のち江戸に行き、同郷の昌谷精溪(さかや・せいけい)に学び、のち
古賀侗庵の久敬舎に学びその塾頭をつとめた。

業績
26歳のとき、帰郷して後月郡(しつき・ぐん)簗瀬村に桜溪塾(さくらだに・じゅく)を開いて育英に努めた。
嘉永6年(1853年)、後月郡西江原村(現井原市)に新たに設立された郷校興譲館の督学に迎えられ、明治維新まで教育に専念、碩儒朗廬の名声はしだいに高まった。

明治元年(1868年)11月興譲館を甥の
坂田警軒に譲り、広島浅野侯の賓師となったが、明治4年(1871年)秋、東京に転居、廃藩後維新新政府の官吏として出仕した。
明治11年(1878年)には東京学士会院に最年長の同人として参加、互選会員に選出された。
明治14年(1881年)1月15日病没。享年60歳。

学は程朱を宗として性理におぼれず、また文章を能くした。
著書には、『朗廬文鈔』、『左説私鈔』、『田舎話』、『評註東莱博識』、『日本地理書』、『朗廬全集』などがある。

三島中洲撰の「朗廬阪谷先生碑」は、東京谷中墓地と、井原興譲館の小高い丘に建っている。

福山との交流
福山藩関係としては、幕末維新期、福山藩政の指導者であった
関藤藤陰江木鰐水などと親交があったことで知られる。
旧福山市立図書館(福山市三吉町)の庭にある「藤陰関藤先生碑」、および福山城址公園の
寺地強平顕彰碑「舟里寺地先生碑」は、いずれも阪谷朗廬の撰である。
また平成元年(1989年)、福山市山野町竜頭の滝入口に中洲の詩書をもとに「竜頭の滝詩碑(秋気漲天関)」が建てられている。
   (出典1~6)


誠之館所蔵品展示品
管理№ 氏  名 名  称 制作/発行 日 付
00338 阪谷朗廬 書 七言絶句「悠々四海」 元治元年(1864年)
00351 阪谷朗廬 撰 拓本「舟里寺地先生之碑」 明治11年(1878年)
00059 阪谷朗廬 書 七言絶句「霜月」
05324 阪谷朗廬 書 五言絶句「人生一時快」
t0880 阪谷朗廬 書 五言絶句「冷々撃菊水」
t1080 阪谷朗廬 書 五言絶句「疊嶂波間落」
00107 佐倉孫三 書「奉壽江木鰐水翁七十」 明治12年(1879年)
07009 三島中洲 七言絶句「水閣招魂」 明治24年(1891年)
05495 山下五樹 著 『岡山文庫177 阪谷朗廬の世界』 日本文教出版 平成7年(1995年)
07148 佐々木龍三郎 著 『ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む 童謡詩人 葛原しげるの生涯』 文芸社 平成26年(2014年)
07419 井原市教育委員会 編刊 『井原歴史人物伝 郷土が生んだ偉人たち』 井原市教育委員会 平成28年(2016年)


探しています
氏  名 名  称 制作/発行 日 付
阪谷朗廬 著 『朗盧文鈔』 博文社 明治18年(1885年)
阪谷朗廬 著 『朗盧全集』
阪谷朗廬 著 『左説私鈔』
阪谷朗廬 著 『田舎話』
阪谷朗廬 著 『評註東莱博識』
阪谷朗廬 著 『日本地理書』
阪谷芳郎 著 『贈位五位阪谷朗盧先生事歴』 大正5年(1916年)
阪谷芳郎 著 『阪谷朗盧先生五十回忌記念』 昭和4年(1929年)
国立国会図書館専門資料部 編 『阪谷朗盧関係文書目録』 国立国会図書館 平成2年(1990年)
山下五樹 編 『阪谷朗盧先生書簡集』 平成2年(1990年)
三浦叶 著 『就実論叢(第13号)』、「活儒阪谷朗盧」
山田芳則 著 『就実女子大学史学論集(第3号)』、「阪谷素論」


出典1:『井笠路探訪』、岡山県井笠地方振興局編刊、平成12年4月27日
出典2:『誠之館記念館所蔵品図録』、68頁、福山誠之館同窓会編刊、平成5年5月23日
出典3:『明治維新人名辞典』、440頁、日本歴史学会編、吉川弘文館刊、昭和56年9月10日
出典4:『岡山文庫177 阪谷朗廬の世界』、山下五樹著、日本文教出版、平成7年11月20日
出典5:『福山のいしぶみ散歩』、172頁、「竜頭の滝詩碑」、佐野恒男著、福山市文化財協会刊、1993年5月12日
出典6:『井原市歴史人物伝 郷土が生んだ偉人たち』、28頁、井原市教育委員会編刊、平成20年1月31日
2004年12月17日:更新●2005年6月16日更新:レイアウト・経歴(小田郡→井原市)・所蔵品●2006年10月6日更新:所蔵品●2007年1月18日更新:経歴・本文・出典●2007年11月8日更新:経歴・本文●2008年1月15日更新:本文●2008年2月22日更新:本文(興譲舘→興譲館)●2008年4月23日更新:本文●2009年2月13日更新:誠之館所蔵品●2009年10月5日更新:経歴・誠之館所蔵品・出典●2011年9月14日更新:経歴・本文●2012年2月20日更新:本文・出典●2012年6月6日更新:誠之館所蔵品展示品●2014年3月11日更新:誠之館所蔵品展示品●2014年3月12日更新:誠之館所蔵品展示品・探しています●2014年10月30日更新:誠之館所蔵品展示品●2015年2月10日更新:誠之館所蔵品展示品●2015年10月6日更新:誠之館所蔵品展示品●2016年12月29日更新:経歴・生い立ちと学業業績・誠之館所蔵品展示品・出典●