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東京工業大学教授、拓殖大学学長、工学博士 | |||||||||
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経 歴 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生:昭和7年(1932年)8月24日、広島県深安郡大津野村(現福山市大門町)生まれ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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生い立ちと学業、業績 |
広島県深安郡大津野村(現福山市大門町)にて坂田安一の次男として生まれた。 昭和27年(1952年)福山東高等学校(現福山誠之館高等学校)を卒業。 同年東京工業大学に入学し、機械工学を専攻、昭和31年(1956年)卒業した。 同年、三菱日本重工業鰍ノ入杜し、横浜造船所・造機工作部に勤務した。 昭和32年(1957年)2月退社し、恩師の推薦により東京工業大学精密工学研究所・助手に採用され、機械力学研究室に所属して振動工学と材料力学の研究に従事した。 当時は造船ブームと呼ばれ、日本の工業が急速に発展した時期であった。 原動機として将来性に富むジェット・エンジンやガス・タービンなど高速回転体の高温強度の研究を行った。 この研究に対して、昭和39年(1964年)東京工業大学より工学博士の学位を授与された。 また、当時電力の鬼と称された松永安左右衛門翁を称えるために設立された「松永記念科学振興財団」より研究助成金を授与された。 昭和40年(1965年)東京工業大学助教授に昇任し、昭和44年(1969年)から1年間、文部省在外研究員として米国カリフォルニア大学バークレイ校に留学して材料力学の新しい分野である破壊力学の研究に従事した。 昭和50年(1975年)東京工業大学教授に昇任した。 平成元年(1989年)保健管理センター所長兼務を命じられ、学生・教職員の健康管理を推進した。 学会活動では、日本機械学会、日本材料学会などに所属し、昭和52年(1977年)に日本機械学会材料力学部門委員長、昭和60年(1985年)に同破壊力学研究分科会主査に就任して研究組織の運営に従事した。 この間、昭和55年(1980年)に日本機械学会論文賞を授与された。 昭和61年(1986年)に破壊研究国際会議の要請によって、アジア地区における破壊力学研究の振興を図るために、極東地区破壊力学研究グループを組織して、事務局長として運営にあたり、上海、北京、シンガポール、東京などで国際会議または研究集会を組織・運営した。 昭和63年(1988年)3月にカリフォルニア大学バークレイ校からスプリンガー特別教授の称号を受け、約1ケ月間同校大学院において破壊力学の講義と研究発表を行った。 平成2年(1990年)日本材料学会副会長として同学会の運営に従事した。 平成4年(1992年)文部省学位授与機構特別審査委員(機械工学)、平成6年(1999年)日本学術振興会審査委員(物理系)を委嘱された。 産業界との関連については、昭和43年(1968年)から約20年間にわたって日本放送協会(NHK)総合技術研究所の嘱託として放送機器の開発に協力した。 昭和54年(1979年)高圧ガス保安協会の委嘱によって、米国における化学プラント保安技術を調査・研究するために、化学工業界およびプラントメーカーの技術者約10名からなる調査団の団長として、米国の大学、公的研究機関、企業の研究所などを2週間に亘って訪問し、得られた情報に基づいて「米国保安情報調査団報告書」を刊行するとともに、国内で報告会を開催して化学プラントの保全に対する破壊力学的手法の普及に協力した。 昭和61年(1986年)から火力原子力発電技術協会・石炭ガス化発電委員会委員、平成3年(1991年)から通産省の外部機関である新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)石炭技術分科会委員として石炭ガス化複合発電用テスト・プラントの開発に協力した。 平成9年(1997年)から労働省管轄下の日本ボイラ協会事前審査委員会委員としてプラントの安全検査法の改善に協力した。 平成5年(1993年)3月東京工業大学を停年退職して、東京工業大学名誉教授の称号を授与された。 同年拓殖大学工学部教授に就任し、平成9年(1997年)に工学部長、平成11年(1999年)に拓殖大学学長に任命された。 同年文部科学省による5ヶ年事業「私立大学学術研究高度化推進事業・ハイテク・リサーチ・センター事業」に応募・採択され、「拓殖大学先端工学研究センター」を発足させてセンター長を兼務し、「セラミックス系先端複合材料の超高温環境下における材料特性評価技術に関する研究」を実施した。 平成12年(2000年)に材料力学の研究に対して日本機械学会材料力学部門功績賞を授与された。 平成15年(2003年)3月同大学を停年退職し、学長を辞任し拓殖大学名誉教授の称号を授与された。 東京工業大学で36年間、拓殖大学で10年間教育・研究に従事した。専門分野は機械工学(振動工学、材料力学、破壊力学)。 この間、機械工学に関して出版した主な著書は、 『固体力学』(朝倉書店)昭和50年(1975年)、 『工学力学』(共立出版)昭和52年(1977年)、 『振動と波動の工学』(共立出版)昭和54年(1979年)、 『機械力学』(コロナ杜)昭和59年(1984年)(共著)などである。 また、材料力学および機械カ学に関する学術論文約200編を国内外の学会誌・専門誌に発表した。 鍋島喜八郎(昭和28年卒) |
「大学教育の問題点 ― 教育懇談会の挨拶より −」 坂田勝(昭和27年卒) |
逆境への挑戦は教育から 我が国は1980年代までは、産業経済はもとより、教育、文化、国際交流など世界から注目される発展を遂げてきました。 高等教育では、同年齢の50%近くが大学レベルの教育を受けるに至っています。 しかし、90年代からは、バブル崩壊・金融機関の破綻を契機とする経済不況と産業の停滞に加えて、教育と社会倫理の低下、少子化と高齢人口の増加など、多くの社会問題を抱えるようになりました。 これに対して、国家として確固たる方針と対策が講じられているとは言えない現状です。 さらに、イラク戦争の処理、北朝鮮による拉致と核開発など多くの国際問題が発生して、我が国の前途は楽観出来ない状況にあります。 英国の歴史家アーノルド・トインビーは、文明と国家の発展は逆境への挑戦から始まり、その衰退は指導者が創造力と未来に対する決定能力を欠き、国民の価値観が分裂し、民族が挑戦への意欲を失うことにあると述べています。 現在、我が国が失いかけている活力を回復するためには、冷静な洞察と判断に基づく挑戦が必要です。 21世紀は「知識基盤社会」と言われ、学問的な知識による方策の確立と実行力が重要な時代になると予測されています。 わが国の特徴は天然資源に恵まれないことにあります。石油の殆ど全てと、食料の約70%を輸入に頼っています。 これらの輸入は科学技術の成果である工業製品の輸出によってまかなわれています。 これが不可能となれば我が国は存亡の危機に曝されます。 我が国の資源は人間の能力だけであります。 国の発展には教育による人間の能力開発以外の道は考えられません。 教育の現状と問題点 我が国の教育全般に凋落の傾向があることは否定できません。 初等・中等教育では学力と教育理念の問題が指摘されています。 2001年にOECD(経済協力開発機構)が行った世界31ケ国の15歳の生徒の学力試験では、従来上位を占めていた日本は8位でした。 1位は教育改革を実行したフィンランドでした。 この試験は従来のように知識を記憶しているか、正しく理解しているかを調べる形の試験ではなく、新しい学力としてのリタラシイの考えに基づいた試験でした。 テキストとして与えられた考え方や資料を読んで理解し、それを利用して熟考・判断して得た結果を表現する力を試すという試験です。 今後実現されるであろう「知識基盤社会」では、知識を持っているだけでなく、生きるための手段として活用する能力を養う教育が重視されるためです。 高等教育においても問題は同様です。 我が国の大学では学生の勉学意欲と知識レベルが低下し、見識と責任感が欠除していることが指摘されています。 たとえば、外国人の教授の多くは「日本の学生は勉強しない、幼稚だ」と言っています。 しかも、大学はその責任を中学・高校のゆとりの教育にあるとし、中学・高校は小学校の学級崩壊にあるとし、小学校は家庭の躾つけを怠っている父母にあるとする風潮が見られます。 最終的には、そのような父母を教育した大学が悪いことになり、責任不在の循環論に帰着します。 この様な現状を改善するには、初等教育から、高等教育に至るまでの各々の教育機関が他をあげつらうことなく、自らの責任で改善する以外の道はあり得ないことは明らかです。 大衆化時代の大学教育 大学教育が変質した理由の1つとして、進学率が50%近くなったことが挙げられます。 新制大学が発足した当時1950(昭和25)年の大学は149校、短大は201校、大学短大への入学者は11万人、教員は1万3千人でした。 約50年後の2000(平成11)年には、大学は622校、短大は585校、入学者は75万人、教員は16万6千人になっています。 現在の大学の教員数は50年前に大学に入学した学生数よりも遙かに多いのです。 このような進学状況になっているにも拘わらず、大学教育が学生と社会の要請に実質的に対応していない、従って大学教育の改革が必要であるというのが大方の議論です。 改善のための2つの方策が考えられます。大学制度と教育の質の改革です。 大学制度の改革 現在、国立大学の法人化が進められていますが、我が国の国公立大学は約170校です。 国公立・私立の大学がともに画一的な基準で設置され、画一的な規則で運営されているのが実状です。 進学率が10%程度の頃の大学と同じレベルの教育をすることは困難です。 年々教育レベルと学生の勉学意欲が低下しているというのが、教員にほぼ共通した見解です。 米国の大学の進学率は50%を超え、現在3500校以上の大学があります。 20年も以前に大学の大衆化に直面した米国では、大学の機能を分けて博士養成大学(約250校)、修士養成大学(約500校)、学士養成大学(約650校)、短期大学およびコミュニテイ・カレッジなど(約2000校)の4つに分けて、それぞれの目的に適した教育を行う方策を取りました。 最近ではコミュニテイ・カレッジと生涯学習の充実に力を入れている州が目立っています。 そして、単位の相互認定と学生の大学間の移動が弾力的に行われるように留意しています。 我が国の大学は建前としては、総ての大学が同じレベルの教育をしています。 しかし、能力の高い学生には勉学意欲を失しなわせ、ついて行けない学生には私語と居眠りの教室を提供する結果になっています。 知識獲得への挑戦を忘れて、卒業に必要な、従って就職に必要な単位さえ取得できればよい、多くの時間はアルバイトにあてるという学生が少なくないのです。 これが致命的な破綻を来していないのは、高校、予備校などが大学の実状を調査して学力に応じた進学指導をしているためと、企業が本音による選択によって人材を採用しているためと思われます。 進学率が高いのは喜ぶべきですが、画一的で実状に合わない制度で教育するのは、国家的損失ともいえるでしょう。 いわゆる平等社会の我が国ですから、抜本的な改革が困難なことは十分理解出来ますが、放置することは出来ない問題です。多くの方策が提案されているので、文部科学省と各大学はもっと勇気をもって、改革にあたる必要があるでしょう。 教育目標の再確認(人間性・専門性・国際性) 大学が教育と研究の場であることは言うまでもありません。 優れた人材を輩出し、優れた研究を発表して社会に貢献することが大学の使命です。 しかし、現在のような高進学率のもとでは、教育に重点を置く大学が必要です。 大学教育は、「教養教育による人間性の涵養と専門教育による職業人の養成の両輪からなる」と言われてきました。 しかし、現在のようなグローバル化時代には、第3の柱として国際化に対応する教育が必要と考えられます。 (教養教育) 最近軽視される風潮にあり、学生諸君は教養科目を「パン教」と言って軽んじ、多くの大学で教養科目が圧縮される傾向にあります。 しかし、教養教育は生きるための知識と智慧を与えるもので、社会人としてLady と Gentleman として生活するための教育でもあります。 これは、古代ローマの時代から良き市民となるための資格と考えられ、ヨーロッパの中世の大学に引き継がれています。 中世の大学ではキリスト教の僧侶を養成するための神学、法律家を養成するための法学、および医者を養成するための医学の3つが主な専門科目でした。 専門以外に自由に学習する科目として、文法、修辞学、論理学、幾何学、算術、音楽、天文学の7科目がありました。 現在でも教養科目が Liberal Arts と呼ばれるのはこのためと言われています。 人間はこのような人文科学、社会科学、自然科学など、多くの知識を学ぶことによって、社会生活において遭遇する問題にたいして客観的で中庸を得た判断が出来るのです。 (専門教育) 専門教育の重要性はいうまでもありません。 人間が専門家あるいは職業人であることによって生活が保証されることは明らかです。 専門分野は多様ですから、一律に教育方針を定めることは出来ません。 基本的な理念としてドイツの社会学者マックス・ウエーバーは、「大学は、能力はあるが未訓練の学生を指導して、自ら問題を発見し、自ら解決するように教育するところだ」と述べています。 そして、自分自身にとって都合の悪いことでも、「事実であれば認めなければならない」という客観性による判断が重要だと強調しています。 (国際化教育) 現代はジェット機に代表される輸送手段の高速化や衛星放送とインターネットなどのIT技術による情報伝達の高速・同時化によって、いわゆるグローバル化が実現している時代です。 国際化時代と言われる現在は国家間、民族間の協力と分担が必要で、1つの地方、1つの国のみでの繁栄は不可能です。 しかし、国家と民族が異なる国際社会で活躍し、尊敬されることは、口でいうほど簡単ではありません。 他民族の文化、すなわち歴史、風習、宗教、社会制度などに対する理解と、それらを受容して共存するための「寛容の精神」が必要です。 現在でも地球上で民族間の争いは絶えません。 特に、教育レベルの低い民族間の紛争は深刻と報じられています。 各大学で国際理解のための教育を行うとともに、若い学生諸君に海外研修や留学の機会を与えるのが有効と考えられます。 おわりに 大学教育に限ったことではありませんが、学生が知識を暗記したり、鵜呑みにしたりすることなく、何故そうなるのかを納得出来るまで考え抜き、「知識に裏付けられた賢明さ」をもって、問題を解決するように指導することが重要だと思います。 (出典1) |
誠之館所蔵品 | ||||
管理 | 氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 日 付 |
06739 | 坂田勝 著 | 『理工学基礎講座15 固体力学』 | 朝倉書店 | 昭和50年 |
06740 | 坂田勝 著 | 『エンジニアリング・サイエンス講座10 工学力学』 | 共立出版(株) | 昭和52年 |
06741 | 坂田勝 著 | 『エンジニアリング・サイエンス講座11 振動と波動の工学』 | 共立出版(株) | 昭和54年 |
04118 | 坂田勝 著 | 『研究生活の断章』 | 坂田勝 | 平成15年 |
出典1:『誠之館創立百五十周年』、108頁、福山誠之館同窓会編刊、平成17年2月 |
2004年10月6日更新:本文●2005年1月11日更新:本文●2005年1月28日更新:肩書・本文●2005年7月11日更新:本文・出典●2005年9月15日更新:本文●2006年5月23日更新:タイトル・連絡先(削除)●2007年9月19日更新:経歴●2008年4月23日更新:経歴●2009年9月29日更新:経歴・誠之館所蔵品●2011年8月3日更新:誠之館所蔵品● |