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漢学者、教育家 | |||||||||
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経 歴 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生:天保10年(1839年)5月5日、備中国川上郡九名村(現岡山県井原市美星町明治)生まれ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
没:明治32年(1899年)8月15日、享年61歳、東京都港区青山墓地に葬る | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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生い立ちと学業、業績 |
天保10年(1839年)5月、備中国川上郡村九名(くみょう)(現井原市美星町明治)に生まれた。 坂田端一の二男、母の出は平尾氏。 阪谷朗廬の甥にあたる。 名は丈、字は夫卿、通称は初め丈助、のち丈平、警軒はその号、九邨(くそん)とも号した。 嘉永6年(1853年)、15歳で後月郡西江原村(現井原市西江原町)の興譲館に入って阪谷朗廬恭子夫妻に学び、ついに都講にまで進んだ。 万延年中(1860〜1861年)肥後に遊学し木下犀潭に入門、井上毅(悟陰)・竹添進一郎(井々)と木門の三才と称せられた。 ついで慶応元年(1865年)江戸に赴いて安井息軒に従学した。 その後慶応3年(1867年)帰国して岡山藩家老池田氏(天城)の賓師となった。 明治元年(1868年)阪谷朗廬の後を承けて興譲館館長(第2代)となり、郷党の子弟を育てた。 この頃、館に洋書の翻訳本を備えるために一新社を組織した。 明治12年(1879年)第1回県会議員選挙に当選して県会議員となり、以後2回選出された。 さらに明治23年(1890年)岡山県選出第1回衆議院議員に当選した。 その後、同志社、慶應義塾、東京高等師範学校、哲学館などの講師を歴任。 明治32年(1899年)8月5日病没。享年61歳。 井原・西江原の興譲館仰徳園に、坂田警軒石碑がある。 福山城址公園に立つ江木鰐水の「鰐水江木先生碑」、広島県福山市神辺町八尋の「琴師葛原勾当碑」は、警軒の撰である。 |
誠之館所蔵品 | ||||
管理 | 氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 日 付 |
05323 | 坂田警軒 書 | 七言絶句「雨餘春色」 | − | − |
◎ | ◎ | ◎ | ◎ | ◎ |
00267 | 坂田警軒 著 | 和本「警軒文鈔」 | − | 明治38年 (1905年) |
◎ | ◎ | ◎ | ◎ | ◎ |
06707 | 中山薫 著 閑谷学校顕彰保存会 編 | 「坂田警軒の漢詩一首」 『閑谷学校研究 第15号』、81頁 |
閑谷学校顕彰保存会 | 平成23年 (2011年) |
07419 | 井原市教育委員会 編刊 | 『井原歴史人物伝 郷土が生んだ偉人たち』 | 井原市教育委員会 | 平成28年 (2016年) |
出典1:『井笠路探訪』、40頁、岡山県井笠地方振興局振興部地域振興室編刊、平成12年4月 出典2:『閑谷学校資料館図録』、118頁、特別史跡閑谷学校顕彰保存会編刊 出典3:『誠之館記念館所蔵品図録』、74頁、福山誠之館同窓会編刊、平成5年5月23日 出典4:『明治維新人名辞典』、439頁、日本歴史学会編、吉川弘文館刊、昭和56年9月10日 出典5:『福山のいしぶみ散歩』、83頁、「葛原勾当」、佐野恒男著、福山市文化財協会刊、1993年5月12日 出典6:『井原歴史人物伝 郷土が生んだ偉人たち』、30頁、井原市教育委員会編刊、平成20年1月31日 |
関連情報1:『福山学生会雑誌(第50号)、附9頁、「琴師葛原勾当碑」、坂田丈、福山学生会事務所編刊、大正6年1月1日 関連情報2:『研究紀要(第22号)』、19頁、「鰐水江木先生碑おぼえ書」、和田嘉郎書、広島県高等学校社会科教育研究協議会編刊、1986年 |
2005年6月16日更新:レイアウト●2006年3月2日更新:本文(深安郡→福山市)・所蔵品●2006年6月14日更新:タイトル・経歴●2006年9月29日更新:本文●2007年1月17日更新:経歴、本文・所蔵品・出典●2008年1月15日更新:経歴・本文●2008年8月1日更新:関連情報●2009年2月10日更新:本文・誠之館所蔵品●2011年9月1日更新:経歴・本文・誠之館所蔵品●2012年2月15日更新:出典●2013年10月23日更新:関連情報●2016年12月29日更新:経歴・生い立ちと学業業績・誠之館所蔵品・出典● |