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広島藩儒、頼山陽の長男 | |||||||||
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経 歴 | |||||||||||||||
生:享和元年(1801年)2月20日、安芸国広島生まれ | |||||||||||||||
没:安政3年(1856年)、享年56歳 | |||||||||||||||
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生い立ちと学業、業績 |
頼山陽・淳の長男。幼名は都具雄(つぐお)、名は與一(余一)・元協(もとただ)、字は承緒、号は聿庵(いつあん)・鶴年・春嶂・迂娯軒(うごけん)。 寛政12年(1800年)に父の頼山陽が脱藩したために藩法に従って、母は離別された。 以後、祖父の頼春水に嗣として育てられた。 文化13年(1816年)、春水の死により家督を相続した。 のち学問所の教授をつとめた。 能書家として知られ、家塾・天日堂をおこして多くの門人を育てた。 |
誠之館所蔵品・展示品 | ||||
管理 | 氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 日 付 |
05357 | 頼聿庵 書 | 七言絶句「勤労諸将」 | − | − |
07007 | 頼聿庵 書 | 七言絶句「阿爺昨去」 | − | − |
t1110 | 頼聿庵 書 | 七言絶句「賣菊翁図」 | − | − |
出典1:頼山陽と芸備の文化、83頁、財団法人頼山陽記念文化財団編刊、平成7年11月3日 出典2:「雲か山か(第88号)」、2頁、「頼山陽史跡資料館の庭石、菅信博、財団法人頼山陽記念文化財団編刊、平成21年8月31日 |
2009年9月18日追加●2009年11月12日更新:本文●2009年12月24日更新:経歴・本文・出典●2013年11月22日更新:本文●2014年1月17日更新:誠之館所蔵品展示品●2015年8月6日更新:誠之館所蔵品展示品● |