福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
小田海僊
小田海僲
おだ・かいせん
日本画家


経 歴
生:天明5年(1785年)、周防国佐波郡富海(とのみ)(現防府市富海)生まれ
没:文久2年(1862年)閏8月24日、享年78歳、京都大徳寺黄梅院に葬る
天明5年(1785年) 1歳 下関の紺屋小田家の養子となる
享和2年(1802年) 18歳 上京して四条派の松村呉春に師事
文化9年(1812年)9月20日 27歳 廉塾に菅茶山を訪ねる
文化11年(1814年) 30歳 頼山陽に教えを受けて南画に転向
文政元年(1818年) 33歳 菅茶山が大和地方を旅行したとき、頻繁に交流
文政7年(1824年) 39歳 萩藩に絵師として召し出される
文政9年(1826年) 41歳 再び京で活動


生い立ちと学業、業績
天明5年(1785年)、周防国佐波郡富海(とのみ)(現防府市富海)生まれ、長門国赤間関(現山口県下関市)の紺屋小田家養子となる。名は羸(るい)・瀛(えい)、字は巨海、通称良平、南豊・百谷・百合・海僊と号す。

江戸時代後期の画家。上京して四条派の松村呉春の門に入り、さらに
頼山陽に教えを受けて南画に転じた。清潔な作風に特色があり、特に人物画が得意で、『人物十八描法』などの著書もある。

文政7年(1824年)萩藩に絵師として召し出され、江戸についたが、許されて文政9年(1826年)から再び京で活動した。中国元明時代の古画を研究した。九州において独自の南画風を確立し、なかでも人物画を得意とした。
菅茶山と交流があった。

弟子に大庭学僊・羽様西崖などがいる。

文久2年(1862年)閏8月24日没。享年78歳。京都大徳寺黄梅院に葬る。


誠之館所蔵品
管理№ 氏  名 名  称 制作/発行 日 付
03470 小田海僊 画 「東坡煎茶図」
03474 小田海僊 画 「渓山秋霽図」
03473 小田海僊 画 「雪夜乗船図」
07151 下関市立美術館 編 『小田海僊展』 下関市立美術館 平成7年(1995年)
07152 京都国立近代美術館 編 『鉄斎とその師友たち』 京都国立近代美術館 平成9年(1997年)


2005年7月25日更新:レイアウト●2005年9月22日更新:所蔵品へのリンク●2006年6月21日更新:タイトル・所蔵品●2008年1月9日更新:経歴●2008年10月21日更新:経歴・本文●2009年2月17日更新:経歴・本文●2010年1月4日更新:経歴・本文●2012年5月30日更新:本文●2014年9月9日更新:氏名●2014年12月6日更新:経歴・誠之館所蔵品●