福山阿部藩
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成島柳北
なるしま・りゅうほく
漢詩人、随筆家、新聞記者
成島柳北 (出典1)


経 歴
生:天保8年(1837年)2月16日、江戸・浅草生まれ
没:明治17年(1884年)11月30日、享年48歳、本所本法寺に葬る、のち東京豊島区雑司ヶ谷墓地に改葬
嘉永6年(1853年) 16歳 家督を継ぐ
安政元年(1854年)正月 17歳 侍講見習
安政3年(1855年) 19歳 奥儒者となり、徳川家定・家茂に経学を講じる
安政3年(1855年) 19歳 祖父の司直が編纂した『徳川実紀』と父筑山の著した『後鑑』の訂正を総裁する
安政4年(1856年)12月 20歳 布衣となる
文久3年(1863年) 26歳 3年間の閉門となり、この間英学を研鑽する
慶応元年(1865年) 28歳 騎兵頭・騎兵奉行・外国奉行・会計副総裁などの要職を歴任する
明治元年(1868年)4月 28歳 隠居
明治4年(1871年) 34歳 浅草東本願寺学塾の学長
明治5年(1872年)9月〜
 明治6年(1873年)7月
35〜
36歳
東本願寺の大谷光瑩の欧州遊学に随行して仏・伊・英・米を歴訪する
明治7年(1874年) 37歳 『郵便報知新聞』の客員となる
明治7年(1874年)9月24日 37歳 『朝野新聞』に招聘されて主宰する
明治8年(1875年)12月 38歳 12月20日の論説「元老院官吏の責任」により下獄される
明治10年(1877年)1月 40歳 『花月新誌』を刊行する
明治11年(1878年)12月 41歳 『溺濘叢談』を刊行する
明治15年(1882年) 45歳 立憲改進党に入党する


生い立ちと学業、業績
天保8年(1837年)2月16日、奥儒者図書頭成島筑山の三男として江戸浅草に生まれる。幼名甲子磨・甲子麻呂、のち甲子太郎、大隅守、22歳のとき惟弘(ただひろ)と改めた。諱は弘、字は叔氏A保民、確堂と号した。別に何有仙史・我楽多堂・不可抜斎・柳北とも号したが、のち柳北を通称とした。

幕末・明治前期の漢詩人、随筆家、新聞記者。

幼少から祖父司直と父の教育を受けて読書に励み、詩文に長じた。

嘉永6年(1853年)父を喪ない家督を継ぎ、翌安政元年(1854年)正月には侍講見習となった。ついで安政3年奥儒者に任ぜられ、徳川家定・家茂に経学を講じた。また祖父の司直が編纂した『徳川実紀』と、父筑山の著した『後鑑』の訂正を総裁した。安政4年(1856年)12月布衣となる。文久3年(1863年)しばしば幕閣に献策を為したが入れられず、その不満を一篇の狂詩に託したことが忌諱に触れ、3年間の閉門を命ぜられた。閉居中は柳河春三・神田孝平・箕作秋坪
(みつくり・しゅうへい)らを招いて英学を研鑽した。慶応元年(1865年)再び用いられて騎兵頭・騎兵奉行・外国奉行・会計副総裁などの要職を歴任したが、明治元年(1868年)4月隠居を願い出て許された。幕府の瓦解後は野に下り、明治新政府の招請には応じなかった。

明治4年(1871年)浅草東本願寺学塾の学長に招かれ子弟の教育に当たり、明治5年(1872年)9月から翌年7月まで、東本願寺の大谷光瑩の欧州遊学に随行して仏・伊・英・米を歴訪した。明治7年(1874年)「郵便報知新聞」の客員となり、9月24日、「公文通誌」を改題した「朝野新聞」に招聘され、以後同紙を主宰した。明治8年(1875年)10月末広鉄腸が入社して論説を担当、みずからは雑録の執筆に専念して好評を博した。12月20日の論説「元老院官吏の責任」によって末広とともに下獄、出獄後その体験を『ごく内ばなし』として発表、世人の喝采をあびた。明治10年(1877年)1月『花月新誌』(明治17年10月第155号終刊)、明治11年(1878年)12月『溺濘叢談』(明治14年6月第29号終刊)の発行にも力を尽くした。

明治15年(1882年)、立憲改進党に入党。

晩年は宿痾の肺患が悪化、明治17年11月30日48歳で没した。法名文靖院日詠柳北居士。本所本法寺に葬るも後、東京豊島区雑司ヶ谷墓地に改葬された。

著書に『柳北文鈔』、『明治新撰泉譜』、『柳橋新誌』、『京猫一斑』、『柳北奇文』、『熱海文藪』などがある。また、没後の出版には、『柳北遺稿』、『柳北全集』などがある。

古銭の蒐集家としての名も高い。


誠之館所蔵品
管理 氏  名 名  称 制作/発行 日 付
00820 成島柳北 著 『明治新撰泉譜第一集』 明治15年
00821 成島柳北 著 『明治新撰泉譜第二集』 明治18年
00822 守田宝丹 『明治新撰泉譜第三集』 明治22年


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氏  名 名  称 制作/発行 日 付
成島柳北 著 『柳橋新誌(上下)』 山城屋政吉 明治7年
成島柳北 著 『柳北奇文(全2冊)』 西山喜内 明治11年
成島柳北 閲 『英国国会沿革誌(全3冊)』 朝野新聞社 明治12年
成島柳北 著 『千種有効卿和歌抜萃(成島柳北自筆稿本)』 明治15年
成島柳北 著 『柳北仙史 熱海文藪』 明治17年
成島柳北 著 『寸珍百種 柳北遺稿(上下)』 博文館 明治25年
成島柳北 著 『柳北全集』 博文館 明治30年
成島柳北 著 『古銭鑑識訓蒙』 江島伊兵衛 明治31年
成島柳北 著 『柳橋新誌 附京猫一斑』 聚芳閣 大正14年
成島柳北 著 『柳北文鈔』


出典1:HP「北海道大学附属図書館」、北方資料データベース、明治大正期北海道写真目録、成島柳北
出典2:『国史大辞典(第10巻)』、761頁、吉川弘文館編刊、平成元年9月30日
出典3:『明治維新人名辞典』、730頁、日本歴史学会編、吉川弘文館刊、昭和56年9月10日
2005年12月13日追加●2005年12月14日更新:経歴・本文・所蔵品●2005年12月21日更新:写真追加●2007年1月22日更新:経歴・本文・出典●2008年1月17日更新:経歴・本文●2010年9月1日更新:探しています●2012年1月5日更新:本文●