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富山大学薬学部教授、富山医科薬科大学教授(和漢薬研究所所長)、 薬学博士(大阪大学)、生薬(しょうやく)学者、民族薬物学の提唱者 |
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経 歴 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生:昭和6年(1931年)11月8日、大阪市生まれ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
没:平成16年(2004年)7月24日、多臓器不全で逝去、享年72歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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生い立ちと学業、業績 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大阪市生まれ。 昭和20年(1945年)1月東京都立第三中学校より福山誠之館中学校1年に転入学。 昭和24年(1949年)学区制施行ににより福山南高等学校(現福山葦陽高等学校)3年へ転入学、昭和25年(1950年)同校卒業、昭和29年(1954年)大阪大学医学部薬学科卒業、昭和35年(1960年)大阪大学大学院薬学研究科(生薬学専攻)博士課程修了。 和漢薬その他伝統薬物の生薬学的研究については、我が国屈指の権威者である。 中学3年のとき母を肝硬変で亡くし、母の病気を治せなかった当時の医学への悔しさから医師を志し、多くの患者を治したいと思うようになった。 大阪大学医学部では、専門課程は薬学科で生薬学(しょうやくがく)を選択した。 そして学者を志し、大学院薬学研究科修士課程から博士課程へ進学し、トリカブトの仲間の生薬である「附子・烏頭(ぶし・うず)」の研究を始める(日本産トリカブトの分類と附子類の内部形態)。 大学院在学中研究のため、4年間8月から10月にかけて日本全国のトリカブト採集旅行に出かけ、資料収集に努めた。 昭和36年(1961年)博士課程修了の後、大阪大学薬学部助手となり、翌昭和37年(1962年)大学院時代からの研究をまとめた「附子・烏頭類の生薬学的研究」で薬学博士(大阪大学)を授与される。 昭和38年(1963年)には9月から4か月間、阪大山岳部ピーク29(ネパール・マナスル三山の一つ)登山調査隊の一員として、植物採集をしながら薬物調査を行った。 そのことで、世界のそれぞれの地域で生活する民族は、その土地土地の民族習慣に根ざした薬物文化を持っていることを実地に体験し、民族薬物学という学問の必要性を、実感した。 それ以来、生薬はそれぞれの民族の文化遺産であるという考えを基礎にして、研究を継続した。 ヒマラヤ行きに次いで、昭和39年(1964年)東パキスタン(現バングラディシュ)、昭和41年(1966年)東アフリカ諸国・エジプト、昭和43年(1968年)台湾へ行き、各種の薬物調査を行った。 昭和45年(1970年)1月大阪大学講師に昇進、昭和45年(1970年)3月富山大学薬学部和漢薬研究施設の資源開発部門の教授として、転勤した。 昭和49年(1974年)同施設は、富山大学和漢薬研究所に昇格し、昭和51年(1976年)その所長となった。 昭和53年(1978年)同研究所は、富山医科薬科大学に移管され、引き続き所長を務めた。 昭和55年(1980年)ごろから、研究所は本格的に産業界との共同研究を始め、和漢薬を始めとする伝統薬物で、齲歯(虫歯)の予防薬や、抗ウイルス薬等の開発を行い、それらの研究は学界の注目を集めた。 昭和58年(1983年)、同研究所が中心となった「スリランカおよびネパール両国における伝統医学の比較並びに薬物資源の学術調査」隊の隊長として同地に赴き、高地民族の伝統医学を科学的に解明し、どのような薬物を使うか研究した。 そして、民間薬やチベット・ラマ医の治療実態の調査や、植物や生薬類を収集して、それらの生薬学的及び薬理的研究を行った。 さらにその収穫を基礎に、漢方(中国医学)とアーユルヴェーダ(インド医学)の伝統医学が、歴史や宗教の違う土地でどう変化しているのかなど、「比較民族薬物学」を追求し、薬物資源の開発に努めた。 昭和61年(1986年)のネパールでの調査研究が発端になり、ネパールの僻地ジャルコット村に、チベット系民族の伝統医学(チベット医学)を施す病院設立のため、自ら中心になって資金集めに奔走し、その寄付によって、約4000人の健康管理ができる立派な病院が設立された。 以上のように、大阪大学時代から富山医科薬科大学にかけて、生薬の研究を通して「比較民族薬物学」を提唱しつつ、研究と教育に没頭した成果は、計り知れないものがある。
平成9年(1997年)富山医科薬科大学を定年退職し、同大学名誉教授となる。 なお、退職に当たって、過去30数年間に収集した生薬標本など2万5千点を、和漢薬研究所に寄贈した。これは、世界各国から集めた貴重なもので、資料数では世界一の折り紙のつく同研究所民族薬物資料館に保管展示され、今後の研究資料として生かされることになった。 退職後は、民族医薬食科学研究所を設立し、所長として在職中からの「比較民族薬物学」の研究継続と、中国、東南アジア各方面への研究調査活動に、余念がなかった。 また、中国の「薬食同源」の考え方を生かし、漢方薬やハーブを採り入れた料理の発案者としても、よく知られている。そして、和漢薬や食効ある食材をバランスよく配合し、おいしく料理する「薬膳」(治療の「食療薬膳」と病気予防の「食養薬膳」がある)の食文化普及に努めてきた。 石井和佳(昭和25年卒) |
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著 書 | ||||||||
氏 名 | 書 名 | 発行所 | 発行日 | |||||
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『詳解古方薬品考』 | 「古方薬品考」刊行会 | 昭和44年 | |||||
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『世界をかえた薬用植物』 | 創元社 | 昭和47年 | |||||
難波恒雄 著 松岡恕庵 著 |
『漢方文献叢書第2輯 用薬須知』 | 漢方文献刊行会 | 昭和47年 | |||||
難波恒雄 著 久保道徳 著 |
『カラーブックス238 薬になる植物』 | 保育社 | 昭和47年 | |||||
難波恒雄 著 香月牛山 著 |
『漢方文献叢書第3輯 牛山活套(巻頭書名:牛山先生活套 安永8年刊の複製)』 | 漢方文献刊行会 | 昭和48年 | |||||
難波恒雄 著 久保道徳 著 |
『カラーブックスデラックス40 薬になる植物』 | 保育社 | 昭和49年 | |||||
難波恒雄 著 香月牛山 著 |
『漢方文献叢書第4輯 薬篭本草(享保19年刊の複製) 香月牛山選集2』 | 漢方文献刊行会 | 昭和49年 | |||||
難波恒雄 著 香川修徳 著 |
『漢方文献叢書第5輯 一本堂薬選』 | 漢方文献刊行会 | 昭和51年 | |||||
難波恒雄 著 小泉栄次郎 著 |
『日本漢方医薬変遷史』 | 国書刊行会 | 昭和52年 | |||||
難波恒雄 著 向井元升 著 |
『漢方文献叢書第6輯 庖厨備用倭名本草』 | 漢方文献刊行会 | 昭和53年 | |||||
難波恒雄 著 | 『保育社の原色図鑑57 原色和漢薬図鑑(下)』 | 保育社 | 昭和55年 | |||||
難波恒雄 著 | 『保育社の原色図鑑56 原色和漢薬図鑑(上)』 | 保育社 | 昭和55年 | |||||
難波恒雄 著 | 『植物と文化双書 和漢薬の話 花とくすり』 | 八坂書房 | 昭和56年 | |||||
難波恒雄 著 松岡定庵 著 |
『千金方薬註』 | 医聖社 | 昭和57年 | |||||
難波恒雄 著 御影雅幸 著 |
『カラーブックス566 身近な薬用植物』 | 保育社 | 昭和57年 | |||||
難波恒雄 著 劉波 著 布目慎勇 著 |
『中国の薬用菌類』(初版) | 自然社 | 昭和57年 | |||||
難波恒雄 著 御影雅幸 著 |
『カラーブックス612 毒のある植物』 | 保育社 | 昭和58年 | |||||
難波恒雄 著 山本亡羊 著 遠藤正治 著 |
『百品考』 | 科学書院 | 昭和58年 | |||||
難波恒雄 著 | 『クオリティブックス 漢方薬入門』 | 保育社 | 昭和60年 | |||||
難波恒雄 著 松繁克道 著 |
『カラーブックス760健康食品入門』 | 保育社 | 昭和61年 | |||||
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『原色百科 世界の薬用植物1』 | エンタプライズ | 昭和63年 | |||||
難波恒雄 著 不破利民 著 |
『カラーブックス760 薬膳入門』 | 保育社 | 昭和63年 | |||||
難波恒雄 著 久保道徳 著 |
『カラーブックス238 薬になる植物』 | 保育社 | 平成元年 | |||||
難波恒雄 著 | 『主婦と生活・生活シリーズ136 家庭でつくれる薬膳』 | 主婦と生活社 | 平成元年 | |||||
難波恒雄 著 津田喜典 著 |
『生薬学概論』 | 南江堂 | 平成2年 | |||||
難波恒雄 著 | 『カラーブックス197 漢方薬入門』 | 保育社 | 平成3年 | |||||
難波恒雄 著 津田喜典 著 |
『生薬学概論』(改訂第2版) | 南江堂 | 平成5年 | |||||
難波恒雄 監 矢崎栄司 編 |
『漢方家庭薬湯入浴法』 | ほんの木 | 平成5年 | |||||
難波恒雄 著 | 『和漢薬百科図鑑(T)』 | 保育社 | 平成5年 | |||||
難波恒雄 著 | 『和漢薬百科図鑑(U)』 | 保育社 | 平成6年 | |||||
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『近代中国の伝統医学』 | 創元社 | 平成6年 | |||||
難波恒雄 著 | 『和漢薬への招待』 | 東方出版 | 平成8年 | |||||
難波恒雄 著 | 『大地からの贈り物・生きている薬 ある大学研究室の軌跡』 | 東方出版 | 平成9年 | |||||
葉橘泉 著 沢田正 著 難波恒雄 著 |
『医食同源の処方箋』 | 中国漢方 | 平成9年 | |||||
難波恒雄 著 | 『中国薬膳大辞典』(日本語翻訳版) | エム・イー・ケイ | 平成9年 | |||||
難波恒雄 著 津田喜典 著 |
『生薬学概論』(改訂第3版) | 南江堂 | 平成10年 | |||||
難波恒雄 著 池上正治 著 |
『漢方・生薬の謎を探る』 | 日本放送出版協会 | 平成10年 | |||||
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『世界薬用植物百科事典』 | 誠文堂新光社 | 平成12年 | |||||
難波恒雄 著 小松かつ子 著 |
『仏教医学の道を探る』 | 東方出版 | 平成12年 | |||||
難波恒雄 著 池上正治 著 |
『天山山脈薬草紀行』 | 平凡社 | 平成13年 | |||||
難波恒雄 著 野邨学 著 |
『髪の悩みにさようなら』 | ゴマブックス | 平成13年 | |||||
難波恒雄 著 | 『オ血浄化で現代病に克つ』 | ビックサクセス | 平成13年 | |||||
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『和漢薬の事典』 | 朝倉書店 | 平成14年 | |||||
難波恒雄 著 | 『男も女もみるみる髪が生えてきた!!』 | 史輝出版 | 平成14年 | |||||
難波恒雄 著 | 『エビネ生薬で「髪」が自然によみがえる!!』 | 史輝出版 | 平成15年 | |||||
難波恒雄 著 | 『次世代アガリスクガン、治癒への選択』 | ノア出版 | 平成15年 | |||||
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『世界食文化図鑑 植物の起源と伝承』 | 東洋書林 | 平成15年 | |||||
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『和漢薬の事典』(新装版) | 朝倉書店 | 平成19年 |
誠之館所蔵品 | ||||
管理 | 氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 日 付 |
05499 | 難波恒雄 著 久保道徳 著 |
『カラーブックス238 薬になる植物』 | 保育社 | 昭和47年 |
03163 | 難波恒雄 著 池上正治 著 |
『漢方・生薬の謎を探る』 | 日本放送出版協会 | 平成10年 |
03164 | 難波恒雄 著 | 『天山山脈薬草紀行』 | 平凡社 | 平成13年 |
2004年11月8日更新:本文の一部●2005年1月11日更新●2005年4月27日更新:本文●2005年8月26日更新:同窓会所蔵品追加・現住所削除●2006年6月27日更新:タイトル・所蔵品●2008年2月20日更新:経歴●2009年8月19日更新:経歴・著書●2009年10月7日更新:誠之館所蔵品● |