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長沼流兵法創始者 | |||||||||
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経 歴 | ||||||||||||||||||||||||
生:寛永12年(1635年)、信州松本生まれ | ||||||||||||||||||||||||
没:元禄3年(1690年)、享年56歳 | ||||||||||||||||||||||||
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生い立ちと学業、業績 |
本名は長沼宗敬(むねよし)、澹斎はその号である。寛永12年(1635年)信州松本に生まれる。 父の禄仕の都合で、松江に住み、ついで明石に移った。父の死後は美濃加納藩主の庇護により、同地で成人した。22歳の時、退任して江戸に出て、寛文8年(1668年)まで久留米藩に仕えた。 宗敬は若年のころから、甲州流の兵学を学び、中国明代の兵書『紀効新書』、『武備史』などを愛読していた。寛文6年(1666年)のころ『兵要録』を著わした。 その後浪人生活10数年の間に、節制実学を主体とする長沼流新兵法学を確立し、多くの門弟を育て、一時門人千余人といわれた。彼の門流のうち、福岡の宮川忍斎系と、津・尾張の佐枝尹重(ただしげ)系が特に繁栄した。幕末安政年間に福山藩がその奥義の伝授を受けた会津藩の軍奉行・黒河内十太夫高定の系統は、佐枝尹重の流れに属するものである。 (出典1)〜(出典2) |
誠之館所蔵品 | ||||
管理 | 氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 日 付 |
00261 | 長沼澹斎 選述 | 『兵要録』 | − | 嘉永7年(1854年) |
◎ | ◎ | ◎ | ◎ | ◎ |
00046 | 江木鰐水 画 | 「長沼澹斎肖像画」 | − | 安政5年(1858年) |
出典1:『誠之館所蔵品図録』、65頁、福山誠之館同窓会編刊、平成5年5月23日 出典2:『誠之館百三十年史(上巻)』、109・110頁、福山誠之館同窓会編刊、昭和63年12月1日 |
2005年3月30日更新:所蔵品・出典●2006年3月14日更新:所蔵品●2008年1月17日更新:経歴・本文●2010年3月5日更新:誠之館所蔵品● |