福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
村上正名
むらかみ・まさな
郷土史家、福山市立女子短期大学教授、従四位勲四等旭日小綬章
村上正名


経 歴
生:大正7年(1918年)6月26日、福山市松永町生まれ
没:平成14年(2002年)2月9日、享年83歳
昭和11年(1936年)3月3日 17歳 広島県立福山誠之館中学校卒業
昭和11年(1936年)4月20日 17歳 広島県沼隈郡内浦尋常高等小学校代用教員
昭和12年(1937年)6月22日 18歳 尋常小学校本科正教員免許
昭和12年(1937年)7月31日 19歳 広島県公立小学校訓導(沼隈郡内浦尋常高等小学校)
昭和13年(1938年)3月31日 19歳 広島県沼隈郡東村尋常高等小学校訓導
昭和14年(1939年)3月31日 20歳 広島県福山市立西尋常高等小学校訓導
昭和15年(1940年)3月30日 21歳 小学校本科正教員免許
昭和16年(1941年)9月20日 23歳 広島県公立青年学校助教諭(福山市立西青年学校)
昭和19年(1944年)3月31日〜
 昭和20年(1945年)7月
25〜
27歳
福山市立実践女学校教諭
昭和20年(1945年)7月31日〜
 昭和21年(1946年)2月
27歳 広島県教育事務嘱託(福山市勤務)
昭和21年(1946年)2月13日〜
 昭和22年(1947年)3月
27〜
28歳
広島県属(教育民政部社会教育課勤務)
昭和22年(1947年)4月30日〜
 昭和26年(1951年)3月
28〜
32歳
文部教官(広島青年師範学校附属中学校)
昭和24年(1949年)12月31日 31歳 中学校・高等女学校教員免許(国民科歴史)
昭和26年(1951年)4月1日〜
 昭和27年(1952年)3月
32〜
33歳
広島大学教育学部附属福山中学校教諭
昭和27年(1952年)4月1日〜
 昭和49年(1974年)3月
33〜
55歳
広島大学教育学部附属福山高等学校教諭
昭和45年(1970年)11月 52歳 文化庁文化財功労賞
昭和49年(1974年)1月 55歳 山陽新聞社山陽文化功労者
昭和49年(1974年)4月1日〜
 昭和50年(1975年)3月
55〜
56歳
福山市立女子短期大学助教授(歴史学)
昭和50年(1975年)4月1日〜
 昭和59年(1984年)3月31日
56〜
65歳
福山市立女子短期大学教授(歴史学)
昭和58年(1983年)10月 65歳 小山富士夫記念褒賞
昭和59年(1984年)4月1日 65歳 福山市立女子短期大学非常勤講師(歴史学)
昭和60年(1985年)4月1日〜
 平成6年(1994年)3月31日
66〜
75歳
就実女子短期大学文学部史学科非常勤講師(吉備地方文化特論)
平成元年(1989年)4月 70歳 勲四等旭日小綬章
平成14年(2002年)2月 83歳 従四位
学会及び社会における活動など
昭和12年(1937年)6月 日本考古学会
昭和30年(1955年)8月 考古学研究会(岡山大学)
昭和34年(1959年)5月 日本考古学協会(草戸千軒町遺跡調査特訓委員・同研究指導委員長)
昭和48年(1973年)4月 東洋陶磁学会
昭和36年(1961年)4月 広島史学会
昭和28年(1953年)7月 芸備地方史学会
昭和48年(1973年)9月 広島民俗学会(理事)
昭和22年(1947年)2月 広島県文化財保護審議会委員(広島県史蹟名勝天然記念物調査会、広島県文化財専門委員)
昭和32年(1957年)6月 福山市文化財保護審議会会長
昭和52年(1977年)3月 広島県総合開発審議会委員


「村上正名先生の思い出」   岩崎博(昭和19年卒)
私が先生を知るようになったのは広島大学附属高校の先生をなさっている頃からで、昭和30年代の終りだったと思う。
その頃から古物趣味から骨董に興味を持つようになり、先生や児玉栄太郎さん(昭10卒)らが主宰されていた日本陶磁協会福山支部に参加したが、有名な講師を中央から招じ名品を示されての講演は大いに趣味家の共感を呼び盛大だった。
その後先生は福山女子短期大学教授、福山市文化財保護審議会会長など順次公職を経ていかれるが、やはり先生の真骨頂は、生涯郷土史家として陶磁、民芸、民俗、民話など広範囲に精細な研究をされ、エネルギッシュに数多い著述を残されたことだと思う。

そして先生の名を不動のものとしたのが今日広島県立歴史博物館として継承される「草戸千軒遺跡」発掘の先覚者としての業績であることは異論のないところである。
誠之館の3年生の頃、芦田川改修工事で現れた土器破片を歴史の先生、
岡田逸一先生に誉められ、それがやがて病み付きになった、ほんとに「河原こじき−瓦こじき」とは私のことだと、杯を傾けながら楽しそうによく仰っていたのを思い出す。
個人的な調査と資料をもとに草戸千軒集落の発掘と保存を粘り強く行政に訴えつづけられた先生の、長年の情熱に押される形で、昭和36年(1961年)福山市の発掘調査に続いて昭和48年に県により調査所、昭和51年(1976年)調査研究所が発足するに至り、以後平成2年(1990年)に及ぶ全面的な調査と研究が継続され、「東洋のポンペイ」と呼ばれる草戸千軒遺跡の全貌が明らかになったが、それが広島県立歴史博物館の創設をもたらすことにもなる。
先生はまさにその生みの親である。

また今日日本を代表する初期色絵磁器として郷土が誇る「姫谷焼」については日本陶磁協会誌『陶説』を場として昭和40年代には既に精力的な執筆により強く啓蒙され、当時まだ地方窯としか見られていなかった色絵姫谷焼の貴重性を広く世に知らしめられた功績も大きい。
平成14年死去された。83歳である。


「草戸千軒町遺跡」      松下正司
この河床に埋もれた遺跡が再び日の目をみることになったのは、15年戦争も終り新しい実証的な歴史学が確立し、考古学的な調査研究が各地で盛んに行なわれるようになった昭和36年(1961年)のことである。
この河床から採集される遺物に注目し、学術的な発掘調査によって、幻の町といわれていた草戸千軒を解明しようとしたのは、当時広島大学の付属中・高等学校の教諭であり、現福山市立女子短期大学教授の村上正名氏であった。
これまで考古学者がほとんど目もくれなかった中世の遺物に注目して河床に入れた鍬は、現在われわれが進めている草戸千軒町遺跡の大規模な調査の契機となり、中世考古学進展の基礎となったのである。(中略)

河床の試掘調査で昭和初年の芦田川改修工事中に発見された草戸千軒町遺跡は、改修工事の続行で調査されることもなく河底に埋もれてしまった。
この河底の遺跡に科学的な調査の鍬が入ったのは、昭和36年(1961年)の夏のことで、福山市教育委員会による最初の調査である。
この頃明王院前の芦田川河原には、大雨や台風による増水のたびに陶磁の破片が流出していた。
これらの遺物は地元の陶磁愛好者によって採集され、収集が始められていた。
こうした陶磁器に注目された村上正名氏は、出土遺物の重要さと遺跡の存在を確信され、福山市文化財保護委員会を動かし福山市教育委員会が調査費を組んで、村上正名氏が担当者となり、わずか1週間にすぎなかったが、炎天の河原を発掘したのである。
小規模な試掘調査ではあったが、列石や杭列、井戸などが検出され、青・白磁や書州窯鉄絵片、備前焼をはじめ各地焼物類・古銭・建築用材・漆椀などが出土し、遺跡の存在が確認された。
ついで翌37年夏には第二次調査を行ない、建物跡や井戸、多量の遺物を検出して河底に埋もれた遺跡としてその重要さが確認された。

こうして河底に遺跡が埋もれていることその重要さが確認されたため、その全貌をつかむために第三次調査が計画された。
福山市教育委員会が調査主体となり広島県教育委員会の協力をえて、国の文化保護委員会(現文化庁)から緊急調査費の補助を受けた。
40年冬に広島大学考古学研究室の協力によって松崎寿和教授が担当者となり、本格的な調査が実施された。
この中州東北部約500平方メートルの調査によって西方の明王院に向いた石敷道路と三叉路、側溝、棚列、鍛治遺構などが検出され、中世の町並の一角が明らかになるなど、これまで検出されたことのない中世集落跡が出土し、一躍「日本のボンベイ」といわれマスコミをにぎわすとともに「河底に埋もれた中世の町」として学界の注目を浴びることになったのである。
   (出典1)


誠之館所蔵品
管理 氏  名 名  称 制作/発行 日 付
06545 村上正名 著 『広島県人』 新人物往来社 昭和48年
03054 村上正名 著 『備後人物風土記 歴史を作った人々』 歴史図書社 昭和52年
05212 村上正名 著 『今昔物語 福山の歴史(上下)』 歴史図書社 昭和53年
03911 村上正名 著 『まぼろしの中世集落 草戸千軒町』 国書刊行会 昭和55年
02799 村上正名 監修 『まんが物語 福山の歴史 放浪の大名・水野勝成(上巻)』 AD.VISION 昭和60年
05213 村上正名 著 『備後歳時記−歴史民俗暦−』 岡田書店 昭和61年
06896 広島県立歴史博物館 編 『草戸千軒町遺跡発掘調査開始五〇周年記念誌 草戸千軒 発掘調査五〇年の想い出』 広島県立歴史博物館 平成25年


探しています
氏 名 書  名 発 行 所 発 行 日 コ メ ン ト
村上正名 著 『瀬戸のあけぼの』 広島大学福山分校郷土研究室 昭和24年
村上正名 著 『備後物語』 双葉印刷 昭和35年 初版
村上正名 著 『備後物語(上下)』 中国新聞社 昭和36年
村上正名 著 『福山の歴史と文化財』 福山文化財協会 昭和41年
村上正名 著 『福山城』福山文化財シリーズbP 福山文化財協会
村上正名 著 『福山の歴史と文化財』福山文化財シリーズbQ 福山文化財協会
村上正名 著 『福山を作った人々 上』福山文化財シリーズbS 福山文化財協会 昭和42年
村上正名 著 『福山を作った人々 下』福山文化財シリーズbT 福山文化財協会 昭和43年
村上正名 著 『草戸千軒町−河底に眠る中世の廃墟−』福山文化財シリーズbU 福山文化財協会 昭和42年
村上正名 著 『福山の民俗−年中行事』福山文化財シリーズbW 福山文化財協会 昭和44年
村上正名 著 『福山の歴史民俗暦』福山文化財シリーズbX 福山文化財協会
村上正名 著 『福山の史跡めぐり』備後文化シリーズ第1集 児島書房 昭和44年
村上正名 著 『備後今昔』備後文化シリーズ第2集 児島書房
村上正名 著 『備後の伝説』備後文化シリーズ第3集 児島書房
村上正名 著 『備後のやきもの』備後文化シリーズ第4集 児島書房 昭和44年
村上正名 著 『備後今昔 上』備後シリーズ第2集 昭和45年
村上正名 著 『備後今昔 中下』備後シリーズ第2集 昭和47年
村上正名 著 『まぼろしの瀬戸内海』 新人物往来社 昭和48年
村上正名 著 『やきもの古窯めぐり(上)』 雄山閣 昭和48年
村上正名 著 『やきもの古窯めぐり(下)』 雄山閣 昭和48年
村上正名 著 『続備後物語−備後近代史』 双葉印刷出版部 昭和49年
村上正名 著 『備後物語』 双葉印刷出版部 昭和50年
村上正名 著 『福山散策 その史跡をたずねて』備後散策シリーズ 佐々木印刷出版部 昭和51年
村上正名 著 『備北散策』備後散策シリーズ 佐々木印刷出版部 昭和53年
村上正名 著 『府中散策』備後散策シリーズ 佐々木印刷出版部 昭和56年
村上正名 編 『ふるさとの想い出 写真集明治・大正・昭和福山』 図書刊行会 昭和53年
村上正名 著 『山陽の古代遺跡』 三一書房 昭和55年
村上正名 編 『写真図説 備後の3000年』 図書刊行会 昭和57年
村上正名 著 『やきもの探訪全ガイド』交通公社のガイドシリーズ 日本交通公社出版事業局 昭和57年
村上正名 著 『芸備歴史随想 幻を掘る』 二葉印刷出版部 昭和58年
村上正名 著 『広島やきもの−広島県窯業史序説』 図書刊行会 昭和59年
村上正名 著 『備後の陶磁』 芦田川文庫 昭和60年
村上正名 著 『久松城』 芦田川文庫(6) 昭和61年
村上正名 著 『姫谷焼』
村上正名 著 『文学歴史知名表』 角川書店 昭和43年 共著
村上正名 著 『世界陶磁全集8 中国地方の磁器窯』 小学館 昭和53年 共著
村上正名 著 『世界陶磁全集 山陽地方の陶器窯』 小学館 昭和55年 共著
村上正名 著 『広島』 講談社 昭和55年 共著
村上正名 著 『探訪 日本の陶芸E(中国・山陽編)』 小学館 昭和55年 共著
村上正名 著 『山陽の城』 小学館 昭和55年 共著
村上正名 著 『日本やきもの集成(山陽編)』 平凡社 昭和56年 共著
村上正名 著 『広島県歴史地名辞典』 平凡社 昭和57年 共著
村上正名 著 『広島県大百科事典』 中国新聞社 昭和57年 共著
村上正名 著 『広島県史 古代編』 広島県 昭和55年 共著
村上正名 著 『広島県史 近世T・U編』 広島県 昭和56年 共著
村上正名 著 『広島県史 民俗編』 広島県 昭和53年 共著
村上正名 著 『福山市史(上・中・下)』 福山市 昭和38年〜
  昭和53年
共著
村上正名 著 『福山水道史』 福山市水道局 昭和43年 共著
村上正名 著 『広島県の地名』 平凡社
その他、草戸千軒町遺跡、備後地方史、備後地域窯業などに関する研究論文が多数ある。


資料協力 福山市立女子短期大学
出典1:『日本の美術4 bQ15』、草戸千軒町遺跡、昭和59年
関連情報1:『草戸千軒 発掘調査五〇年の想い出』、広島県立歴史博物館編刊、平成25年10月12日
2004年10月5日更新:本文追加●2005年4月27日更新:経歴・本文・出典●2005年9月15日更新:本文●2006年5月30日更新:タイトル・連絡先(削除)●2006年6月29日更新:所蔵品●2006年7月11日更新:所蔵品●2007年7月10日更新:著書など・所蔵品●2008年8月14日更新:経歴・本文●2008年11月21日更新:主な著書など・誠之館所蔵品●2008年12月3日更新:主な著書など・誠之館所蔵品●2010年11月11日更新:誠之館所蔵品・探しています●2013年10月30日更新:誠之館所蔵品・関連情報●