福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
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誠之館
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誠之館
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誠之館所蔵品
関係者
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歴代役員
村上菊一郎
むらかみ・きくいちろう
フランス文学者、詩人、早稲田大学文学部教授
村上菊一郎


経 歴
生:明治43年(1910年)10月17日、広島県三原市東町生まれ
没:昭和57年(1982年)7月31日、脳腫瘍のため没、享年71歳
広島県立女子師範学校附属小学校入学
東京の小学校へ転校
大正12年(1923年) 12歳 東京の小学校を卒業、一家で三原へ戻る
大正13年(1924年)  13歳 広島県立福山中学校(誠之館)入学
昭和4年(1929年) 18歳 広島県立福山中学校(誠之館)卒業
昭和5年(1930年) 19歳 早稲田第二高等学院文科入学
昭和7年(1932年) 21歳 早稲田大学文学部仏文科入学
昭和10年(1935年) 24歳 早稲田大学文学部仏文科卒業
昭和12年(1937年) 26歳 商工省貿易局嘱託
昭和16年(1941年)12月〜
 昭和18年(1943年)8月
31〜
32歳
外務書記生として西貢(サイゴン、現ホーチミン市)勤務
昭和18年(1943年)8月〜
 昭和19年(1944年)
32〜
33歳
大東亜省通訳官補
昭和19年(1944年)5月 33歳 映画配給会社南方局調査部勤務
昭和20年(1945年)7月15日 34歳 応召し広島の部隊に所属
昭和20年(1945年)8月4日 34歳 福山の部隊に転属
昭和20年(1945年)8月15日 34歳 敗戦、召集解除
昭和20年(1945年)8月下旬 34歳 三原に戻る
昭和20年(1945年)10月15日 34歳 三原工業学校教頭
昭和21年(1946年)4月40日〜
 昭和23年(1948年)5月
35〜
37歳
三原市立図書館館長
昭和24年(1949年)4月 38歳 早稲田大学文学部専任講師
昭和27年(1952年) 41歳 早稲田大学文学部助教授
昭和32年(1957年)〜
 昭和56年(1981年)
46歳 早稲田大学文学部教授
昭和39年(1964年)4月12日〜
 昭和39年(1964年)10月8日
53歳 欧州旅行
昭和56年(1981年) 70歳 早稲田大学定年退職、名誉教授
昭和56年(1981年)7月 70歳 タヒチ島へ旅行


福山の文学(第5集)ふくやま文学館所蔵資料紹介
  −井伏鱒二福原麟太郎小山祐士木下夕爾・村上菊一郎小伝−』より
明治43年(1910年)10月に、現三原市東町で村上忠造、盛子の長男として生まれた。
一家は4代続いた造り酒屋であったが、6歳の時ある事情で父が破産し、家は親類の手に渡り一家で上京。
本人は広島県立女子師範学校附属小学校から東京の小学校に移り、そこを卒業すると同時に一家で三原に帰り、翌大正13年(1924年)に、福山中学校(誠之館)に入学した。

かって絵を学んだこともある父の影響で、一時は画家を志したが、次第に文学に心をひかれるようになった。
そして、中学2年次から、毎年校友会誌『誠之』に、随筆、詩、短歌を発表している。
また、弁論部に属し、4年次には、愛知県岡崎市の全国弁論大会に出場して、2等に入賞した。
応援団の団長も務めた。
成績は優秀で、2年次に1番、卒業時に16番であった。

昭和5年(1930年)早稲田第二高等学院文科に入学し、ここでも『校友会誌』にいくつかの詩を発表している。
2年後、早大文学部仏文科に進学、吉江喬松
(たかまつ)、西条八十(やそ)、山内義雄らの諸先生の薫陶を受けた。
とくに、山内義雄には目をかけられた。

大学1年次には、柴山教枝と結婚。2年次には、級友11人と同人誌『ヴァリエテ』を創刊。
以後、この雑誌に、ボードレール、フロベール、ジイド、シュランベルジュなどの翻訳を載せた。
これらの仕事は、西条八十にほめられたという。

昭和10年(1935年)に大学を卒業すると、私立フランス語学校に出講するかたわら、訳業に専念し、翌年の4月と6月に、ボードレールの『巴里(パリ)の悒鬱
(ゆううつ)』(世界名作文庫)と、『悪の華』(版画荘)を翻訳出版した。
文学社会へのいち早い出発である。

昭和11年(1936年)には、二人の友人と同人誌『肖像』を出して、創作にも意欲を出すが、生活には困窮した。
翌昭和12年(1937年)には、商工省貿易局嘱託となり、生活を安定させ、以後『文芸汎論』、『四季』、『改造』などの著名雑誌に、翻訳詩、随筆などを掲載、新進の翻訳家・詩人として知られるようになった。

そして、太平洋戦争開始の昭和16年(1941年)には、ボードレール『散文詩』(青磁社)、第一詩集『夏の鶯
(うぐいす)』(青磁社)、編集本『仏蘭西(フランス)詩集』(青磁社)の3冊を刊行した。
この時期としては、なかなかの活躍ぶりと言ってよいだろう。(磯貝英夫、ふくやま文学館館長)

昭和16年(1941年)12月、「外務書記生西貢
(サイゴン)在勤を命ず」の辞令を受けて、サイゴンに赴任した。
外務書記生としての業務は多忙であったが、小旅行や酒場での憩い、また古本屋に出かけては、ランボー、ヴィヨン、ヴェルレーヌ、ロチなどの多数の本を購入している。(岩崎文人、ふくやま文学館相談員)

サイゴンでの勤務を終え、昭和18年(1943年)8月に帰国し、以後大東亜省に勤めたが、1年足らずで退職し、昭和19年(1944年)5月に映画配給会社に入社し、その南方局調査部で仕事をした。
戦局は次第に切迫し、国粋思潮一辺倒のなかで、翻訳の仕事はほとんど困難となった。

昭和20年(1945年)7月15日に応召し、広島・福山の部隊に所属したが、8月15日敗戦。召集解除となって三原の郷里に帰ったのは8月下旬であった。(磯貝英夫)

彼が敗戦直後の郷里に貢献した文化的業績は、小さくない。敗戦直後の10月15日、三原工業学校教頭に就任し、翌昭和21年(1946年)には、三原市立図書館長となった。

こうした公的な職に加えて、中井正文、井上究一郎、田辺耕一郎らと広島文学者会を結成し、季刊誌『広島文学』を発行、戦後の地方文化出版の早い出発を担うとともに、三原はもとより、尾道、福山、広島などで開催された講演会、座談会に数多く出席し、地方文化の隆盛に大きな役割を果たした。

深安郡加茂村に疎開していた
井伏鱒二、大陸から帰還した笠岡の木山捷平、玉島に疎開していた小山祐士、倉敷に疎開中の藤原審爾らと盛んに交流し、文化的香りに渇していた精神を癒したのも、このころのことである。ボードレール、フローベルの翻訳に専念するために、図書館長の職を退いたのは、昭和23年(1948年)5月であった。(岩崎文人)

それから1年後の昭和24年(1949年)4月、恩師山内義雄らの推挙で、母校早稲田大学文学部専任講師となった。

以後、彼はこの職に落ち着き、昭和27年(1952年)助教授、昭和32年(1957年)教授と進み、70歳定年の昭和56年(1981年)まで勤めあげた。同年同大学名誉教授となる。病没は、その翌年の昭和57年(1982年)7月である。享年71歳。もう生活の波瀾
(はらん)はなく、目立つ出来ごとは3度の外遊程度である。

翻訳では、この時期には小説にまで進んで、フロベール、ドーデ、メリメ、ロマン・ロラン、ジイドなどの名作を訳出し、『愛の詩集』『四季の名詩』などの近代名詩鑑賞では、学匠ぶらない、平明、柔軟な筆を振るい、そうした仕事のほかに詩集1冊、随筆集2冊を刊行している。

東京オリンピックが開催された昭和39年(1964年)4月、彼は半年間のフランス出張が認められた。パリに腰を落ち着けて、多くの文化遺跡や、親しんできた文学者の足跡を訪ね、またヨーロッパ各国にも足を延ばしたりして、ゆったりとした日を送った。帰国は10月である。

帰国後、その紀行文を『宴
(うたげ)』(連載)その他の雑誌に発表し、のちに随筆集『マロニエの葉』に収録している。また彼は、昭和52年(1977年)4〜5月にも、2週間パリに出張滞在し、定年の昭和56年(1981年)7月には、10日間、ゴーギャンゆかりのタヒチ島へ旅行している。

彼の仕事の本命は、訳詩である。
とくにボードレール(『巴里の悒鬱』、『悪の華』)であるが、ランボーについても『ランボオ詩抄』、『ランボー詩集』(『ランボー全集』1)などを刊行、ほかには、ポール・フォールの翻訳が多い。
ヴェルレーヌについては、早く『ヴェルレーヌ艶詩集』を出しているが、とくに晩年に打ち込んで、多くの訳稿を残しており、死後刊行の『村上菊一郎訳詩集』に収録された。
村上訳詩の特色は、平明で、気取らず、しかも、リズミカルな美しさを持っているところにある。

散文作品の翻訳書には、フロベール『ヴォバリー夫人』『三つの物語』、ドーデ『風車小屋便り』『アルルの女』、ピエール・ロチ『秋の日本』、ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』(8冊)、アンドレ・ジイド『狭き門』などがある。(磯貝英夫)

彼の人となりは、象牙の塔に閉じこもっているという人ではなかった。飾らないエッセー、難解な語句を避けながら、叙情的な詩語を追及し続けた足跡によく表れているように、多くの人に愛された風雅の人であった。

ただ、多趣味の人ではなかったようである。
書物を買うこと、そして、終生酒を愛した。

加えて言えば、旅と草木を愛した。
海外旅行はもとより、日本での学会出席ごとに、その地の名所旧跡を訪ねてまわり、同僚とのドライブを楽しんだ。
自宅の庭にも、別荘にも、気に入った花・木を植え、愛でたという。(岩崎文人)
   (出典1)   石井和佳(昭和25年卒)


誠之館所蔵品
管理 氏  名 名  称 制作/発行 日 付
02806 村上菊一郎 著
福山中学校誠之会 編
「休暇中の一日」
『誠之(第30号)』、45頁
福山中学校誠之会 大正14年
02806 村上菊一郎 著
福山中学校誠之会 編
「悲しい夕」
『誠之(第31号)』、46頁
福山中学校誠之会 大正15年
02807 村上菊一郎 著
広島県立福山中学校誠之会 編
「秋二題」
『誠之(第32号)』、57頁
広島県立福山中学校誠之会 昭和2年
02807 村上菊一郎 著
広島県立福山誠之館中学校誠之会 編
「修学旅行記(1)」
『誠之(第33号)』、31頁
広島県立福山誠之館中学校誠之会 昭和3年
02807 村上菊一郎 著
広島県立福山誠之館中学校誠之会 編
「左ぎっちょ」
『誠之(第33号)』、47頁
広島県立福山誠之館中学校誠之会 昭和3年
02807 村上菊一郎 著
広島県立福山誠之館中学校誠之会 編
「春の気配のよくわかる日」
『誠之(第34号)』、27頁
広島県立福山誠之館中学校誠之会 昭和4年
02807 村上菊一郎 著
広島県立福山誠之館中学校誠之会 編
「海の書信」ほか
『誠之(第34号)』、35頁
広島県立福山誠之館中学校誠之会 昭和4年
04898 村上菊一郎 著 随筆集『マロニエの葉』 現文社 昭和42年
05227 村上菊一郎 著 随筆集『ランボーの故郷』 小沢書店 昭和55年
05228 村上菊一郎 著 『南果集 村上菊一郎詩歌集』 村上教枝 昭和58年
03909 村上菊一郎 訳 『村上菊一郎訳詩集』 教育出版センター 昭和61年
02060 村上菊一郎 著
福山誠之館同窓会 編
「母校の思い出」
『懐古−誠之館時代の思い出−』、116頁
福山誠之館同窓会 昭和58年
05535 ふくやま文学館 編 『福山の文学第5集 ふくやま文学館所蔵資料紹介−井伏鱒二・福原麟太郎・小山祐士・木下夕爾・村上菊一郎小伝−』 ふくやま文学館 平成16年
05536 ふくやま文学館 編 『ふくやま文学館開館十周年記念 福山地方の詩と童謡』 ふくやま文学館 平成21年
05541 ふくやま文学館 編 『福山の文学第10集 ふくやま文学館所蔵資料シリーズ 村上菊一郎訳 ランボー「地獄の季節」』 ふくやま文学館 平成21年


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書  名 著者 訳者 制作/発行 日 付 コメント
訳詩集『巴里の悒鬱(ぱりの・ゆううつ)』(世界名作文庫) ボードレール 村上菊一郎 昭和11年
訳詩集『悪の華』 ボードレール 村上菊一郎 版画荘 昭和11年
訳詩集『散文詩』 ボードレール 村上菊一郎 青磁社 昭和16年
詩集『夏の鶯(なつの・うぐいす)』(第1詩集) 村上菊一郎 青磁社 昭和16年 200部
訳詩集『仏蘭西(フランス)詩集』 (編集本) 青磁社 昭和16年
散文翻訳書『秋の日本』 ピエール・ロチ 村上菊一郎 青磁社 昭和17年 吉永清共訳
詩集『夏の鶯(なつの・うぐいす)』(第1詩集)復刻版 村上菊一郎 昭和21年 300部
訳詩集『ランボオ詩鈔』 ランボー 村上菊一郎 浮城書房 昭和23年
詩集『茅花集(つばな・しゅう)』(第2詩集) 村上菊一郎 浮城書房 昭和24年 75部
散文翻訳書『ボヴァリー夫人』 フロベール 村上菊一郎 思索社 昭和24年
散文翻訳書『風車小屋便り』 ドーデ 村上菊一郎 蒼樹社 昭和24年
詩集『村上菊一郎全詩歌集』 村上菊一郎 平成2年 没後刊行
『イギリスの君主制』 村上菊一郎
訳詩集『ランボー詩集』(ランボー全集1) ランボー 村上菊一郎
『ボードレール詩集』(角川版世界の詩集2) ボードレール 村上菊一郎 角川書店
訳詩集『ヴェルレーヌ艶詩集』 ヴェルレーヌ 村上菊一郎
訳詩集『聖なる町 京都』 ピエール・ロチ 村上菊一郎
『愛の詩集』 村上菊一郎 二見書房 編著書
訳詩集『四季の名詩』 村上菊一郎
散文翻訳書『三つの物語』 フロベール 村上菊一郎
散文翻訳書『アルルの女』 ドーデ 村上菊一郎
散文翻訳書『ジャン・クリストフ』 ロマン・ロラン 村上菊一郎 8冊
散文翻訳書『狭き門』 アンドレ・ジイド 村上菊一郎
散文翻訳書『イギリスの君主制』 村上菊一郎


出典1:『福山の文学(第5集)ふくやま文学館所蔵資料紹介 −井伏鱒二・福原麟太郎・小山祐士・木下夕爾・村上菊一郎小伝−』、88頁、ふくやま文学館編刊、2004年3月31日
出典2:『懐古−誠之館時代の思い出−』、116頁、「母校の思い出」、村上菊一郎、福山誠之館同窓会編刊、昭和58年5月15日
関連情報1:HP「井伏鱒二:荻窪風土記:阿佐ヶ谷文士==」
2005年1月28日更新●2005年4月22日更新:本文、著書●2005年11月8日更新:関連情報●2006年6月29日更新:タイトル、所蔵品●2007年8月10日更新:関係資料●2008年3月24日更新:経歴、本文●2008年3月25日更新:経歴、著作翻訳書●2008年10月24日更新:誠之館所蔵品●2008年12月5日更新:著作翻訳書、誠之館所蔵品●2008年12月15日更新:経歴、著書・翻訳書、誠之館所蔵品●2008年12月16日更新:経歴、本文●2008年12月17日更新:経歴●2008年10月28日更新:本文●2009年11月19日更新:誠之館所蔵品●2009年11月20日更新:経歴、著書・翻訳書●2009年11月25日更新:誠之館所蔵品●2009年12月15日更新:著書・翻訳書、誠之館所蔵品●2010年4月15日更新:関連情報●2010年4月15日更新:関連情報、探しています●2011年8月17日更新:誠之館所蔵品、関連情報●