福山阿部藩
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福山藩
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関係者
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歴代役員
村上久
むらかみ・ひさし
最高検検事、弁護士
村上久


経 歴
生:大正13年(1924年)生まれ
昭和17年(1942年) 18歳 広島県立福山誠之館中学校卒業
昭和23年(1948年) 24歳 高等試験書司法科合格
昭和24年(1949年) 25歳 京都大学法学部卒業
昭和24年(1949年) 25歳 司法修習生
昭和26年(1951年) 27歳 検事
山口地方検察庁
静岡地方検察庁
昭和32年(1957年)〜
 昭和49年(1974年)
33〜
50歳
東京地方検察庁(特別捜査副部長、交通部長、刑事部長など)
昭和49年(1974年) 50歳 横浜地方検察庁次席検事
盛岡地方検察庁検事正
昭和52年(1977年) 53歳 最高検察庁検事
昭和55年(1970年)〜
 昭和58年(1983年)
56〜
59歳
千葉地方検察庁検事正
昭和58年(1983年) 59歳 検事退職
東京・京橋公証役場 公証人
通産省綱紀問題委員会法律顧問
各社顧問弁護士
平成7年(1995年)11月 71歳 勲二等瑞宝章


同級生痛飲録   村上久(昭和17年卒)
同級生3人が酔っぱらって、ぶっ倒れ、目が覚めて気がつくと、駅のベンチで寝ていた。
あわてて、すぐそばで寝ぼけている友達をゆり起こして「ここは何処だ」と言いながら、あたりを見回すと、国電(JR)板橋駅のプラットホームだった。
酔っ払って浅草の地下鉄銀座線田原町駅の階段を降りていることをおぼろげながら覚えているのだが、その後のことがさっぱり分からない。
帰るべき下宿屋の最寄り駅である山手線高田馬場駅から遠くはずれてしまって赤羽線(現在の埼京線)板橋駅へどうして来たのか合点がいかなかった。
昭和25年−今から45,6年前の若き日の想い出の一コマである。

その一人、岡田英敏は言わずと知れた剣道の達人であり、早稲田大学商学部卒業後、大学院で海上損害保険を専攻していた。
私は京都大学を卒業して司法修習生に採用され東京で修習することになったが、戦後間もない頃で下宿がないため、岡田の下宿に飛ぴ込んで居候をしていた。
そこへ、中学時代私や田辺悌弘などと一緒に柔道をやった仲間の1人である大辻高正が上京して来たのである。
当時彼は京都大学在籍中で戦後新設された相撲部の主将をやっていたが、身長、体重申し分なく熊のような大男であった。

図らずも、柔剣道合わせて13段の誠之館同級生3人が下宿四畳半において合い会したのである。
何を隠そう、私たち3人は誠之館中学5年生のとき当時不良と呼ばれていた下級生に鉄拳制裁を加えた罪により、謹慎処分を受けた仲間でもある。

私たち3人は、焼酎で酒盛りをしながら、中学時代や戦争をめぐるいろいろの想い出を語り合った。
そうこうするうちに、何かのはずみで、誰が一番酒が強いかということが話題になった。
折りも折り、浅草のカバン屋の息子で早稲田大学でボクシングをやっていたS君が居合わせ、「浅草の神谷バーへ行けば電気ブランという極めて強度の酒がある」というので、早速「誰れが何杯飲めるか」を競うことにした。

その翌日だったと思うが私たちは、腕時計その他金目の物をかき集め、隣組の質屋のおばさんを拝み倒してなにがしかの資金を作った。
それでもなお電気ブランとかを飲み過ぎて金が足りなくなってはとの不安から、焼酎を1升買って来て3人がこれを等分に飲んで下地を作り、S君の案内で勇躍神谷バーに赴いたのである。

3杯飲めば酔っ払い、5杯飲めば足を取られてひっくり返るということだったが、意外に口当たりが良かったせいか、3杯、5杯はなんのその、更に杯が重なり、私は空のグラスを目の前に6個並べたときには正に頭はモウロウ。
「もうダメだ」と思ったとき、確か岡田は8杯。
大辻は10杯飲んで相当酔っ払っていながら「まだ飲む」というのを、ようやく店の外に連れだした。

断続的というのはこのように酩酊したあとの記憶である。
S君の案内でオデンのようなものを食ったが、その前後を覚えていない。
「吉原を冷やかそう」ということで、吉原遊廓目指して歩いたことは覚えている。
自分が酔っていないことを誇示しようとして、真っ直ぐに歩こうとしても、2,3歩目から体の重心が一方に傾き、それを立て直そうとすると他方に傾く。
それに伴って両足が右に行ったり、左に行ったりする。
千鳥足とはよく言ったものである。
みずからを叱咤して直進しようとするうちに分からなくなってしまった。
ただ、当分の間、青い灯、赤い灯が頭の一隅から消え去らなかった。
吉原の店内の明かりであったかも知れない。

それから、地下鉄田原町駅の階段を覚えていて、気がついたら板橋駅だったのだから、記憶の断絶は相当大きいが、その断層を埋めるべき記憶が存在しないのである。

私たちの同世代が経験した戦後間もない頃のいわゆる「酒乱の時代」には、よくあることであった。

翌年、岡田は、住友海上火災という大変堅い会社に就職した。
大辻は、心ならずも郷里に帰り家業の酒屋を継いだ。
私は、検事という極めて特殊な仕事に就いた。
それから、45年余りが経過した。
最も身体強健だった大辻が先に死んでしまった。
私たちのように生き残った同級生は、すべて70歳の古稀の坂を越えているが、その多くは、若者と同じように元気に語り合い、レジャーを楽しみ快活に振舞っている。
その中でとりわけ私のように、楽しく酒を飲み続けて来た者が「酒をやめるくらいなら人生を辞める」と言っても容易に共感を得られない世の中になったように思われる。
   (出典1)


誠之館所蔵品
管理 氏  名 名  称 制作/発行 日 付
02150 村上久 著 『検事の現場検証』 中央公論社(中公文庫) 昭和61年


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氏  名 書    名 制作/発行 日 付
村上久 著 『凶悪犯罪とその捜査−本部事件係検事覚え書』 立花書房 昭和57年


出典1:『誠之館同窓会報(第3号)』、12頁、福山誠之館同窓会編刊、1996年5月19日
2005年2月23日更新:経歴●2006年5月30日更新:タイトル・連絡先(削除)●2006年6月29日更新:所蔵品●2008年12月17日更新:経歴・著書・誠之館所蔵品●2009年6月8日更新:経歴●