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社会政策学者、衆議院議員、文部大臣、広島大学学長、 中央教育審議会会長、日本育英会会長、日本ユネスコ国内委員会会長、 NHK学園高等学校校長、文化功労者、広島市名誉市民、福山市名誉市民、 勲一等瑞宝章、勲一等旭日大綬章 |
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経 歴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生:明治21年(1888年)12月23日、広島県福山東堀端(現福山市城見町)生まれ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
没:昭和59年(1984年)5月28日、享年96歳 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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生い立ちと学業、業績 |
郷土が誇る日本的名士であり、福山市が生んだ偉大な先覚者である。 旧福山藩剣術師範森戸鸞蔵の子(姉3人)として生まれた。氏の回想録によれば、貧しい没落士族の生活であったが、武家の家庭特有の苦難に耐える伝統的精神があり、それが生涯の生きる力となったという。 町立の幼稚園から米屋町の尋常小学校、三之丸町の男子高等小学校を経て、明治35年(1902年)、県立福山中学校(誠之館)に入学した。在学中は、学業・性行・体育ともにすぐれ、弁論・剣道に於ては抜群の技能を示した。また端艇遠漕も楽しい思い出であった。特に福中教育における建学以来の「誠の道」の理念が、氏の人間形成の上で最大の要素となったことは、「人間の館『誠之館』」という氏のことばによっても明らかである。 そのほかに、福中時代の聖公会での受洗や、一高時代の新渡戸稲造氏の影響によるキリスト教的思想も、それまでの家庭の武士道的伝統、中学の「誠之」の精神とともに、氏の人道的精神形成の糧となった。 福山中学を卒業後、一高を経て大正3年(1914年)7月東京帝国大学法科大学経済学科を卒業、高野岩三郎教授の門下生として直ちに助手に任命され、大正5年(1916年)9月、助教授(社会政策学担当)となった。 大正8年(1919年)年4月、東京帝大では、分科大学制の廃止に伴い、旧法科大学の経済・商業両学科が、経済学部として独立した。この独立を機に大正8年(1919年)12月に、学部の機関誌『経済学研究』 が創刊されたが、これに森戸助教授の「クロポトキンの社会思想の研究」という論文が掲載されたのである。 これを見た同大学の右派学生団体「興国同志会」は、「この論文は、学術研究にあらず。純然たる無政府主義の宣伝だ。」と、指摘糾弾した。また内務省・文部省も、それを問題視した。山川健次郎総長は、文部省の示唆をうけ、機関誌を回収する一方、森戸助教授に遺憾の意を書面にしたため、辞職するよう説得したが、氏はこれに応じなかった。経済学部教授会は議論の末、大正9年(1920年)1月10日、森戸助教授の休職を決定し、内定していた外国留学の予定も取り消した。 強硬姿勢をとる司法省検事局は、「新聞紙法」(明治42・5・6の法律第41号)の「朝憲紊乱罪」(同法第42条)によって、1月14日、森戸助教授のみならず、編集発行人の大内兵衛助教授をも起訴した。これに対し、経済学部学生および法学部学生はそれぞれ大会を開き、「吾人は学問の独立を期す。」「経済学部教授会および大学総長の反省をうながす。」と、決議した。 裁判の結果、3月3日第一審有罪、6月29日控訴審でも有罪判決、10月22日大審院において上告棄却、森戸助教授は禁錮3カ月罰金70円の実刑、大内助教授は禁錮2カ月罰金20円執行猶予2年の判決を受けた。そして、森戸助教授は、大学の教職から追われた。これがいわゆる「森戸事件」であり、まさに大学のてん落のさきがけとして、一世を震撼させた。 大正9年(1920年)10月、東大退官後、高野岩三郎博士の大原社会問題研究所に入って研究員となり、経済学・社会問題研究のため、英独仏露諸国へ留学した。大正12年(1923年)8月に帰国してからは、第二次世界大戦中同所の機能が停止されるまで、一貫して社会政策、労働問題の研究と論述に専念するかたわら、論壇で華々しく活躍した。昭和16年(1941年)以降、同所の常務理事として、実務面での担当者をも兼ねた。そして、戦争中も清貧の中にあって、にらまれながらも清節を曲げなかった。 戦後は、昭和20年(1945年)11月、日本社会党の結成に参加して入党、翌昭和21年(1946年)4月、郷里広島県3区から衆議院議員に当選(以後連続3期当選)し、社会党右派の理論的指導者として活躍した。また、社会保険制度調査会、教育刷新委員会、給与審議会の各委員を歴任した。 昭和22年(1947年)6月、片山内閣成立にあたって文部大臣として入閣し、さらに翌昭和23年(1948年)3月の芦田内閣にも、文部大臣として再任され、同年10月19日まで在職し、連合国軍占領下での教育民主化政策を指導した。昭和22年(1947年)6・3学校制度の発足、昭和23年(1948年)公選教育委員会の設置など、重要施策をつかさどった。 昭和24年(1949年)6月、広島大学の発足にあたって学長に推され、「日本の民主化は、人間をつくることである。その人間は、大学でつくらねばならぬ。」といって、日本社会党を離れて衆議院議員を辞職し、昭和25年(1950年)4月、広島大学学長に就任した。昭和38年(1963年)3月までその職にあって、初代学長として新制広島大学の基盤を確立するのに貢献した。学長退官の昭和38年5月、広島大学名誉教授となった。 同年4月以後は、昭和47年(1972年)まで日本育英会会長を務めるかたわら、国際交流(日本ユネスコ国内委員会会長)や放送教育(NHK学園高等学校校長)の振興や、昭和41年(1966年)の「期待される人間像」答申など、戦後教育改革の手直しに取り組んだ。 また、学長在任中の昭和28年(1953年)9月から、文部大臣の政策立案諮問機関である中央教育審議会に参加し、昭和38年(1963年)5月から昭和46年(1971年)7月まで連続4期にわたり、その会長を務めた。特に昭和46年(1971年)6月には、「第三の教育改革」案と評された第22回答申「今後における学校教育の総合的な整備のための基本的施策について」(四六答申)をまとめあげるうえで、中心的役割を果たした。 昭和46年(1971年)教育者としての長年の功績によって、文化功労者表彰を受け、また同年10月、福山市は福山市政55周年を記念する行事として、福山市名誉市民に推挙してその栄誉をたたえた。 誠之館高校講堂の外壁正面に掲げられている「誠之講堂」の題字は、氏の揮毫によるものである。 著書には、『クロポトキンの片影(大正10年)』、『近世社会主義思想史(大正10年)』、『思想と闘争(大正14年)』、『社会科学研究の自由に関して青年学徒に訴う(大正14年)』、『思想の遍歴(上・昭和47年、下・昭和50年)』などがある。 勲一等瑞宝章、勲一等旭日大綬章受章。昭和59年(1984年)5月28日、96歳という高齢で波乱に充ちた生涯を終えた。 石井和佳(昭和25年卒) |
昭和34年10月1日、福山市の田尻漁業協同組合に建つ「藻貝の養殖記念碑」を撰文した。 一族に森戸隆三(陸軍少将)がいる。 |
誠之館所蔵品 | ||||
管理 | 氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 日 付 |
02167 | 森戸辰男 書 | 扁額「論語(学而不思)」 | − | − |
04391 | 森戸辰男 書 | 扁額「論語(無信不立)」 | − | 昭和28年 |
04322 | 森戸辰男 書 | 扁額「礼記(和為貴)」 | − | 昭和28年 |
02166 | 森戸辰男 書 | 扁額「誠之講堂」 | − | 昭和45年 |
◎ | ◎ | ◎ | ◎ | ◎ |
03902 | 森戸辰男 著 | 『近世社会主義思想史』 | 我等社 | 大正10年 |
03899 | 森戸辰男 著 | 『クロポトキンの片影』 | 同人社書店 | 大正10年 |
03903 | 森戸辰男 著 | 『エンゲル ベルギー労働者家族の生活費』 | 第一出版(株) | 昭和22年 |
03904 | 森戸辰男 著 | 『オウエン モリス』 | 岩波書店 | 昭和23年 |
06586 | 森戸辰男 著 | 『教育と私−文化功労者の顕彰を受けて−』 | − | 昭和46年 |
03900 | 森戸辰男 著 | 『思想の遍歴(上)−クロポトキン事件前後』 | 春秋社 | 昭和47年 |
03901 | 森戸辰男 著 | 『思想の遍歴(下)−社会科学者の使命と運命』 | 春秋社 | 昭和50年 |
00389 | 森戸辰男 著 | 『教育を考える』 | 森戸辰男 | 昭和50年 |
06768 | 森戸辰男 著 | 「私の履歴書 森戸辰男」(日本経済新聞切り抜き) | 日本経済新聞 | 昭和51年 |
◎ | ◎ | ◎ | ◎ | ◎ |
03094 | 葛原先生童謡碑建設委員会 編 | 『ニコピン先生葛原しげる追悼録』、追加頁、「除幕式祝辞(森戸辰男)」 | 葛原先生童謡碑建設委員会 | 昭和39年 |
03048 | 福山市市長公室 編 | 『地方都市の課題−福山市のコミュニティづくり−』、161頁、「見直そう日本の心 我が心にふるさとを持とう−座談会(森戸辰男ほか)」 | 福山市市長公室 | 昭和53年 |
02060 | 森戸辰男 著 福山誠之館同窓会 編 |
「「誠之館」の想い出−「人間の館」として−」 『懐古−誠之館時代の思い出−』、1頁 |
福山誠之館同窓会 | 昭和58年 |
04661 | 森戸文書研究会 編 | 『広島大学所蔵 森戸辰男関係文書目録(上下)』 | 広島大学 | 平成14年 |
06507 | 安川悦子ほか著 | 『地域の力・地域の文化−多元都市「福山」の可能性−』、3頁、「森戸辰男における「理想の社会」−オウエン、モリス、クロポトキン研究を通して−(安川悦子)」 | 児島書店 | 平成22年 |
探しています | |||
氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 日 付 |
ヴェネル・ゾムバルト 著 森戸辰男 訳 |
『労働組合運動の理論と歴史』 | 大原社会問題研究所 | 大正11年 |
森戸辰男 著 | 『労働者問題』 | 岩波書店 | 大正11年 |
アントン・メンガア 著 森戸辰男 訳 |
『全労働収益権史論』 | 弘文堂書房 | 大正13年 |
森戸辰男 著 | 『社会科学研究の自由に関して青年学徒に訴う』 | 改造社 | 大正14年 |
森戸辰男 著 | 『思想と闘争』 | 改造社 | 大正14年 |
森戸辰男 著 | 『最近ドイツ社会党史の一齣』 | 同人社書房 | 大正14年 |
森戸辰男 著 | 『闘争手段としての学校教育』 | 同人社 | 大正15年 |
森戸辰男 著 | 『思想闘争史上における社会科学運動の重要性』 | 改造社 | 昭和2年 |
森戸辰男 著 | 『岩波講座 哲学 我が国における研究 自由闘争史の一節 進化主義思想の移植』 | 岩波書店 | 昭和8年 |
森戸辰男 著 | 『剰余価値学説略史(経済学全集第50巻)』 共:笠信太郎 | 改造社 | 昭和8年 |
森戸辰男 著 | 『独逸労働戦線と産業報告運動 その本質及任務に関する考察』 | 改造社 | 昭和16年 |
森戸辰男 著 | 『独逸労働の指導精神』 | 栗田書店 | 昭和17年 |
エンゲルス 著 森戸辰男 訳 |
『統計学古典選集第11巻 労働の価格/人間の価値』 | 栗田書店 | 昭和17年 |
ドロービッシュ 著 森戸辰男 訳 |
『統計学古典選集第8巻 道徳統計と人間の意志自由/人口統計及び道徳統計の結果について』 共著:シュモラー、共訳:大内兵衛 | 栗田書店 | 昭和18年 |
森戸辰男 著 | 『救国民主連盟の提唱』 | 鱒書房 | 昭和21年 |
森戸辰男 著 | 『青年学徒に訴ふ 知識階級はいま何を為すべき乎』 | 学芸社 | 昭和21年 |
森戸辰男 著 | 『労働組合と経済復興(毎日労働講座)』 共:中山伊知郎 | 毎日新聞社 | 昭和22年 |
森戸辰男 著 | 『社会民主主義のために』 | 第一法規出版 | 昭和22年 |
森戸辰男 著 | 『労働組合の課題』 | 君島書房 | 昭和22年 |
森戸辰男 著 | 『新日本建設国民運動の性格と目標 公民叢書13』 | 社会教育連合会 | 昭和23年 |
森戸辰男ほか 著 | 『新教育基本資料とその解説』 | 学芸教育社 | 昭和24年 |
森戸辰男ほか 著 | 『西洋文化への省察 (教養文庫)』 | − | 昭和26年 |
森戸辰男 著 | 『国際連合と平和主義』 | 日本国際連合協会 | 昭和27年 |
森戸辰男 著 | 『変革期の大学』 | 広島大学本部 | 昭和27年 |
森戸辰男 編 | 『経済学の諸問題 久留間鮫造教授還暦記念論文集』 | 法政大学出版局 | 昭和33年 |
森戸辰男 著 | 『日本教育の回顧と展望』 | 教育出版 | 昭和35年 |
森戸辰男 著 | 『科学と世界平和 (IDE教育選書)』 | − | 昭和37年 |
森戸辰男 著 | 『高野岩三郎伝』 共:大内兵衛、久留間鮫造』 | 岩波書店 | 昭和43年 |
森戸辰男 著 | 『統計学古典選集 神の秩序(復刻版)』 共訳:高野岩三郎 | − | 昭和44年 |
森戸辰男 著 | 『教育不在 占領政策と権力闘争の谷間』 | 鱒書房 | 昭和47年 |
森戸辰男 著 | 『第三の教育改革 中教審答申と教科書裁判』 | 第一法規出版 | 昭和48年 |
森戸辰男 著 | 『遍歴八十年』 | 日本経済新聞社 | 昭和51年 |
森戸辰男 著 | 『私の履歴書』 | 日本経済新聞社 | 昭和59年 |
森戸辰男 著 | 『無政府主義(復刻版)』 | 黒色戦線社 | 昭和63年 |
森戸辰男 著 | 『大学の転落』 | − | − |
森戸辰男 著 | 『無政府共産主義研究 人類の福音』 | 研究会 | − |
森戸辰男ほか 著 | 『社会主義研究』 共:堺利彦、鹿子木員信 | − | − |
◎ | ◎ | ◎ | ◎ |
森戸文書研究会 編 | 『森戸辰男とその時代』 | 森戸文書研究会 | 平成12年 |
出典1:『政治経済文化備後綜合名鑑』、式見静夫編、備後文化出版社刊、昭和34年9月 出典2:『誠之館百三十年史(上巻)』、742,763,778,782,784,786,797,991,1056頁、福山誠之館同窓会編刊、昭和63年12月1日 出典3:『誠之館百三十年史(下巻)』、94,174,179頁、福山誠之館同窓会編刊、平成元年3月31日 出典4:『日本現近代人名辞典』、吉川弘文館編刊、2002年 出典5:『現代日本・朝日人物事典』、朝日新聞社編刊、1990年 出典6:『広島大学所蔵森戸辰男関係文書目録(上下)』、森戸文書研究会編刊、平成14年(2002年)9月10日 出典7:『誠之舎−戦争と占領下の一学生寮の記録−』、文集『誠之舎』編集委員会編、誠之舎潺潺会刊、昭和60年6月28日 出典8:『昭和29年度校務日誌』、福山誠之館高等学校、昭和29年 出典9:「私の履歴書 森戸辰男(日本経済新聞)」、森戸辰男著、日本経済新聞社発行、昭和51年2月 出典10:『福山のいしぶみ散歩』、64頁、佐野恒男著、福山市文化財協会刊、1993年5月12日 |
2004年11月11日更新:所蔵品●2004年11月30日更新:所蔵品●2005年4月19日更新:経歴・所蔵品●2005年10月19日更新:所蔵品●2006年6月29日更新:タイトル・所蔵品●2006年12月13日更新:経歴・所蔵品・関連情報・出典●2007年6月21日更新:本文・関連情報●2007年8月10日更新:関係資料●2007年11月19日更新:経歴・本文・関連情報削除・出典●2008年7月29日更新:経歴・関連資料●2008年8月21日更新:経歴・出典●2009年3月16日更新:誠之館所蔵品●2009年7月7日更新:関連資料●2009年12月25日更新:誠之館所蔵品●2010年7月15日更新:本文・誠之館所蔵品・探しています・関連資料(削除)●2011年3月3日更新:本文・誠之館所蔵品●2011年10月26日更新:経歴・誠之館所蔵品・出典●2012年2月14日更新:本文・探しています・出典● |