福山阿部藩
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誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
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誠之館
教師
誠之館
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交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
森田節齋
もりた・せっさい
幕末の漢詩人


経 歴
生:文化8年(1811年)11月、大和国五条辰巳街生まれ
没:慶応4年(1868年)7月26日、享年58歳、愚中庵善通寺に葬る
文政2年(1819年) 9歳 父を亡くす
文政7年(1824年)~
 文政9年(1826年)ごろ
14~
16歳ごろ
京にのぼり猪飼敬所に医術を学ぶ
文政10年(1827年)~
 文政12年(1829年)
17~
19歳
頼山陽に経書を学ぶ
文政12年(1829年)9月~
 天保3年(1832年)
19~
23歳
昌平黌において古賀侗庵に師事
天保3年(1832年) 23歳 全国を遊学する
天保4年(1833年) 23歳 大和に帰る
天保4年(1833年)~
 天保8年(1837年)
23~
27歳
備中上成村に滞在
天保8年(1837年) 27歳 再び大和に帰る
天保8年(1837年)~
 天保12年(1841年)
27~
31歳
伊予に滞在
天保12年(1841年)~
 弘化4年(1847年)
31~
37歳
大和郡山の枕流塾において子弟を教育
弘化5年(1848年)~
 弘化6年(1849年)
38~
39歳
大和五条に滞在
嘉永5年(1852年)ごろ 42歳ごろ 大和郡山綿町に寓居
安政元年(1854年) 44歳 無絃女史と結婚
京都丸太町・誓度寺において私塾を開く
安政3年(1856年)~
 文久元年(1861年)春
46~
51歳
藤江村山路機谷に寄寓
安政6年(1859年) 49歳 姫路藩に招かれる
文久元年(1861年)春 51歳 備中暮らしににおいて子弟に教育
大和五条に隠栖
紀州粉河に隠栖
慶応2年(1866年) 55歳 愚庵を名乗る


生い立ちと学業、業績
生い立ち
文化8年(1811年)11月、大和国五条辰巳街で森田家の三男に生まれた。
節齋、諱は益
(すすむ)、字は謙・謙蔵、号は五城(33歳ごろまで)、節齋・節翁(40歳ごろまで)、晩年は山外節翁・愚庵とも号した。
容貌は大いに異変で、性は極めて磊落、そして身幅を飾ることがなかったという。
父は文庵と号して名の通った医者で、門前市をなす程に繁盛したという。
兄弟には、早くに亡くなった長男のほかに、先妻の兄・淡
(たん)と、勛(くん)と勘(かん)の弟がいた。節齋が9歳のときに父親がなくなり、以後母親に育てられた。
節齋は遅鈍といわれたが、他の兄弟は皆慧敏と評されていた。

学業
その後文政7年(1824年)ごろ、節齋は兄淡とともに京にのぼり、猪飼敬所について医術を修め、文政10年(1827年)には、あわせて
頼山陽に師事した。
文政12年(1829年)9月には江戸へ下り、昌平黌に学び
古賀侗庵に師事し、学業は大いに進んだ。

交遊
3年後の天保3年(1832年)に昌平黌を去って全国に遊学し、安井息軒、塩谷宕陰、野田笛甫らと交わり、その交遊は梅田雲浜、
頼三樹三郎、宮部鼎蔵らへと拡がっていった。

子弟への教育
大和、備中上成村、伊予などの塾で子弟の教育にあたったという。
またある時期には京都に出て、誓度寺において弟子をとり学問を教えたともいう。
この頃からの節齋は、その優れた文才と、『弁難攻撃余力を残さず』といわれた激しい憂国の弁論で、幕末における尊皇攘夷論者の総帥としての地歩を固めていった。
その門下生には、巽太郎、吉田寅次郎(吉田松陰)、江堵五郎、乾十郎、日下玄瑞、安元社預蔵、万才庄助らがいる。
世の中は外国船の出没などにより、次第と騒然となっていく。そうした中で、弟子をはじめとして囚われ下獄する志士が続いた。こうした世情を憂いて、志士を糾合してことを起こそうと図ったが、幕府に疑われ追われの身となった。こうして50回以上も転居したという。

藤江村・山路機谷へ寄寓

こうした時、幕府の探索を逃れるために藤江村の豪農である山路機谷に匿われた。
このときに機谷をはじめとして地元の
平川鴨里神原護国五十川訊堂らや各地の志をもつ士が競って師事した。

晩年
備中の廣江又兵衛の招きにより倉敷において学校を開き、274名もの門下生を集め学問を講じた。
しかしここでも過激な指導であったため、幕府から注意人物として警戒され、追求の手がのびてくる。
以後亡くなるまで、大和五条、紀州粉河などを転々とした。
そして慶応4年(1868年)7月26日、紀伊国那賀郡荒見村(現和歌山県紀の川市荒見)において病没、享年58歳、門人たちが愚中庵善通寺に葬る。

著作

『節齋文稿(1巻)』、『節齋遺稿(2巻)』。


誠之館所蔵品
管理№ 氏  名 名  称 制作/発行 日 付
00138 森田節齋 画 南画「瀑布図」
00164 森田節齋 書 七言絶句「城中熟舟」
05343 森田節齋 書 七言絶句「天下奇勝」
06562 森田節齋 書 七言絶句「郵亭月黒」


出典1:『山路機谷先生傳 附森田節齋と平川鴨里(復刻版)』、内外印刷(株)出版部刊、昭和60年9月20日
関連情報1:『森田節齋と郡山』、武岡豊太編刊、1917年
関連情報2:『森田節齋先生の生涯』、武岡豊太講演・刊、1926年
関連情報3:『森田節齋と姫路』、武岡豊太編刊、1930年
関連情報4:『森田節齋と郡山(増補再販)』、武岡豊太編刊、1930年
関連情報5:『勤皇儒者森田節斎』、渡瀬修吉著、和歌山交通新聞社刊、1948年
関連情報6:『森田節齋全集』、田村吉永編、五条市刊、1967年
関連情報7:『森田節斎』、新城軍平著、五条市刊、1973年
2009年3月16日追加●2009年3月17日更新:経歴・本文●2009年3月18日更新:経歴・本文・関連情報●2009年3月19日更新:誠之館所蔵品●2009年3月23日更新:経歴●2010年12月17日更新:誠之館所蔵品●2015年8月4日更新:誠之館所蔵品●2015年8月13日更新:本文●2015年8月22日更新:レイアウト●2015年10月5日更新:誠之館所蔵品●