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福山誠之館同窓会事務局長、広島県立葦陽高等学校事務長 | |||||||||
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経 歴 | ||||||||||||||||||||||||||||||
生:昭和6年(1931年)2月5日、広島県沼隈郡沼隈町(現福山市沼隈町)生まれ | ||||||||||||||||||||||||||||||
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「事務局長・門田一郎さんの活躍」 岩崎博(同窓会長《第8代》) |
門田さんが同窓会事務局長として在任された十年は同窓会にとって未曾有の激動の時期である。 長年の総合選抜制廃止に向けての訴えはまったく実らず、同窓会は法人化して独立性を得ることで母校の発展に寄与したいと、平成7年、学校外に土地を購入し、独立財団設立に向け県の認可と補助に尽力したが当時の厳しい社会情勢のなか、法人化の道は厳しく、内部でいろいろ議論が交わされた後平成9年、計画を断念して一連の問題を決着、この時はまだ前途はまったく見えなかった。 土地の売却が完了したのは平成10年春だった。 おりしも広島県は平成10年、文部省は教育正常化に向け2年に及ぶ異例の現状是正を県に命ずる。 また誠之館記念館には貴重な古資料があまり利用されることなく、山積されていたが、防災設備設置に伴い県立博物館に主資料保管を依頼せざるを得なくなり以後7年そのままになる。 そして平成10年秋、意気軒昂たる辰野教育長の文部省からの着任と共に、長年の懸案の解決に向け一気に局面が動き、しかも誠之館をその主点と捉えて頂く形になる。 こうして誠之会館の建設、歴史資料室の開室、歴史資料の県博からの持ち帰り。 それから3年に及ぶ資料整備、資料室運営にかかわるボランティア要員の確保、何十年、何代も、ただ一人でやってきていた同窓会事務局は、本部室、資料室の開室とともに連日多くの来訪者、観覧者を迎え、数人のスタッフが忙しく仕事に追われ、活気に満ちた状況になる。 誠之会館竣工以来満4年、思えば厳しく長い、谷あり、山ありの苦闘の毎日だったが、よくここまで人と形をまとめ、育てて頂けたと思う。お互いに何度もくじけそうになったこともあったはずだが、百歳になるご母堂への労わりと奉仕は常に変わることなく続いた。 私にとって一番の思い出は、やはり、誠之会館の落成と祝宴までの緊張した設営の長い道のりであろうか。 こっちも張り切っていたので勝手な注文をして随分困らせたが、人柄だけにうまく丸めて処理された。 やはり週に3日は無理しても学校に顔を出していた私の6年は、まさに門田さんとの6年だったという思いが強い。 今後も若い世代の行方を見ながら、誠之館に対する熱い思いを持ち続け、注文をつけてまいりましょう。 |
誠之館所蔵品 | ||||
管理 | 氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 発行日 |
04335 | 門田南山 書 | 書「長恨歌」 | − | 平成10年 |
2004年11月17日作成●2004年11月19日更新:写真追加●2004年11月22日更新:同窓会所蔵品追加●2005年2月16日更新:経歴●2005年2月17日更新:総会行事●2005年3月7日更新:経歴●2005年4月12日更新:本文・所蔵品●2006年6月28日更新:タイトル・所蔵品●2006年7月26日更新:経歴●2006年8月10日更新:経歴●2007年10月4日更新:経歴・関連情報●2008年8月14日更新:総会行事・誠之館所蔵品・関連情報●2008年12月9日更新:誠之館所蔵品● |