福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
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誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
宮本竹逕
本名
宮本顕一
みやもと・ちくけい みやもと・けんいち
書 家
宮本竹逕 (出典1)


経 歴
生:大正元年(1912年)9月25日、広島県沼隈郡赤坂村(現福山市赤坂町赤坂)生まれ
没:平成14年(2002年)10月7日、享年91歳
大正13年(1924年) 12歳 赤坂小学校卒業
昭和2年(1927年) 15歳 済美高等小学校卒業(三年制)
昭和8年(1933年) 21歳 広島県師範学校卒業
昭和14年(1939年) 27歳 文部省検定試験(習字科)合格
桑田笹舟に師事
日展参事
昭和21年(1946年)〜
 昭和40年(1965年)
34〜
53歳
日本書芸院理事長
金蘭高等女子学校(大阪)
昭和25年(1950年) 38歳 日展特選
昭和30年(1955年) 43歳 日展委嘱
昭和33年(1958年) 46歳 日展審査員(以後13回)
昭和42年(1967年) 55歳 日展文部大臣賞
昭和48年(1973年) 61歳 日本芸術院賞
昭和50年(1975年) 63歳 日展理事
昭和51年(1976年)〜
 昭和62年(1987年)
64〜
75歳
(社)日本かな書道会設立、理事長
昭和56年(1981年) 69歳 日展常務理事
昭和59年(1984年) 72歳 勲四等旭日小綬章
昭和61年(1986年) 74歳 新年歌会始召人
昭和61年(1986年) 74歳 皇太子同妃殿下御歌集題字「ともしび」揮毫
昭和62年(1987年) 75歳 日展参事
平成元年(1989年) 77歳 宮本竹逕「奥の細道」書展
日本かな書道会顧問
朝日新聞社「現代書道二十人展」メンバー
寒玉書道会会長
読売書法会常任総務・顧問


生い立ちと学業、業績
宮本竹逕は現代のかなの発展に大きな業績を残し、ドラマチックな生涯を送って、平成14年10月7日に90歳で亡くなった。書壇へのデビューは、戦前に文検に合格してかな作家の道を歩みだし、昭和25年にそれまで誰も注目しなかった関戸本古今集を研究し、この倣書風の小字がなで日展の特選を受賞したことに始まる。当時は尾上柴舟の推す和漢朗詠集風の全盛期であり、竹逕のこの斬新さが注目された。

ふくやま書道美術館に多くの作品が収蔵されている。


「只一筋に」 宮本顕一(雅号竹逕)
赤坂小学校を卒業して、三ヶ村立の済美高等小学校に入学した。他は二年制であるのに、これは珍らしく三年制であった。

校長先生は、北村最という気骨のある先生であった。朝礼の時「君等はこれから多難な人生を歩むことになるが、よいことがあると馬鹿みたいによろこび、反対に、悪いことがあると、不平をこぼして落胆してしまうのが多いが、それは人間の屑だ。人間は常に希望をもち、只一つでよいから、誰にも負けないものを、努力して掴むことだ。迷ってはいけない。只一筋に進まねばならない。」と、言葉は違うが、同じ意味のことを常に聞かされていた。

高等小学校が三年制であったので、皆より一年おくれて、師範学校の一部へ入学した。当時の師範学校は、全員寄宿舎に入れ、月謝は勿論とらないし、小遣いまでくれる制度になっており、貧乏人の子供にとっては、正しく楽園という所である。

福山師範学校の校長は、片山昇という先生であり、前述の北村先生と同じ様なことを言われた。「君等は卒業して、子供の教育をするのだ。人を導くということはむづかしいことで、在学中、勉学のことは勿論であるが、精神の支えになるものをしっかり身につけておかねばならない。そのためには何でもよいから、人に負けないものを一つ持て。その為には大きな努力が為されねばならない。この大きなものを一つ得れば、精神の支えにもなり、人生を歩む大きな自信となる。それがないと教員になってから子供を導いて行けない。教育は人を育てることだ。」と。

今七十歳になって、自分の歩んで来た道をふり返って見ると、この両先生の教訓が、大きな柱となっていたことに気付く。

人間というもの兎角弱いものである。「三日坊主」ということがある様に、大決心をして事をはじめても、すぐに挫折する。続かないのである。この挫折しそうになった時に、支えてくれるのが受けた教訓であり、人間の意志である。

永い人生の間には、逆境に立たされることもあるだろう。その様な時には、弱い人間は沈んでしまう。反対に一つを貫こうとする強固な意志力のある以上、その人は沈まない。どの様にしてでも、初志を貫徹すべく努力する。その努力は必ず効を奏して、以前にも増して意義のある生き方が出来る様になる。

私は、今、改めて、この大きな指針を与えて下さった北村、片山両先生に感謝するものである。

師範学校を卒業して隣村の学校に奉職した。その二年間に考えたことは、都会に出て行っての仕事がして見たいということであった。確たる自信があった訳ではないが、何かやろうと考えている者にとっては、田舎は余りにも刺激がなさ過ぎた。

そして、大阪に出て、昭和十四年に、文検に合格して、愈々「書」の本格的な勉強をはじめた。

私は日本人のつくった「かな」を勉強しようとし、平安朝時代に書かれた立派な書(古典として尊重している)を習った。勿論印刷物を手本として習うのであるが、安い印刷物しか買えないので、肝腎な所がよく見えない所が多い。私は、その古典の中から「関戸本古今集」というのを習った。然し印刷が悪いので大事な所が見えない。人に聞くと、コロタイプ印刷にしたのがあるが、それは実に鮮明だという。ところがこれは金二十円也とある。月給五十円の者にとっては高嶺の花だ。

当時東京に、東方書道会があり、展覧会を開いていた。関西の連中も多く出品していたので、私も出品した。そして、賞の中で一番下の「褒状」という賞になった。この時上京したのを機会に、夢にまで見た、関戸本のコロタイプ版を、金二十円出して買って帰った。そして帙の内側に、「昭和十六年六月、東方展に入賞して購入」と記した。まさしく清水の舞台から飛び下りる気持で買ったのである。

五十円の月給取りが二十円の本を買ったことによって、竹逕(私の雅号)の書業はのびた様に思う。今迄分からなかったことが、ドンドン分かる様になった。

その関戸本は今も、竹逕の机上にある。帙は破れてはいるが、書は厳然として机上にあり、竹逕の事業を見てくれている様である。

戦時中は疎開していたが、終戦後また大阪へもどった。
その頃は、書道人の間にも知り合いも多くなっていたこともあり、関西人の会を造ろうということで、
辻本史邑という大先輩の指揮によって、現在の、社団法人日本書芸院が誕生した。そして、二十三年、書が、日展五科として参加することになった。吾々にとってよろこびの連続であった。
 二十三年には入選した。そして二十四年には落選。捲土重来を期しての二十五年に特選となった。目まぐるしい変化である。

この時の審査主任は尾上柴舟先生であった。後から聞いた話であるが、先生が竹逕の作品(帖)をもって、「これはよい」と言っておられたとか。実は尾上先生は、「宮本竹逕」という者は御存じなかった筈である。全然知らない者の作品でも、よいものはよいとされた先生のお気持ちは、今にして思えば、審査の鑑と言ってよいと思う。よいものをよいとする。まさしく当然なことであるが、その当然なことが立派だと言いたいのである。

結果から見ると、これは、竹逕という人間に、書道界への大きな足がかりをつけて下さったことである。昭和五十七年、東京で「帖」の個展を開催した時、「つけすてし野火の畑のあかあかと、もえゆく頃ぞ山はかなしき」という尾上先生の御歌を揮毫して額にして、御子様の尾上富美子様に差し上げた。三十年以上も経って、御恩の万一を報じさせていただいた次第である。


誠之館所蔵品
管理 氏  名 名  称 制作/発行 日 付
00333 村上三島
宮本竹逕 書
巻子「修道」 昭和25年
06451 中村輝雄編 『青少年へ贈る言葉 わが人生論 広島編(上)』 文教図書出版(株) 昭和58年


探しています
氏 名 名  称 制作/発行 日 付
宮本竹逕 著 『宮本竹逕書法現代日本書法集成』 尚学図書 1977年
宮本竹逕 著 『入門毎日書道講座5』(共著) 毎日新聞社 1977年
宮本竹逕 著 『宮本竹逕書作展 民謡を主題に(図録)』 寒玉書道会 1979年
宮本竹逕 著 『宮本竹逕民謡百筆』 講談社 1981年
宮本竹逕 著 『大字かな技法』 二玄社 1984年
宮本竹逕 著 『寒玉帖 全5巻』 書道新聞社 1984年
宮本竹逕 著 『かなを語る』 美術公論社 1985年
宮本竹逕 著 『大慈大悲西国三十三所観音衆成』(共著) 講談社 1986年
宮本竹逕 著 『かなの風景 線と造形』 芸術新聞社 1991年
宮本竹逕 著 『卒寿記念(図録)』 贅交社 1992年
宮本竹逕 著 『現代臨書大系(第8巻)愛蔵版』 小学館 1998年
宮本竹逕 著 『書道技法講座4 かな関戸本古今集』 二玄社
宮本竹逕 著 『宮本竹逕作品集成』 講談社
宮本竹逕 著 『竹逕大字かな帖』 書道新聞社


出典1:『青少年へ贈る言葉 わが人生論 広島編(上)』、204頁、中村輝雄編、文教図書出版(株)刊、昭和58年4月11日
出典2:『知っとる?ふくやま 検定試験/公式テキスト』、130頁、中国新聞社編刊、2007年11月15日
出典3:『書業七十年記念 桑田笹舟の世界』、105頁、谷口光政著、創林書房刊、昭和63年6月24日
出典4:『現代文化(39)日中国交正常化30周年記念』、294頁、現代文化協会編刊、平成14年5月28日
2006年9月6日追加●2006年9月11日更新:経歴・本文●2007年11月22日更新:写真・経歴●2009年10月28日:経歴●2010年7月13日更新:写真●2010年7月13日更新:写真・経歴・本文・誠之館所蔵品・探しています・出典●2010年9月8日更新:経歴・出典●2013年11月13日更新:経歴・出典●