宮本喜一郎先生が逝去されたとの知らせを頂き愕然と致しました。
今年の5月、私ども福山誠之館を昭和19年に卒業した同期生が卒業48年の会を致しました折先生をお招きしましたが、術後で体調が充分でないので一人では行けないと、残念そうなお便りで、それでも京都辺りまではときどき行くんだと承り、お元気にお過ごしとばかり思っておりました。
私どもが教えて頂きましたのは戦争のまっただ中の昭和17、8年頃のこと。
凄いファッショの嵐が吹き荒れていた生き難い世情の中で、先生は最後まで見事に変わらない、悠々たる大人の雰囲気のままで過ごされ、日本の文章のすばらしさを我々に教えて頂きました。
この数年、ご専門の万葉の本を契機にお便りを頂くようになりましたが、先生の、きめ細かい情感に溢れた独特の名文を拝読する度に、むかし子規などの教材を窓辺の日溜りに寄り、ときどきずり落ちる眼鏡を直しながら、ゆっくり朗読したり、しやべったりされていた50年前の語りの口調と、文体の本質が少しも変わらないことにまた感激したりしました。
先生は誠之館以後、市岡中学、港高校に教鞭をとられ、数多くの素晴らしい教え子に固まれてのご晩年のご人徳は出版記念会でのご夫妻のお姿や、山岡さんのお便りでも拝察でき、私どもも嬉しく存じておりました。
願わくば、もう一度福山、尾道をご一緒にお供したかったという思いが残りますが、止むを得ないこと、心から先生のご冥福を祈り、長年のお教えに感謝申し上げます。
宮本先生、安らかにお眠り下さい。
福山誠之館昭和19年卒業生を代表し、弔文を献じました。
平成4年(1992年)8月22日
|