福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
宮原龍
宮原節庵
みやはら・りゅう みやはら・せつあん
儒家、頼山陽門下


経 歴
生:文化3年(1806年)
没:明治18年(1885年)10月6日、享年80歳、京都大徳寺中黄梅院に葬る
頼山陽門下となる
江戸に出て昌平黌に学ぶ
天保12年(1841年) 35歳 京都に帰って学塾を開く


生い立ちと学業、業績
名は龍、通称は謙蔵、字は士淵・子淵・季泉、号は節庵・節菴・潜叟・易安・池南学人・栗邨・栗村と号した。

安芸の人。渡橋
(おりはし)貞兵衛の五男に生まれたが、父が尾道に出て、母方の姓渡橋を称したのに対し、節庵は祖先の姓宮原を称することとなった。渡橋家は
頼山陽親しく、山陽は尾道に来れば、同家にしばしば泊ったという。節庵が山陽門下になったのはその縁によったものである。入門後、山陽が与えた字(あざな)が「士淵」である。

師の没後は江戸に出て昌平黌に学び、天保12年(1841年)京都に帰って学塾を開いた。
節庵は山陽の衣鉢をついで、詩文のほか、
書をよくした。
その名声をきいて召しかかえようとする大名もあったが、臣となることをすべて固辞した。

友情にあつく、とくに山陽門下の
江木鰐水関藤藤陰門田朴斎などとは、親しく交った。

明治18年(1885年)10月6日、80歳で没した。
   (出典1)


誠之館所蔵品
管理 氏  名 名  称 制作/発行 発行日
00169 宮原節庵 書 七言絶句「相逢一盃」 弘化元年(1844年)
00188 宮原節庵 書 七言絶句「二毛老倦」 嘉永3年(1850年)
05337 宮原節庵 書 七言絶句「二子維亡」 明治11年
05336 宮原節庵 書 七言絶句「萬紅千紫」 明治12年
00033 宮原節庵 書 由来書「頼山陽遺墨」 明治15年
00034 宮原節庵 書 七言絶句「豈惟偕老」
05335 宮原節庵 書 七言絶句「一聲漁唱」
05338 宮原節庵 書 七言絶句「風雪紛々」
05339 宮原節庵 書 七言絶句「櫻井訣児」
05340 宮原節庵 書 七言絶句「題秋景画山水(湿雲断續)」
05341 宮原節庵 書 七言絶句「龍鱗鳳尾」
05342 宮原節庵 書 七言絶句「題雪中山水図(玲瓏積玉)」


出典1:『誠之館記念館所蔵品図録』、62頁、福山誠之館同窓会編刊、平成5年5月23日
2005年6月22日更新:レイアウト●2006年4月20日更新:タイトル・所蔵品●2008年1月21日更新:経歴●2009年2月26日更新:誠之館所蔵品●2009年2月27日更新:誠之館所蔵品●2009年3月9日更新:誠之館所蔵品●2009年3月13日更新:誠之館所蔵品●2011年7月22日更新:誠之館所蔵品●2011年10月24日更新:経歴・本文●2016年1月29日更新:レイアウト・誠之館所蔵品●2016年2月16日更新:誠之館所蔵品●