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誠之館教師、福山市議会議長 | |||||||||
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経 歴 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生:明治41年(1908年)2月19日、東京市下谷区谷中初音町生まれ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
没:(不明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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生い立ちと学業、業績 |
福山市議会議長とし、前期から2期引き続いて勤めている三谷美郎氏は、慎重冷静そして温厚の性格と、それに多分の知性を加えた人柄から、さしもに至難な議長の椅子を守っているわけである。 氏は明治41年(1908年)2月の生れ、東京高等師範臨時学校教員養成所数学科を卒業している。 初めは教育界に志し、昭和2年(1927年)より福山誠之館中学校に12年間、東京都立第三中学校に3年間、さらに県立福山工業学校に1年間、実に16年間を教職に携わった。 後に転じて事業界に入り、第一産業株式会社を興しその社長、帝国漁網株式会社の専務として活躍し、数年前から大分タオル株式会社社長とし現在に至っている。 市会議員には戦後4期連続当選、昭和30年(1955年)に市会議長に選ばれ、昭和34年(1959年)の改選市会にも引続いて議長に推戴され今日に至っている。 一方、繊維加工品の日本四大産地の一と云われる福山駅前繊維商店街の組合長に推戴され、旧福山市役所跡の敷地買収に成功し、鉄筋コソクリート4階建の繊維ビル建造を計画するなど、積極的活動は注目される。 趣昧は読書・囲碁。 (出典1) |
出典1:『政治産業文化備後綜合名鑑』、野上五郎・式見静夫編、備後文化出版社刊、昭和34年9月 |
2004年10月29日更新:経歴●2005年4月8日更新:本文・出典●2006年6月30日更新:タイトル●2007年7月19日更新:経歴●2007年11月30日更新:経歴● |