福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
松本良遠
まつもと・りょうえん
藩校誠之館講師、国学者、歌人
松本良遠 (出典1)


経 歴
生:文化11年(1814年)
没:明治12年(1879年)2月22日、享年66歳、木ノ庄二五谷に葬る
福山藩勘定所詰松本刑右衛門良政の養嗣子となる
天保6年(1835年) 21歳 家督50俵をつぐ
天保13年(1842年) 28歳 金奉行となる
小寺清之に学ぶ
大国隆正・鈴木重胤にも教えを受ける
安政2年(1855年) 41歳 福山誠之館皇学寮講師
文久2年(1862年) 48歳 上下格(かみしもかく)
慶応2年(1866年) 52歳 奥勤
明治4年(1871年) 57歳 福山野上八幡社の祠官


生い立ちと学業、業績
文化11年(1814年)浜野此右衛門博篤の二男として生まれた。名は良遠、通称ははじめ長兵衛、のち長米。諱は良遠。狂歌に蕉雨・桃廼舎(もものや)・花彦・馬九齋、舞雲などの号を用いた。

福山藩勘定所詰松本刑右衛門良政の養嗣子となり、その次女に配して松本氏となり、天保6年(1835年)、家督をついだ。

良遠の師は、笠岡より来て、
阿部正精につかえた小寺清之であり、ほかに、大国隆正・鈴木重胤にも教えを受け、国学・和歌を学んだ。隆正とともに福山を訪れた福羽美静とは、兄弟のような交わりであった。

福山誠之館が創設されると、抜擢されて皇学寮講師となり、文久2年(1862年)上下格(かみしもかく)、慶応2年(1866年)奥勤と進み、廃藩置県後、野上八幡社の祠官となった。

良遠は、和歌のほかに狂歌もよくし、ともに藩中にならぶ者がなかった。

明治12年(1879年)2月22日没す。享年66歳。木ノ庄二五谷(現・福山市木之庄町仁吾)に葬る。墓碑は福羽美静の題書である。

門人に中島年光、阿部首令などがいて、翁の遺詠を拾収し『安未乃母之保』を編んだ。


誠之館所蔵品
管理 氏  名 名  称 制作/発行 日 付
00058 松本良遠 書 和歌「月前嵐」
03478 松本良遠 書 和歌短冊「山杜鵑」
03529 松本良遠 書 短冊「江木先生の湯治に出立」
05365 藤井松林ほか 書画 日本画「備後画人寄書」 明治10年ごろ


出典1:『近世後期の福山藩の学問と文芸』、49・91頁、福山市立福山城博物館編刊、1996年4月6日
出典2:『誠之館記念館所蔵品図録』、68頁、福山誠之館同窓会編刊、平成5年5月23日
出典3:『福山藩の教育と沿革史』、161頁、清水久人著、鷹の羽会本部阿部正弘公顕彰会編刊、1999年8月20日
出典4:『郷賢録』、54頁、福田禄太郎著、福山城博物館友の会編刊、平成12年10月1日
出典5:『福山藩の文人誌』、147頁、濱本鶴賓著、葦陽文化研究会編刊、1988年7月27日
出典6:『今昔物語 福山の歴史(上巻)』、227頁、村上正名著、歴史図書社刊、昭和53年11月20日
出典7:『福山の今昔』、172頁、濱本鶴賓著、立石岩三郎刊、大正6年4月26日
関連情報1:『福山学生会雑誌(第61号)』、24頁、福田禄太郎著、「松本良遠傅」、福山学生会事務所編刊、大正14年12月30日
2005年3月31日更新:経歴・本文・出典●2006年3月15日更新:所蔵品●2008年1月7日更新:経歴・本文●2008年11月17日更新:経歴・本文・出典●2009年6月10日更新:誠之館所蔵品●2009年10月25日更新:誠之館所蔵品●2010年3月31日更新:出典●2013年9月2日更新:関連情報1●2014年11月20日更新:氏名(よみ)●