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儒者、幕臣 | |||||||||
経 歴 | |||||||||
生:天明8年(1788年)1月20日、肥前国(現佐賀県)生まれ | |||||||||
没:弘化4年(1847年)、享年60歳 | |||||||||
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生い立ちと学業、業績 |
古賀精里三男。名は煜(いく)、通称は小太郎、号は侗庵・古心堂、字は季曄。 子は古賀謹一郎(幕臣、儒者)。 古賀氏の本姓は劉、帰化人の後裔で、代々が肥前に住み佐賀藩士であった。父の古賀精里が幕命により幕府へ出仕した。侗庵も文化6年(1809年)に幕府の儒者となり米200俵を支給され、昌平坂学問所の儒官をつとめた。文化14年(1817年)に100俵増俸され、さらに天保12年(1841年)に100俵を増俸された。 福山藩では、江木鰐水や北條悔堂が侗庵に学んでいる。その他の子弟には、阪谷朗廬や津田終吉(津田賁)などがある。 また侗庵は詩会「如蘭社」を主宰した。こちらのメンバーには江木鰐水、関藤藤陰、頼杏坪、頼山陽、宮原龍、津田終吉(津田賁)など約50名がいた。 著書に『劉氏論語管窺記(りゅうし・ろんご・かんきき)』、『海防臆測(かいぼう・おくそく)』2巻と、『家政要録』、『古心堂叢書』89巻などがある。 |
誠之館所蔵品 | ||||
管理№ | 氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 日 付 |
07014 | 古賀侗庵 書 | 七言絶句「吾翁清白」 | - | 文政3年(1820年)ごろか |
00236 | 古賀侗庵 書 | 「賀江木英君○儒友」 | - | - |
探しています | |||
氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 日 付 |
古賀侗庵 著 | 『劉氏論語管窺記(りゅうし・ろんご・かんきき)』 | - | - |
古賀侗庵 著 | 『海防臆測(かいぼう・おくそく)』(2巻) | - | - |
古賀侗庵 著 | 『家政要録』 | - | - |
古賀侗庵 著 | 『古心堂叢書』(89巻) | - | - |
古賀侗庵 著 | 『水虎考略』 | - | 天保7年(1836年) |
古賀侗庵 著 | 『水虎考略(後篇)』(2冊) | - | 天保10年(1839年) |
古賀侗庵 著 | 『今斉諧(いまさいかい)』 | - | - |
出典1:『国史大辞典(5)』、576頁、「古賀謹一郎」、吉川弘文館編刊、昭和60年2月1日 出典2:『国史大辞典(5)』、583頁、「古賀精里」、吉川弘文館編刊、昭和60年2月1日 出典3:『備後春秋(第46号)』、23頁、「古賀侗庵作「保命酒」七絶」、和田嘉郎、備後春秋編集部編刊、平成2年9月 |
2006年10月18日追加●2006年11月10日更新:所蔵品●2007年5月16日更新:経歴・関連情報●2008年1月15日更新:本文●2008年3月12日更新:本文・出典●2008年7月7日更新:経歴・本文・出典●2011年10月24日更新:本文・探しています●2013年12月3日更新:誠之館所蔵品●2014年8月14日更新:タイトル・氏名・本文・誠之館所蔵品・探しています・出典● |