本名は小寺鹿次郎。明治16年(1883年)3月10日、岡山県小田郡笠岡町(現笠岡市)生まれ。
明治44年(1910年)に大日本武徳会京都本部剣道科を卒業、京都府師範学校などの教師となった。1年後の明治45年(1912年)に広島県立福山中学校(誠之館)の剣道教師となり、昭和12年(1937年)まで25年間勤めた。その間、昭和2、3年には東京高等師範学校の剣道全国大会を制覇、また京都武徳殿での全国大会で4連覇などの偉業を達成させた。この時の様子は誠之館遠征歌にも
「古き都に攻め入りて、栄ある勝利あげしとき」
と歌われた。
性格は恬淡実直、稚気を含んで情に厚く、生徒に敬慕された。豪放磊落にして悠々迫らず、常に天を仰いで堂々と闊歩された。漢詩をつくるのに長けており、「天眞」と署名した墨痕鮮やかな超特大の書を揮毫し、道場に掲げて剣の精神を説く姿は、まさに剣聖と呼ぶにふさわしかった。いまも同窓会歴史資料室には「発祥致福」とかかれた扁額がある。
その指導は厳しいばかりではなく、遊ぶときには生徒たちの間に溶け込み、徹底的に遊んで生徒たちの気持ちを実に良く掴んだ人だった。こうした先生に強い感化を受けた生徒は多く、小寺が戦後に経済的な困窮に陥ったときに、かつての教え子たちが組織をつくり援助した。 (出典1)(出典2) 三村敏征(昭和38年卒)
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