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国学者 | |||||||||
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経 歴 | |||||||||
生:寛延元年(1748年) | |||||||||
没:文政10年(1827年)、享年80歳 | |||||||||
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生い立ちと学業、業績 |
名は清先・典膳、通称は常陸介、楢園・雲斎と号した。 笠岡村の稲荷神社の祠官。 京都の卜部氏に神道・国学を、澄月に和歌を学ぶ。 生涯に数千首もの和歌を詠んだ。 一時、笠岡・神島(こうのしま)に住んだ。 寛政9年(1797年)に敬業館の初代教授となり、庶民の子供の教育にあたった。 敬業館は笠岡の代官・早川八郎左衛門が開いた郷校であり、のち小寺家の私塾として、明治16年(1883年)まで86年続いた。 敬業館2代目教授は、小寺清先の三男・小寺廉之(こでら・かどゆき)<天明2年(1782年)〜嘉永2年(1849年)>が務めた。 跡地には、建物の一部と、清先、早川代官の顕彰碑がある。 西山拙齋・菅茶山・頼杏坪らとの親交があった。 著書に『本教闡幽』、『三略説国號論』、『楢園和歌集』などがある。 長子小寺清之は、福山藩で国学を講じた。 (出典2) |
誠之館所蔵品 | ||||
管理 | 氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 日 付 |
00144 | 小寺清先 作書 | 和歌「野草花」 | − | − |
00264 | 小寺清先 撰 | 『日本書紀(再刻、30巻、15冊)』 | 江戸須原屋ほか | 寛政5年 |
07016 | 吉田洞谷 画 小寺清先 書 |
和歌「霞浦堤柳」 | − | − |
出典1:『井笠路探訪』、30頁、井笠広域観光協会編刊、平成12年4月 出典2:『近世後期の福山藩の学問と文芸』、81頁、福山市立福山城博物館編刊、1996年4月6日 |
2005年6月15日更新:レイアウト●2005年6月16日更新:写真追加●2006年6月23日更新:タイトル・所蔵品●2006年10月4日更新:所蔵品●2008年1月10日更新:経歴・本文●2008年9月1日更新:本文●2008年11月17日更新:誠之館所蔵品●2014年9月6日更新:誠之館所蔵品●2014年9月19日更新:誠之館所蔵品●2016年2月24日更新:本文● |