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儒 者 | |||||||||
経 歴 | ||||||
生:明和7年(1770年)、伊勢国山田生まれ | ||||||
没:文政元年(1816年)5月27日、享年49歳 | ||||||
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生い立ちと学業、業績 |
伊勢国山田の生まれ。 化政時代の儒者である。 名は弼(たすく)、字は子文、良佐と称し、敬軒と号した。 本来伊勢国山田の御師(おし)<伊勢神宮の神職>であった。 志摩国的矢出身の北條霞亭とは、伊勢の林崎書院時代から親交をむすんでいた。 その因縁から、河崎敬軒は菅茶山とながい交流があった。 その二人がはじめて対面したのは、茶山が阿部正精の命により再出府していた文化12年(1815年)正月19日のことであった。 茶山は同年2月26日、西帰の途についたが、敬軒は、東海道を四日市までの同道を乞うた。 その紀行詩文が『黄葉夕陽村舎紀行[驥蝱日記(きぼう・にっき)]』である。 伊勢へ帰る敬軒が茶山と別れたのは、3月8日朝であった。 敬軒にはほかに『楡塾日記』などの著がある。 文政元年(1818年)5月27日没。享年49歳。 (出典1) |
誠之館所蔵品 | ||||
管理№ | 氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 日 付 |
00252 | 河崎敬軒 著 | 『黄葉夕陽村舎紀行(驥蝱日記)』 | - | 天保11年(1840年) |
出典1:『誠之館記念館所蔵品図録』、73頁、福山誠之館同窓会編刊、平成5年5月23日 |
2005年6月14日更新:レイアウト●2006年6月23日更新:タイトル・所蔵品●2008年1月15日更新:経歴●2010年2月4日更新:本文● |